京都・洛西大原野の春を訪ねて
善峯寺-十輪寺-大原野神社 2004年5月2日

〔コース〕
JR新大阪→向日駅→[阪急バス]→大原野小学校前→[歩]→灰方→大歳神社→小塩・十輪寺→・・竹林・急な坂→善峯寺→来た道を戻る→大原野神社→[阪急バス]南春日町→阪急東向日駅→[歩]→JR向日駅

      善峯寺・山門 元禄5年、桂昌院により再建        善峯寺・多宝塔(重要文化財)
      善峯寺西山宮門跡
        西国三十三所第20番札所


天台系単立寺院。長元2年(1029)開祖・源算上人がこの地に小堂ほ建てたのが起こりと言われている。長元9年、後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、隆盛を極めるが、応仁の乱で荒廃、元禄年間(1688-1704)に江戸幕府五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の尽力で復興する。
観音堂(本堂)に安置される本尊は、十一面千手観音で西国三十三ケ所の二十番礼所になっている。釈迦岳の山腹を切り開いてつくられた山寺だが、約三万坪の広大な境内は、全体が回遊式庭園になっており、四季折々の花々が絶えない。
この寺までは、阪急東向町からバスで参道入り口までこられるが途中の南春日町停から歩くと十輪寺があり、後半は急勾配になるが、周辺の竹林と鮮やかな新緑は気持ちを安らいでくれる。紅葉の季節には違った景色を楽しませてくれるだろう。再び訪れてみたい。桂昌院像横のベンチから京都市内も一望できる。寺を一巡するには最低でも1時間は予定しておくこと。
善峯寺・観音堂(本堂) 善峯寺・奥の院薬師堂
桂昌院の遺髪が収められている桂昌院廟 善峯寺・文殊堂
    善峯寺・薬師堂           桂昌院像
      幸福地蔵 300年前に桂昌院            青蓮の滝 
経堂(絵馬堂)と多宝塔 天然記念物樹齢600年 遊龍の松
善峯寺の参道へ通ずる善峯橋 蓮華寿院庭
             十輪寺・本堂                十輪寺・本堂
十輪寺(なりひら寺)
 
大原や 小塩の山も けふこそは
神代のことも 思い出づらめ(在原業平)

十輪寺は、嘉祥3年(850)に創建され、平安時代の歌人、「伊勢物語」の主人公在原業平の晩年の隠棲地として知られている。通称「なりひら寺」と呼ばれる。業平は、塩焼きの風情を楽しんだが、特に恋人であった二条后(藤原高子)が大原野神社に参詣する時、紫の煙を立ちのぼらせて彼の想いをこめて彼女に送ったとか。56才、業平はここで亡くなる。本堂の裏手を登った所に宝篋院塔(ほうきょういんとう)と呼ばれる業平のお墓と、業平が塩を焼いたと伝えられる塩がまの跡がある。本堂は鳳輦形(ほうれんがた)というおみこしのような形をしている。ご本尊、延命地蔵菩薩は腹帯地蔵尊といわれている。毎年5月28日「業平忌3弦法要」、11月23日「塩がまきよめ祭」が行われる。  
             十輪寺鐘楼(重要文化財指定)        通称なりひらもみじ
             宝篋院塔と呼ばれる在原業平の墓 業平が塩焼きの風情を楽しんだと伝えられる塩竈の跡
       大原野神社
延歴3年(784)桓武天皇による長岡京(現向日市)遷都の際、皇后の藤原乙牟漏(むろ)が春日大社の分霊をこの地に祀ったのが起り。創建時は、春日大社のものと同じ寸法だったという。以来、藤原氏の氏神として栄えた。嘉永3年(850)に文徳天皇が社殿を造営して以来、王城鎮護の社として崇められて繁栄した。現在は大原野の産土神(うぶすながみ)として広く信仰を集めている。応仁の乱後は社運が次第に衰え、祭儀絶えがちになり、社殿は荒廃した。現在の春日造総檜皮葺の本慶安年間(1648-1652)に再建されたものである。猿沢の池を模して造ったという鯉沢の池は、水蓮やカキツバタがきれいに咲くそうだ。
         大原野
京都の西端、小塩山のふもとに広がる丘陵地帯。竹取物語の舞台とも伝えられる大原野は、王朝時代に、天皇や貴族たちが鷹狩りや種々の宴を催して遊んだ地という。大原、小塩山は歌枕として多くの歌が詠まれている。
奈良の猿沢の池を模した鯉沢の池、夏は睡蓮の花 鯉沢の池のほとりにある春日乃茶屋
左-参道から本殿を望む 境内は桜や紅葉が多い 右-本殿から参道を望む