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雨の彦根城 撮影日時 2004年4月4日11時 撮影場所 滋賀県彦根城 撮影機種 canon powershot s40 |
| 井伊直政は関ヶ原の合戦での功績により、徳川家康より石田三成の旧領地近江の国を与えられ、1601(慶長6)年、佐和山城に入城した。佐和山城は時代遅れの山城であったため、新たに近世城郭の建設を構想していた。合戦時の鉄砲傷が原因で直政は翌年に死去、嫡男の直勝が家督を継いだが、幼少であったため、重臣の合議で計画を進め、家老木俣守勝の進言により、金亀山を最適地として築城を開始した。 幕府はここ彦根を、大坂や以西の大名への防衛ラインと考え、伊賀、伊勢、尾張、美濃、飛騨、若狭、越前の七ヶ国十二大名に協力を命じ、一大名「井伊」の築城ではなく幕府の総力をあげた国家事業となった。そのためか、他城からの移築が多いのが彦根城の特徴である。天守は京極高次の大津城、西の丸三重櫓は浅井長政の小谷城、天秤櫓は豊臣秀吉の長浜城、太鼓門は石田三成の佐和山城。 天守は築城より2年で完成したが、すべてが完成するにはこの後約20年の歳月を要した。 築城から明治の廃藩置県まで、井伊氏十四代が在城し続け、幕末の安政の大獄で有名な大老井伊直弼など、幕府の中核となる人物を輩出してきた。 明治政府の廃城令によって、多くの城が失われていったが、1878(明治11)年の廃城撤去の寸前に大隈重信が視察、名城の消失を惜しみ明治天皇にその旨を奏上したことにより、現在もその姿を楽しむことができる。 |
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