| 第3回おおさか発見 タウンウオッチング 2001.7.8 大阪中之島周辺 散策(その2) |
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| コースの紹介 (このページ) |
地下鉄淀屋橋駅10時スタート→懐徳堂碑→大阪商法会議所跡→三和銀行・日本生命本社→御堂筋完成50年記念碑→市立春日小学校跡→大阪倶楽部→帝国座跡→三井住友銀行→手形交換所発祥地跡→松瀬青々生誕地碑→大阪市立科学館→大阪国際会議所→蔵屋敷跡→慈雲尊者生誕地碑→福沢諭吉生誕地碑→朝日新聞大阪本社→堂島アバンザ・ジュンク堂→JR大阪駅14時30分 |
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←懐徳堂跡(日本生命・今橋4本社) 日本生命本館の南壁に納まる碑 享保9年(1724)に儒学者の中井愁庵ら5人の町人が協力して開いた塾。大阪には町人塾の伝統があり明治2年に廃止されるまで数多くの人材を輩出している。 大阪商法会議所跡(高麗橋4)→ 天下の台所として繁栄した大阪も明治維新により致命的な打撃を受けた。そのため大阪の経済界の発展を願って明治11年8月に創設された。昭和3年に大阪商工会議所となり、変革期の大阪経済の再生と近代化のために大きな貢献をしてきた。 |
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| 三和銀行本店 | 御堂筋完成五十周年記念碑 | 日本生命本舘 |
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左・大阪倶楽部(今橋4) 下・創立明治5年、廃校平成5年の市立 春日小学校(今橋3) |
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←帝国座跡(北浜4住友信託北西角) オッペケペー節や荘士芝居で知られた川上音二郎 が、新派の拠点として明治34年に建築した大阪最初の純洋式劇場があった跡。当時としては珍しかったオセロベニスの商人などを上演したが興業的にに奮わず失敗、劇場は昭和40年まで残っていた。 →金融再編成の象徴・前住友銀行本店 現三井住友銀行 |
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←松瀬青々生誕地(三井住友銀行横) 俳人、名は弥三郎。上京して正岡子規に師事し「ホトトギス」の編集に従事。のち大坂朝日新聞社に入社、朝日俳壇を晩年まで担当、昭和12年に没。 大阪俳壇の基礎を築いた。 →手形交換所発祥の地(住友銀行横) わが国最初の手形交換所として、明治12年12月1日、ここに開設された。ちなみに東京での開設はこれより8年後であり、当時の大阪における手形取引の盛況と大阪金融界の先進性がうかがえる。 |
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←土佐堀川から肥後橋、フェスティバルホ ール、朝日新聞 →大同生命本社前の自由像 |
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←大阪市立科学館 平成元年に大阪市制100周年記念事業として開館、宇宙とエネルギーを昆セブとにした楽しめる夢空間。この付近には広島藩蔵屋敷があった。 →堂島川を右から二つ目が大阪国際会議所 このあたりは諸藩の蔵屋敷があったところ。 |
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左・蔵屋敷跡(ロイヤルホテル前) 大坂が天下の台所といわれたのは各藩が蔵屋敷を大坂に設けたことが起因している。江戸時代も蔵屋敷は交通の便のよい河川に面したところにほとんどが設けられた。文化11年(1814)には中之島に41、堂島に15、天保年間にはこの地に125の蔵屋敷があった。碑のたつロイヤルホテルの地には讃岐高松藩125万石の蔵屋敷があったところ。 中・慈雲尊者生誕地(ロイヤルホテル前) 江戸時代の僧、「梵学津梁」1000巻は、今なお世界の驚異といわれている・ |
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左・豊前国中津藩蔵屋敷の跡碑 右・福沢諭吉生誕地の碑 天保5年(1834)、福沢諭吉は豊後国中津藩蔵屋敷で生まれた。中津で儒学を学び、安政元年(1854)長崎遊学を終え江戸に上る途中大坂の蔵屋敷へ立ち寄ったが、兄の薦めで翌年3月、緒方洪庵の適塾に入門し蘭学を学び、後に塾頭になっている。3度にわたる幕府の遣外使節に随行、明治の文明開化啓蒙思想家として活躍、慶応義塾を開設したことで知られている。 |
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←福沢諭吉の「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ」 →竹葉亭本店 |
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| 堂島川にかかる玉江橋 | 堂島川にかかる田蓑橋 | 堂島川にかかる渡辺橋 |