第7回
2001.10.13
南蛮貿易で栄えた街・
堺を訪ねて(その1)

10月13日(土) 
13時30分スタート
コース紹介
歴史の散歩道(7)堺散策その1-南海七道駅13時30分スタート→鉄砲鍛冶屋敷跡、薫主堂、水野鍛錬所、紀州街道、山口家住宅、てくてく歴史街道、武石商店、西本願寺堺別院、宝珠院、覚応寺、土佐十一烈士墓、妙国寺、小西行長屋敷跡、ザビエル公園、安西冬衛歌碑、菅原神社、東本願寺堺→JR堺市駅
その1。
紀州街道を訪ねて
打刃物や鉄砲(火縄銃)の製法など精微な技術を発展させ、華やかな南蛮貿易で栄えた堺。また、自治都市として独自の文化を築き、千利休や与謝野晶子など多くの文人墨客を輩出したことでも名高い。
    ◆鉄砲鍛冶屋敷町跡

堺の鉄砲の伝来は、ポルトガル人が1543年(天文12)に種子島に伝えられた火縄銃。その製法技術を学んだ堺の商人橋屋又三郎が芝辻清右衛門に教えて始められた。その遺跡は南海七道駅北西にあり江戸時代は砂浜ちかくであったこの地で製作された鉄砲の試射が行われた。現在、堺に残っている唯一の鉄砲鍛冶屋敷・井上関右衛門家がある。七道駅北西には「鉄砲鍛冶試的場跡もある。鉄砲の技術が近代になり自転車産業に活用され今日、堺が自転車メーカーの都市として世界に知られるところとなった。
堺の特産線香の薫主堂末建物で今も営業中
江戸後期の鉄砲鍛冶屋敷町跡-古い紀州街道 鉄砲鍛冶屋敷 井上関右衛
堺随一の打刃物名店水野鍛錬所-明治5年創業 543年鉄砲伝来後から鉄砲生産地日本一
てくてく歴史ロード・大道筋にそって 阪堺電軌阪堺線の路面電車・綾の町駅付近
       ◆山口家住宅◆

慶長20年(1615)の大坂夏の陣で堺は焼き討ちにあった。山口家はその直後に建てられた庄屋・越前屋の住宅。江戸前期の商家風で国の重要文化財に指定されている。現在も14代の当主の住まいになっている。小さなくぐり戸から入ると広い土間、太い梁が走り、槍鉋で仕上げた天井板など重厚な建物。
電車通りにそって紀州街道-てくてく街道が続く 紀州街道は古い町並みが続く。
紀州街道にある刃物店 古い建物の刃物店にある外灯
          ◆覚応寺◆

伊予の豪族河野家の還元が堺に移り、第五世覚貞は蓮如上人に師事して覚応寺とした。覚貞の子孫、河野鉄南は与謝野鉄幹と少年時代から親しく、与謝野晶子とも浪華文学の機関紙「よしあし葦」を通じて親しく、晶子を鉄幹に紹介した。
境内には「その子はたち くしにながるる くろかみのおごりの春のうつくしきかな」という歌碑が建てられおり晶子の命日には偲ぶ白桜忌が催されている。
     ◆西本願寺堺別院◆
北御坊とも呼ばれる(浄土真宗)。南北朝時代に足利義氏の第四子道祐が、本願寺覚如(親鸞の曾孫)に帰依して創建したのが始まり。後に第五世道顕が1470年(文明2年)に堂字を再建し、蓮如を招き落慶の導師とした。また、同8年に境内に信証院という一字を営み、蓮如がここに居住した。現在の本堂は1825年(文政8年)に再建、堺最大の木造建築物。京都西本願寺とまったく同じ設計。明治4年から10年間、堺県庁として使われた。1945年の堺空襲にも焼け残る。本堂前に「却初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」の与謝野晶子の歌碑がある。与謝野鉄幹の父は西本願寺の院内僧であった。
西本願寺堺別院の親鸞上人像 西本願寺堺別院の蓮如上人像
与謝野晶子歌碑 本堂は文政8年(1825)に再建された堺最大の木造建築物。向かい合う親鸞(左)蓮如(左)
蓮如上人 親鸞上人
       ◆妙国寺◆
広普山妙国寺は、堺の豪商油屋常言、実兄常祐によって1562年(永禄5年)に創建された日蓮宗の本山であり朝廷より勅願寺と定められ、豊臣、徳川氏より朱印地として給せられた。国の天然記念物に指定されている樹齢千百年の大蘇鉄がある。1868年(慶応4年)当時堺の警備にあたっていた土佐藩士とフランス兵との間に紛争がおこりフランス兵に死傷者を出した堺事件で責任をとった土佐藩士が同年2月23日に切腹した場所でもある。
      ◆宝珠院◆

三光山宝珠院は、栄亮大僧正の開基で真言宗に属し本尊に虚空像菩薩を祀っている。1868年(慶応4年)当時堺の警備にあたっていた土佐藩士とフランス兵との紛争で切腹した土佐藩士11名の墓がある。烈士の墓は昭和13年に国の史跡に指定された。
妙国寺で切腹した土佐11烈士が眠る法珠院
秀吉に仕え熊本宇土城主になったキリシタン大名小西行長屋敷跡、紀州街道の電車通りにある。 土佐11烈士の墓、大坂への道標
ザビエル公園 昭和24年来航400年記念に 建てられたフランシスコ・ザビエル芳しょく碑
公園内にある安西冬衛の歌碑「春 堺鉄砲の碑
チンチン電車・阪堺電軌阪堺線 菅原神社
菅原神社境内にある石田梅岩像