| 2005年10月09日 第1区 大阪市天満橋 八軒家船着場跡 ↓ 堺市浅香山 |
![]() |
![]() |
| ★京阪天満橋駅→八軒家船着場跡→窪津王子跡→坂口王子伝承地→榎木大明神→楠大明神→高津神社・郡戸王子跡→上野 王子→四天王寺・熊野権現礼拝石→阿倍王子神社→阿倍晴明神社→住吉大社→津守王子跡→止止呂支比売命神社→遠里小 野橋・大和川→JR浅香山駅 |
||
| いよいよスター ト ! 熊野本宮大社をめざして 2005年10月9日 8時30分 大阪天満橋 |
||
![]() |
●「八軒家船着場跡」 午前8時15分に地下鉄天満橋駅に到着、ぶらり中の島方面に出てビルの周辺を散策、8時30分。いよいよ熊野本宮大社をめざしてスタート。土佐堀通りを西に少しすすむとコースのスタート「八軒家船着場跡」に着く。永田昆布店の店先に碑と壁に説明板が埋め込まれている。(下二段目の写真)店はまだ開店しておらず普段は人通りの多いところだが休日で人影も少ない。 ●かって京都から熊野詣に出た上皇たちは、淀川を下り、大川の渡辺の津(:現在の天満橋付近)に上陸した。ここらあたりを八軒家浜とよび三十石船の発着所として栄えたところ。 上皇一行は、ここから沿道に点在する熊野権現の御子神を祀った王子社に礼拝しながら熊野向かったという。今回は、その道を歩くのだ。 琵琶湖一周では、一人でスタートしたため、スタート写真がなかった。ゴールの撮影をしてくれた友人が、今回も多忙な時間をさいて、早朝、わざわざかけつけてくれた。 |
|
![]() 店の前に碑が建てられており、店舗の壁には、(写真・左右)説明板がはめ込まれている。 店の前で早速、スタートの力強い? ポーズ写真を撮ってもらう。もう、後には引けない。すすむのみ。 |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
| ↑広重絵「浪花名所図絵」 江戸時代、京・大阪を結ぶ三十石舟の発着場として賑わった天満ばし八軒屋浜の光景である。と書かれている。 | ↑この地は江戸時代には八軒家と称し淀川を上り下りの三十石船の発着場として、さらに古くは渡辺といい紀伊熊野詣での旅人の上陸地として栄えた・・・と書かれている。 | |
![]() |
![]() |
|
| ↑●「熊野かいどう」 熊野街道は、このあたり(渡辺津 摂津)を起点として熊野三山にいたる道である。京から淀川を船でくだり この地で上陸 上町台地の西側 脊梁にあたる御祓筋を通行したものと考えられ 平安時代中期から鎌倉時代にかけては「ありの熊野詣」といわれる情景がつづいた また 江戸時代には 京 大阪間を結ぶ三十石船で賑わい八軒の船宿があったことから「八軒家」の地名が生まれたという 平成二年 大阪市 ・・・と碑にかかれている。 | ||
![]() |
「熊野かいどう」の地図つきの銅版の前で写真を撮っていると。サラリーマン風の中年男性から声をかけられる。熊野まで歩いて行く、今日は大鳥までを予定していると言うと、それは大変な距離ですね、気をつけて行って下さいと激励された。どうやら、熊野古道のことを知っている人らしい。 碑を見ていると近所に住んでいるという同年輩の男性が寄ってきてしばし談笑する。道がうまくわかればいいが・・・と心配してくれるがこちらは時間が気になるので失礼してすすむ。 ここで梅田に急ぐ友人と分かれる。オフィス街も休日とあって人の姿もあまりなくて静か。すぐ近くの北大江公園で友人の差し入れてくれたコンビニのサンドイッチとお茶で高ぶる気持ちを抑える。友人のためにも頑張るぞ ! . いざ出立 ! ●「窪津王子」 腹ごしらえがすむと第一王子の「窪津王子」を祀っている坐摩神社へ。↓ |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
↑熊野九十九王子の1番目。八軒家船着場のすぐ近く、天満橋付近にあった。現在その跡には坐摩神社行宮が建っている。正式な読み方は「いかすりじんじゃ」だが、一般には「ざまじんじゃ」と呼ばれることの方が多い。入口では大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三鳥居」が迎える。住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として信仰され、大阪・船場の守護神的存在である。社紋は白鷺。 ←●豊臣氏大坂城内武家屋敷跡 坐摩神社の向井側、労働センタービルの一角に「豊臣氏大坂城内武家屋敷跡」が保存されている。このあたりは大阪城の惣構内に位置して、有力大名の武家屋敷があったところ。1615年の大坂夏の陣で焼失した武家屋敷の遺構。門の基石とそれに続く築地塀基部の石垣は規模構造的に優れており地上に移設、保存されている。 |
|
![]() |
●「坂口王子」伝承地 中央大通りを過ぎ南へ、ビルの谷間に緑の多い南大江公園へ。公園の南西角入口すぐ近くに朝日神明社跡の碑がたち、その横に「坂口王子伝承地」の案内板がある。 朝日神明社は、天慶年間(938-947)に平貞盛が創建したという。天照皇大神と倭比売命を祭神とし、朝日の社名は祭神の天照皇大神にちなむとも、社殿が東面していたためとも考えられている。熊野王子のひとつの坂口王子の伝承地である。・・・熊野古道二番目の王子跡。 王子神社とは、熊野三山の末社という意味で、熊野詣の道筋、京都から摂津、和泉を経て熊野に至る街道の途中に、休憩所として設けられたお宮で、土地の名前を付けて★★王子と呼ばれ ている。 ●ここから一筋西の松屋町筋へ。まっすぐ進むと榎木大名神、樹齢650年という樹が見えてくる↓ |
|
![]() |
![]() |
|
| ●榎木大名神 榎木大明神は榎とされている木を神体とした祠で、南大江公園の南に鎮座しており一里塚ともいわれている。神体の榎は鑑定によると、槐だそうである。 「榎木大明神の由来」 説明板より 長年に亘り、地元の人達に「エノキさん」「巳さん」と親しみ呼ばれているこの大樹は、正しくは「エンジュ」という中国産の樹である。楠正成公がお手植えという説もあり、樹齢はおよそ650年と言われている。豊臣の時代には当地も大阪城域で、このあたりは紀州熊野参りとお伊勢参りの街道筋だった。だから大きくそびえるこの樹は、何よりの目印になったし、また地元の人達は土地神として「白蛇大明神」の祠を建てて、代々この樹をお守りしてきた。 ・・・・つづく 略 | ||
![]() ![]() |
![]() ●楠大明神 |
|
![]() |
●高津宮 歴代天皇で初めて大阪を皇都と定めた仁徳天皇を主神とする神社。 現在の宝くじにあたる「富くじ」゛題材にした落語「高津の富」の舞台で、境内にも寄席「高津の富亭」がありしばしば落語会が開かれている。桂文枝は、創作落語「熊野詣」を作品として残している。 群戸王子社がこのあたりにあったというので尋ねてみたがわからない。ベンチで休憩がてら、コースの確認のため地図を見ているとカメラを持った中年の男性が近づいて声をかけたきた。 このあたりの人でぶらぶらと写真を撮って歩いているという。群戸王子と上野王子を探していると言うと、上野王子跡は、清風高校の南側のマンションの前に、そんな碑が建っていると言う。いい情報をもらったとばかり、さっそく、コースを地図で確認して清風高校をめざす。 |
|
![]() |
![]() 高津神社を出て突き当たり長堀通りを左へ谷町九丁目方向へすすむ |
|
![]() |
●上之宮址 学校の南側は道路、その南一帯を探してみることにして、手当たり次第に探し、人に尋ねてみるがわかる人がいない。清風高校の守衛さん、郵便配達の人・・・どれだけ聞いたことやら、範囲を広げて1時間近く・・・疲れて、諦めかけていたとき、犬の散歩でであった年配のご婦人が、あそこかもしれないと引率?してくれたマンション、その前に二度通ったが、引越しの大きな車が止まっていて玄関前は近寄れなかったところ、作業をしている荷物の後ろに回りこんでみると←のような碑が建っている。 ただし、上野王子ではなく、上之宮址となっている。このあたりは上の宮高校もあり、上の宮という地名、上野と上之宮・・・それは、また、調べるとして、ここで時間をとってしまったので次ぎへ急ぐことにした。それにしても、あの引越し車、迷惑な車や。どっちが迷惑やといわれるかもしれないが。 でも、あのご婦人の親切がうれしかった。四天王寺をめざして急ぐ。 |
|
| ●四天王寺の熊野権現禮拝石 熊野へ参詣する人も、熊野へ行けない人も、ここではるか南の熊野権現に手を合わせていたのだろうか。↓四天王寺南門を入ったところにある。「熊野権現礼拝石(くまのごんげんらいはいせき)の説明板より この玉垣内の霊石は四天王寺四石(転法臨輪石・伊勢神宮遥拝石・熊野権現礼拝石・引導石)の一つにかぞえられるもので、往古より熊野詣にはまずこの場所にて熊野権現を礼拝し、道中の安全を祈り、熊野古道を南へむかいました。ご参詣の皆様は合掌し、ここから遥かに熊野権現をご礼拝ください。 「熊野三所権現」 ・熊野本宮大社(阿弥陀如来)ご真言・おん・あみりた・ていぜい・からうん・熊野速玉大社(薬師如来)ご真言・おん・ころころ・せんだり・まとうぎ・そわか ・熊野那智大社(千手観音)ご真言・おん・ばくらだるま・きりく総本山 四天王寺何度もここには来ているが、この碑には、まったく、目をくれたことはなかった。無関心とはおそろしいものだ。この南門を出て、コースは進んでいく。 |
![]() |
|
![]() ![]() |
![]() |
|
![]() |
●阪堺電軌上町線のちんちん電車 JR天王寺駅前からあべの筋を路面電車にそって一路、阿倍晴明社をめざしてすすむ。時間が予定より大幅におくれたために昼食はしばらくおあづけして・・・ カラフルな電車をみながらのウォークも電車ファンにはたまらない。しかし、ここは乗りたくても見るだけ。 |
|
![]() ●熊野かいどうの標識 この標識を訪ねながら歩く。八軒家船着場からの距離も掘り込まれているが、歩数計の距離とはかなり違う。上之宮あたりにはこの標識をみかけなかったので、多分、距離コースには入っていないのだろう。 松虫の交差点の手前の標識。交差点をわたりすぐ左の小路にはいってしばらく行くと阿倍晴明神社に到着。→ |
![]() ●阿倍晴明神社 ●阿倍晴明の生誕地の碑 ↓ |
|
●阿倍晴明神社境内にある 晴明の像(左)と葛之葉霊孤の飛来像(右) 葛之葉霊孤飛来像は、狐であったという晴明公の母・葛の葉が信田森から飛来する姿をイメージした像。狐は古来から特殊な霊力を持っているという言い伝えがあり、晴明も、天才陰陽師として数々の活躍を成し遂げたとされている。「葛狐」の子とされる晴明。 |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
![]() |
●阿倍王子神社 大阪市内で唯一現存する阿倍王子、学術や技芸、災除、安産の神として今でも地元の人々の厚い信仰を集めているという。 仁徳天皇の創祀と伝えられる。平安時代より熊野詣が盛行するや、九十九王子の第二王子社として阿倍王子等と言われている。白河上皇をはじめ、各代上皇の熊野参拝の際は、大体この阿倍王子社へも参拝・奉幣があったと言われている。 ここの境内で昼食をさせてもらう。その間もひっきりなしに人が訪れるのには驚いた。とても静かで、いるだけで心安らぐ気がした。 ●「もと熊野街道」の碑 王子神社の入口に建っている。 「もと熊野街道」の説明板より 阿倍王子神社の西側を通るもと熊野街道は渡辺の津とも窪津とも呼ばれた後世の八軒家 東区京橋三丁目付近を起点に、四天王寺、阿倍王子を経て、和泉の海岸沿いに南下し、紀伊路に入って熊野三山にいたる古道で、平安時代から鎌倉時代にかけて盛んであった。熊野信仰と深いつながりがあった。街道筋には九十九ケ所の遥拝所があり、これを王子と呼び、人々はその社頭に参詣し休息をとって次の王子へ向かった。 阿倍野区史跡顕彰委員会 |
|
![]() おそい昼食のあと、ふただび、電車とおりに出て、帝塚山方面をめざしてすすんで行く。このあたりもしゃれた店、大きな邸宅、電車通りなのに静かで、清掃も行き届いており町がきれい、とても気持ちよく歩けた。 ●万代池公園 やがて左側に万代池公園へ熊野かいどうは入っていく。万代池のほとりでしばし休憩。暑くはないがも湿度が高いのか汗をかくので水分の補給だけはおこたらないように。 池のほとりをウォーキングする男女が目立って多い。 |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
| ↑●万台池公園の熊野かいどう ●南海高野線→ここで大失敗・ここだけの話 上町線と南海高野線が交差、高野線の踏切を渡ったところで、写真撮りたくて列車を待つ。右手の前方に住吉東駅。 ここで、手に持っていた買ったばかりの地図を策の上においたまま電車を撮影、地図をそこに置いたまま・・・忘れたまま、くまの街道の道標↓に沿って次の目的地、住吉大社へ向かう。 結局、住吉大社で1時間くらいぶらぶらして、やっと、地図を忘れたことに気がつき、戻りかけるが、もう、どうせ、なくなっているだろうと諦めのいいところで、先を行くことにするが、地図がなくては、今日のゴール、大鳥には行けない。あっさりと、大和川を渡って浅香山にゴールを変更。 |
![]() |
|
![]() ●住之江味噌池田屋本舗→ ここを左に行くと住吉大社に入る。 |
![]() |
|
| ●住吉大社 ↓第一本宮では結婚式が行なわれていた。 ↓太鼓橋 | ||
![]() |
![]() |
|
![]() |
||
![]() ←八軒家浜から十キロと掘り込まれている 道路にもこのような熊野かいどうの地図がはめ込まれている→ |
![]() |
|
![]() |
![]() ●津守王子跡 墨江小学校の中にある。 「津守廃寺」の碑と説明板 このあたりから白鳳時代の異物が発見されており、古代にお寺があったと考えられて、住吉大社や住吉の津とかかわりが深い古代氏族の津守氏から、津守廃寺と命名されたらしい。その津守廃寺の後身と思われる津守寺というお寺が、明治元年まで現在の墨江小学校のところにあった。津守寺は901年に創建され、薬師如来を祭っていたという。住吉大社とのつながりがあったことがわかっている。 |
|
![]() |
←●止止呂岐比売命神社 ●後鳥羽天皇行宮址→ ここで最後に残していた果物を食べていると、ご婦人が話しかけてきた。おじんが神社の石に腰を下ろして果物を食べている姿に興味があったのか・・・なかなかの歴史通、いや、神社通らしくて、神社には伊勢神宮派と出雲神社派の二つがあって・・・といろいろ解説。神様のところは遅くいかんほうがいいと・・・今日はここまでにしなさいということか? ほんまに一人歩きはいろいろな出会いが楽しめて愉快。 |
|
![]() |
![]() |
|
大和川・遠里小野橋 さあ、大阪市から堺市だ。
結果になってしまった。また、地図の定かでない王子探しで想像以上に時間がかかり、準備が不足していたことを反省。なにはともあれ、距離はすすまなかったが、スタートはできたので次回以降に楽しみを残しておこう。 |
||