第六区 (3-1)
16年5月23日(日)
湖北町石川→近江塩津
21.3キロ
 30,447歩

(3-2)はこちら
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      5月23日(日)◆琵琶湖一周ウォーク・第六区◆
 「東浅井郡湖北町石川バス停→伊香郡高月町→木之本町→西浅井町塩津交差点」
  完歩30,440歩、21.3キロ (湖岸と山頂を二往復したため実際は16キロと思う)
 
★(3-1)JR河毛駅=(バス)=石川バス停→片山観音堂→片山トンネル→管理農地道→西野水道→ほりぬき公園→江州青の洞門→西野歴史散策道路→近江湖の辺の道→奥山の地蔵尊→阿曽津千軒集落跡(3-2)へ
★(3-2)→近江湖の辺の道→賤ケ岳方面へ→新坂と米蔵跡→古保利古墳群山梨子くだり道→賤ケ岳隋道→八幡神社→飯浦→奥びわ湖ドライブイン→(3-3)へ
★(3-3)→藤ケ崎→西浅井町→干拓地→塩津神社→塩津街道→塩津浜→塩津北口バス停→常夜灯→塩津交差点ゴール・・・徒歩JR近江塩津駅
★ここまでのコースは、山と渓谷社の資料を参考にしながら「滋賀県都市地図」(昭文社・まちごとまっぷ)を使って何の問題もなく歩いてこられた。今回コースの前半部分は、その地図にも道がなく、インターネットでの検索でも関係町のHPでもコースの参考になる道路地図はない。渓谷社の資料も、著者の歩かれた季節とは違うので、参考程度にすることにして、三つのコースを想定した。@本で紹介されている湖岸の岩場を通るコース、春先の増水で冠水していて通れないかもしれないがそれにこだわってみる。A片山トンネルを越えて西野水道をまわり、どこで降りられるかわからないが、最悪、賤ケ岳まで行き、そこから下る。Bもっとも安全な44号線・さざなみ街道を木之本町を回り込むようにしてすすむ三コース。結局、Aの西野周りにするが、やっぱり琵琶湖の魅力には勝てない。水量の多さは、前回のコースで確認していたし、三日前の台風余波の大雨で、資料の湖岸岩場コースは歩けないことは予想しつつ、湖岸に下りてみたくて、二度も湖岸と山の峯を往復してしまうことになる。都合2時間半も山中を徘徊、余分な時間と距離を歩くことになった。急勾配の道、らしき道は障害物が多くてかなり体力を消耗。
もし、このHPを参考にされる方がいたら、琵琶湖の水量が多い時期は湖岸歩きはさけて賤ケ岳への峰々を歩きロープウェイ手前から山梨子・賤ケ岳隋道入り口へ下りることをおすすめする。

★このコースをすすむ場合、スタートすると飯浦まで休憩所、トイレ、自販機はありません。
●JR河毛駅(上左)を下車、今コースの最寄駅●
  新大阪7時15分、米原乗り換え9時36分着。
  およそ駅舎とは思えないデザインの河毛駅は
  小谷城址をはじめ、戦国合戦の地に近く、駅前
  には、浅井長政とお市の像が建っている。


●湖国バス河毛駅前停(湖北町内循環バス)から
  今日のスタート石川バス停へ。
  料金は200円均一、バスの回数が少ないので
  注意。 たった一人を乗せて9時53分発。
●スタートの高月町石川バス停●
25日ぶりの石川バス停に10時3分に降りる。前コースのゴール地点。わずか1ケ月足らずなのに周囲の景色は、緑が一段と濃く、豊かな風景で迎えてくれる。

●石川集落入り口●

湖岸を走る県道44号線(木之本長浜線)。湖岸側からバス停に向かって、左側の道を入るとすぐバス停がある。その手前から今回のコースが始まる。背景の山が、山本山、城跡があるという。ここから賤ケ岳への山並みが始まる。
●対岸もかすむ、はるうらら●

コースに入る前に湖岸に出てみる。右手に前コースの尾上温泉がみえる。向かい・対岸は次回のコース。あの峰々の難コースが待っている。今日も難コースらしい。果たしてどうなるやら・・・、静かな湖面に釣り船が見られる。対岸もかすむおだやかな春の湖岸。


さあ、いくぞ!
●石川集落からスタート●

バス停すぐ横から湖の辺の道へ、石川のたて看板が立てられている。この道へ左へ回りながら小さな集落をすすむと大きなお寺が見えてくる。

●西野コースに決定●

左側に小さな港、公園の横を通ると大きな案内板が目に入ってくる。そこを右に入る道が山と渓谷社の本で紹介されているコースだと思うが、地区の消防訓練の最中でその道へ入るのをふさぐようにホースを手にした消防の人たちが放水訓練をしているため入れず、左の湖岸県道44号線へ出る。消防訓練が西野コース決断へ後押ししてくれた。

写真の山々は対岸。
●県道44号線(木之本長浜線)●

左が湖岸、正面がこれからすすむ賤ケ岳につながる山々。この道路は正面で右へ大きくまがり片山トンネルを経て木之本へとなっている。

湖岸では魚釣りを楽しむ家族や子どもたち、湖面にも船でのんびりと遊んでいる人たちの姿が見られる。

10時25分。

★下左の写真、向かいの半島が次回のつづら尾コース。


●ぜいたくな琵琶湖遊び●

ボートに乗ってのんびりと釣り糸をたれている光景があちこちに見られる。うらやましい光景だ。

ここから見えるだけでも湖岸は湖上に沈んでいる。この山の峰を越えて今日のコースはすすんでいく。
向かいの半島が次回のつづら尾コースになる
●片山トンネル●

歩き始めると、すぐ、320メートルの片山トンネルへ。本に紹介されている湖の辺の道は、このトンネルの上を通っているはず。この道路は湖岸側と木之本の町を結ぶ交通の要所となっている。
まず、このトンネルを通りぬける。車の通行が多い。
●管理農地道●
トンネルを抜ける風景は一変、すぐ左の農道へ。一面、色づいた麦畑。田植えの終わった水田。西野水道めざして正面の山に突き当たるまで行くことにする。湖の辺の道は、左側の山の峰のはず。

3代 余呉川西野放水路 延長286m、幅10.3m、高さ10.3m


写真左

水道建設記念碑


写真右

近江の青の洞門
●「西野水道」●                    ↑上・全長220mの「近江の青の洞門」 
西野は高月町の西部、北と西を山に囲まれた低地にあり、かって、余呉川の氾濫水や近郷の雨水が流れ込み、洪水と飢饉を繰り返し村人は悩まされた。約150年前の天保11(1840)年、村の充満寺の恵荘上人が、洪水時の余呉川の放水路として、西山に岩穴を掘り抜くことを発案、計画し、彦根藩の理解を得て、住民を説得し、実現に向けて取り組んだ。岩穴は、石工と地元住民らが工事をし、能登から招いた石工などにより、数々の困難に突き当たりながら、5年の歳月のすえ、弘化2(1845)年にようやく完成。全長220m、幅1.2m、高さ2mの排水路の内部には、今もノミ跡が残っているという。この排水路は現在は使われていなくて、すぐ隣りに新しい排水路ができている。1950年(昭和25年)に、2代目の余呉川西野放水路(延長245m、幅4m、高さ4m)が、1980年(昭和55年)には、3代目の放水路となる余呉川西野放水路(延長286m、幅10.3m、高さ10.3m)が完成し、現在に至っている。西野山のふもとから琵琶湖に向かい、山を掘り抜いた排水路で、「近江の青の洞門」と呼ばれている。
●西野歴史散策道路●
西野水道を過ぎ歩き続ける。山側は有刺鉄線が張りめぐらされて山に入れなくしてある。やがて道は行き詰まり、「西野歴史散策道路」という古い標識。有刺鉄線をまたいで「熊出没」の看板のある坂道を上ることにする。11時15分。
★ここがコース最初のポイント★

●西野歴史散策道路と湖の辺の道の合流地点●
上ってくると上の三つの道標がたてられた合流地点にでる。11時20分。@上左の道標、石川集落から湖の辺の道をくるとこの道標にくるはず。Aとなりに写真左の道標。そのななめ向かいにB上右の標識(遊歩百選)がある。
ここは、四辻になっていて、とりあえず、阿曽津千軒集落跡をめざして海岸へ降りてみることにする。下の写真がその道。しばらく下ると下二枚目の琵琶湖が眼下に見える場所にへ。ここまでは近く時間もわずか。★湖岸に下りても戻ってこざるを得ないので、道は小さいが賤ケ岳方面にすすむのが正解。
●奥山の地蔵尊への下り道・林道●

車の通った跡がはっきりとついている結構広い道が湖岸側に続いている。左に時々、かすかに琵琶湖が見える。
後からわかったが、この道は、途中で突然なくなる。杉林の管理作業用につけられた道のようだ。
●ビューポイント●
しばらく道を下がっていくと突然、琵琶湖が眼下に開けてきた。正面、左奥辺りが今日のゴールか。さらに下っていく。だんだんと道が不明確になり落ち葉を踏みながらかなり急なくだりをすすむ。
やがて道らしきものがなくなり、水気のある杉林の中を足をとられながらなお下っていく。集落跡まで1.2キロと表示されていたが、急で足場の悪い道は、ひざ痛もちにはきびしい。下るほどほとんど明かりが入らなくなりあまり気持ちがいいものではない。このあたり、人が歩いた形跡はまったくなく、今年は自分が始めてかも。木々の間を適当に歩くだけ。
●奥山の地蔵尊●

杉の木に何かかかっているのを発見、そばへ行ってみると地蔵尊について説明書きがある。内容は下段の通り。杉林、下は茶色の枯葉、手入れがしてないので異様な雰囲気。遠くから見るとこの説明板も不気味に見える。

11時49分。
●奥山の地蔵尊●

一つの石に二体刻まれているこの地蔵尊は、その昔、若狭街道を通行した人々が道中の安全を願って花を手向けた道祖神である。妻を残して旅たった夫はこのお地蔵さんに参って夫婦のきずなを更に深めたことであろう。近在はもとより遠方からも今なお夫婦の守り神としてこの奥地まで願いに訪れる人は多い。
と、上の朽ちかけた板に書かれている。
人が訪れている様子はない。ただ、だれかお世話をしている人はいるみたいだ。

●阿曽津千軒集落跡●
地蔵尊からさらに湖岸を目指していくと、木々の間に石垣の跡が段々畑のようにあたこち残っている。むかしは ここに集落があったのだろう。
いたるところに水が流れており足もとは不安定、道らしきものはない。向こうから何か出てきそうな・・・考えないように、考えないように。

●湖岸の湖の辺の道●
やっと湖岸にたどり着き視界が開けてきた。
腰の辺りまである草をかきわけてすすむ。道標も半分は見えない。もちろん道など見えないし、あるかどうかわからない。くもの巣をはらわないと進めない。

有漏神社まで400メートルの道標、道はないが湖岸にそって歩いていこうと試みたが、背丈より高い笹薮にさえぎられてあきらめる。沖合いで魚釣りしている人に神社を確認すると見えているが湖岸に歩ける岩場は見えないという。あきらめてもとの地点に戻ることにするしかない。向かいの半島が次回のつづら尾コース
●竹生島●

湖岸は水量が多くて草も水の中から生えているように見える。岸と陸の区別もつかず、うっかりすると水にはまりそうになる。腰をおろす場所、もちろん、休憩する場もまったくない。しかし、景色はいい、釣りの船はあっというまに、向こうへ行ってしまった。

はるかかなた、真ん中に見える島影は竹生島。右側の半島が次回のコースになる。
とにかく元の道に戻るため、1.2キロの、半分は道が不明の坂道を登っていくしか方法はない。とにかく、現地へ戻ること。上ったら弁当を食べることを楽しみにして、ひたすら上っていこう。

さあ、戻ろう。

それにしても、きついなあ・・・。


11時52分。目標は、12時半!


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