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第8回 2001.11.10 堺ウォーキング(2) 千利休と与謝野晶子の 世界を訪ねて |
| 11月10日(土) 13時30分 スタート |
歴史の散歩道(8)堺散策その2 堺・宿院から13時30分スタート→フェニックス通り→名物そば「ちく満」→千利休屋敷跡→与謝野晶子生誕地→開口神社→くるみ餅「かん袋」→南宗寺→海会寺→本源寺→大安寺→仁徳天皇陵→大仙公園→JR百舌駅16時40分. |
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| そばで超有名な「ちく満」、独特の柔らかなそばが人気、いつ行って も満員の繁昌店。二皿で1000円。左に千利休の屋敷跡。 |
元徳元年(1329)創業の老舗くるみ餅「かん袋」。豊臣秀吉が屋号 を与えたという。白玉餅を秘伝の緑色の餡で包んだくるみ餅が名物。 |
| 与謝野晶子の像→ 与謝野晶子は明治11年(1878)に菓子商駿河家二代目鳳宗七の三女として生まれ与謝野鉄幹と結婚する23歳まで実家で暮らしていた。妻のある鉄幹の元にはしった晶子は情熱的で奔放な歌で明治歌壇に衝撃を与えた。堺市にはいたるところに晶子の歌碑がある。南海堺駅前には与謝野晶子ギヤラリーもある。 |
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| 与謝野晶子の生家跡の碑・大道通り(阪堺線) | 南海電鉄堺駅前に立つ与謝野晶子像 |
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| 与謝野晶子の生家跡・大道通り(阪堺線) | 晶子歌碑・海こひし潮の遠鳴りかぞえつつ少女となりし父母の家 |
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←千利休の屋敷跡 安土桃山時代の茶人千利休は、大永2(1522)年に堺の魚商の長男として生まれ名を宗易といった。若い頃から北向道陳や武野紹鴎ニ茶の湯を学び、南宗寺で禅を体得してわび茶の世界を大成させた。「茶の湯の真味は草案にあり」として草庵風茶室を創作。織田信長、豊臣秀吉仕えたが、秀吉の怒りを買い天正19(1591)年に切腹を命じられ70歳で自害した。利休のわび茶は茶道千家流に継承されている。屋敷跡には、利休が茶の湯に利用していた椿井が残っている。 |
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←↓千利休ゆかりの南宗寺 龍興山南宗寺、弘治3(1557)年三好長慶が建立した臨済宗大徳寺派。大坂夏の陣(1615)で焼失したが、元和3(1617)年に当時住職であった沢庵和尚によって再建された。千利休が禅の修業をした寺で境内には利休をはじめ千家一門(表千家、裏千家、武者小路千家)の墓や供養塔や利休の茶の師・武野紹鴎の墓がある。利休ゆかりの茶室「実相庵」では毎年2月27日に利休忌が行われている。国の名勝指定の枯山水の名園がある。 |
| 南宗寺・総門、広い敷地、寺の規模にしては小さな総門。 | |
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| 南宗寺・重要文化財指定甘露門(1652建立) | 南宗寺の坐雲堂 |
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| 南宗寺・禅宗様仏殿。国指定の重要文化財 | 千利休の墓(真中後ろ)と表、裏、武者小路の千家一門の墓 |
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| 南宗寺の本堂(方丈) | 南宗寺・千利休の茶の師、武野紹鴎の碑 |
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| 南宗寺・唐門・国指定重要文化財 | 南宗寺の名勝指定の名園・枯山水の庭園 |
南宗寺の入り口と禅堂、座禅会も行われている。 |
徳川家康の墓(南宗寺内)![]() |
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| 仏殿内の「釈迦如来」、右に普賢菩薩、左に文殊菩薩像。 | |
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| 臨済宗の大安寺・納屋助左衛門の旧宅。秀吉の怒りにふれ、カンボジヤへ追放されるとき寄進したといわれる。 | 堺港の守り神の開口神社。新羅から帰った神功皇后が創建。 のちに天平18(746)年、行基が境内に大念仏寺を創建。 |
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| 満年山少林寺の庭園。元治2(1370)年、桃源宗悟の開山。織田信長に寺地を没収されるが、秀吉によってとかれる。 | 仁徳天皇陵。5世紀に造られた前方後円墳で、全長486メートル、面積46万平方メートル、世界三大古墳の一つ。 |
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| 色ずく大仙公園のイチョウ | 仁徳天皇陵外濠に映える紅葉 |