2005年12月10日

第4区
大阪府阪南市JR和泉鳥取駅

和歌山市JR布施屋駅
C和泉鳥取駅→山中渓→布施屋 (阪南市→和歌山市)
★JR阪和線和泉鳥取駅→地蔵堂王子跡→馬目王子址→紀州街道入口→地蔵寺→子安地蔵尊→山中神社→山中宿本陣跡地→旅籠「とうふや」跡→道祖神賽の神→山中渓駅→山中関所跡→日本最後の仇討ち場石碑→【大阪府】→境橋→【和歌山県】→JR第一滝畑踏切→中山王子跡→お滝神社→雄ノ山峠→峠の不動明王→幸福地蔵→山口王子跡→山口神社→川辺王子跡→中村王子跡→力侍神社→紀ノ川の渡し場跡→川辺橋→布施屋の渡し場跡→吐前王子跡→JR和歌山線布施屋駅

 熊野本宮大社をめざして  2005年12月10日9時20分・和泉鳥取駅をスタート

●和泉鳥取駅を9時18分にスタート
★自宅を七時過ぎに出る。地下鉄で天王寺へ。JR阪和線で和泉鳥取泉鳥取駅に9時13分に着く。洒落た駅舎の前にでると薄日、少し風が冷たいが、それほど寒くもなく、これくらいなら歩けば暖かくなるだろうと、さっそく、前回歩いた中山渓をめざしてすすむ。一度歩いているので気楽に行ける。
●地蔵堂王子跡  
前回、暗くて周辺は何もわからなかった地蔵堂王子跡にふたたび寄ることにした。小さな「滑下橋」を越えて二筋目を左に50メートルほど住宅地の道をすすむと公園の一角に立て札がたっている。前回は暗くて読むことも、周囲の状況もわからなかったが、ただ、立て札があるだけで少々がっかり。

山中渓をめざしてすすむと阪和自動車道とJRと交差したり並行したり・・・しばらくは、こういう景色が続いていく。

この区間は、歩道がなくて車道をあるくことになり、カーブも多く通行車両も多くて危険、早く通り抜けたいので速度を上げて歩く。
前回は、このあたり、すでに暗くなって夢中で歩いたところ。
今日は、あたりの景色が楽しめる。JRの電車がひんぱんに通るのには驚いた。阪和線の本数は結構多いのだ。もっとも各駅の普通列車は少ないはず・・・

新しく購入したクツの試足、うまく足になれてくれたらいいが。


●馬目王子跡

しばらく進むと車道わきに「馬目王子址」という標識と説明板、石碑が見えてきた。丁度カーブになっているところで車に注意。写真は道路からしか撮れない。

このあたりでは、足軽さんと呼んでいるらしく大きな草鞋が杭にぶら下げられている。→
●馬目王子跡 大阪最南端の王子社。以前は明治駅通りの500メートル北にあったらしいが、山中神社に合祀された。地元の人からは足神さんとよばれ、親しまれている。馬目の名は、ご神木がウバメガシであったことに由来するという説がある。
●紀州街道 しばらくすすむと和歌山貝塚線から左に石畳の道が始まる。紀州街道の石碑が建っている。この道を歩く。


●地福寺

春は枝垂桜がきれいという

●地蔵尊

石畳の街道から左へ細い坂道を上りきったところらたたずんでいる。ここに地蔵堂王子の地蔵尊が安置されているようだ。
坂道の真ん中ほどに子安地蔵尊の碑が建っている

●山中神社

石畳の街道をすすむと山中神社の標識が建っている。

左に入ってすすみ階段を上り小さな鳥居をくぐると「馬目王子社」の碑がたっている。写真左の石の祠に馬目王子が祀られている。


●民家の軒下 機関車トーマス・・・なつかしい機関車の展示館?子供が見たら喜ぶだろう。

●旧庄屋屋敷跡
 
●旅籠「とうふや」跡地 
紀州と大阪をむすぶ交通の要衝として山中宿には20軒を越える旅籠が並んでいたという。「とうふや」昭和の終わり頃まで営業していた最後の旅籠。
●山中宿本陣跡 
山中宿は、江戸時代の宿場町。その中ほどにある本陣跡地は、紀州の殿様が参勤交代で江戸に赴くとき、休憩所となっていたところ。紀州の殿様の食事所兼休憩所。


●山中渓駅まえ、すぐのところで紀州街道と和歌山貝塚線が合流、角に紀州街道の石碑が立っている。


●そばに「道祖神」の石碑がある。板状の石を屋根にした祠の中に石仏が祀られている。旅人の安全を守る道の神様でもある。

●JR山中渓駅 先月はここがゴールだった。→駅前の喫茶「アルプス」、今日は、時間的に余裕があるのでコーヒーを飲むことにして店にはいる。好きなあんぱんに温かいコーヒー、きさくなご主人がこのあたりの観光案内をしてくれる。隣に席していたこのあたりの観光PR活動をしているというNPO法人「紀泉21」の田中幸司さんも話の輪の中に。熱心に泉南の観光コースについて話が続く。ここ山中渓の駅からは、ハイキング、ウォーキングのコースも結構あるらしく、電車が着くとそれらしき人が降りてきた。
短い時間だったが、こういう出会いは楽しい。好きなコーヒーを飲んで元気よく出発!写真を撮ってアルプスさんの宣伝に一役!
●山中関所跡 
この地は、東西に山がせまり、間に川が流れ、関所としてはもっともよい場所。南北朝時代に岸の和田氏の一族、橋本正高氏がここに関所を設けたのが始まり。熊野古道の。熊野へ行く人もお金をはらってここを通ったという。応永二年(1395)長慶天皇が河内の観心寺に法華堂造営の資金集めのためにこの関所で関銭を課せられたという記録があるそうだ。
 県道和歌山―貝塚線をすすむが、この道は歩道がなく、通行車両が多いために、早く通過したいとピッチを上げてすすむ。
 周囲の景色を楽しみながら歩く余裕はなく緊張が続く。
↑●境橋 大阪と和歌山の境。                      ●橋の手前左に「日本最後の仇討の場」の碑がある。↑
●中山王子 JR阪和線第一滝畑踏切を渡ると正面に「中山王子碑」がある。和歌山県が熊野古道に注ぐ表れか立派な石碑と説明がなされている。 江戸時代までは周囲36間ほどの境内を構える権現社だったらしい。修明門院とともに熊野に詣でた藤原頼資の日記によると、この地で女院は村人に金銭を施したとか。

●お滝神社→

古くから滝畑集落の氏神さんとして崇められている。境内の奥に小さな滝があるためにお滝神社と呼ばれているらしい。
神社までの道は古道らしい雰囲気が残っており並行して流れている清流は澄み切っている。熊野御幸では、一時期、この道を通って川辺王子へぬけるルートとして使われていた。

第二踏切から和歌山―貝塚線にもどりいよいよ雄ノ山峠を上っていく。

●雄ノ山峠

←ほぼ、頂上地点のところ。
さほど歩くのに厳しい道ではないがひっきりなしに通過する車両には気を使う。11時40分。


→頂上地点から上ってきた道を振り返ると周辺の紅葉がきれい。左側下を阪和自動車道が通っている。

●峠の不動明王

雄ノ山峠を越え下り始めてすぐの道路わきの祠の中に不動明王が祀られている。
手書きの案内板があって、「路傍に立ちて数百年、旅人の安全を護ってくださいました」とある。


不動明王は空海の字代から、旅、交通安全の守護神とされている。
●急な下り坂、和歌山平野と紀ノ川、JRが眼下に見えるビューポイント  道路わきの●幸福地蔵 
●山口王子  
雄ノ山峠を下ると道が二本に分かれる。左の側堂へ下りて行くと最初の集落の入口手前すぐ右側に「山口王子」の碑、その右に万葉歌碑が立っている。せっかくの碑の前にガードレールが取り付けてあり、同じ目線での撮影ができなかった。歌碑には、「吾が背子が跡踏みもとめ 追いゆかば 紀の関守い留めてむかも」。この地には白鳥の関と呼ばれる関所が設けられていたとも。
●導き石
ここから少しずつくだりの集落道を20分ほどすすむとすすむと「熊野古道」と書かれた石の標識が道路の目立つところに埋め込まれているのに遭遇する。熊野古道の案内板の役目をするものらしい。その第一番目の「導き石」だと思う。和歌山市内の熊野古道は、曲がり角が多くて、うっかりすると迷ってしまうので、道標として要所要所の路面に埋め込まれているらしい。今日のコースも、この「導き石」を頼りにして歩くことになったが、大いに助けられた。

●墓地内の道標

導き石の角を右の道に入ると左側が墓地になっていて、墓地内の片隅に右の道標がたっている。
右 加太淡島神社道 と彫られている。

●山口神社の鳥居

しばらくすすむと突然、鳥居が見えてきた。山口神社の石碑がたっているが神社の建物はない。
ここからずって住宅と田圃の中を真っ直ぐに伸びているのぼり道の先に神社はあるらしい。

ローソン↓が見えたのでそこで弁当を買い、この石碑の横に腰を下ろしておそい昼食をとる。
●山口神社
王子社ではないが、熊野古道沿いに鳥居がたち、上皇や女院も立ち寄ったと伝えられている。↑→


●お地蔵さん

山口神社の鳥居を通り粉河・加太線をすすむ、中村モータースを越え、右手にお地蔵さんの祠が見えてくると、その向かい側の斜めに入る道をすすむと小さな路地が曲がりくねって続く。
ここには導き石がきちんと配置してあるのでそれに沿って歩くと川辺王子跡の前に行く。


和歌山平野が広がってくる。
●川辺王子跡の碑 左の白い碑は、連歌師の心敬参篭記念碑 鳥居が二本ある。
●川辺王子跡 小さな石の鳥居が象徴的。二本ある。
●中村王子跡

川辺王子跡から取り入れのすんだ田圃道を通りすすむ、ここも導き石にそってすすめるので迷うことはない、しばらくしてやや広い道路に出ると前方に高いシュロの木が目に入る。そこをさらにすすむと三叉路に出る。左の道に入るとすぐ中村王子社跡の白い説明板の前にすすむ。

たった一枚の説明板だけで、他の王子跡のような統一した石碑もない。

中村王子跡から少しすすむと田圃の中に小さな杜が見えてくる。
●力待神社

入口の鳥居から本殿まで長い参道が続いている。春には参道の桜がきれいだろう。
ここで最後の休憩をする。

鳥居のそばに、川辺王子跡の石碑がたっている。元はここに川辺王子社があったという説もあるらしい。

紀ノ川近くの王子社は、時代とともに場所を移しているという。

左北 大坂みち の標識
ふるい土塀の家、細い道をすすんでいくとやがて紀ノ川の土手が見えてきた。
土手に上がると下流方面にかかっていめ川辺橋を渡るのが今日のコース。

●紀ノ川
さすがに紀ノ川は大きい。陽も傾き景色もややうすぼんやりしていてちょっと残念だ。この土手の道路、車の通行料が多い上に歩道がないので危険。小走りで川辺橋を目指す。
川辺橋の欄干の和歌山城    紀ノ川を越えて見える高積山


●布施屋の渡し場跡

食品工場の片隅に案内板が設置してある。熊野御幸の時代、紀ノ川を渡るには船を頼る以外なかった。

「布施屋」とは、地元の人が旅人に無料で提供した宿のこと、渡し場の周辺にも船待ちの人のために布施屋が多数あったのだろう
●吐前王子跡

布施屋の渡し場跡からさらに進んで10分あまり、JR和歌山線の踏切を越えると畑の中に●吐前王子跡がよく見えるところに立っている。
「御幸記」には、後鳥羽上皇がここで昼食をとったと記されている。時間は15時45分、12月の陽は山に落ちて少しずつ夕暮れを迎える頃、やっと今日の最終王子跡に到達してほっとする。時間も予定通り。

予定していた16時22分のJR布施屋駅から余裕をもって乗車することができる。

●JR布施屋駅

16時57分、無人の布施屋駅にゴール。
電車を待つ間、近所のおばさんに話しかけると流石は和歌山の人、熊野古道の話で盛り上がる。同じ年代にみえるおばちゃん、熊野古道を歩いてことがあるという。しかし、大阪から来たというと驚いていた。
JR和歌山駅で阪和線に乗り換え、新大阪に着いたのが18時6分、歩いた後の1時間44分の電車の旅、疲れた