第4回おおさか発見 タウンウオッチング
2001.7.14
大阪上町台地散
猛暑、炎天下の
難波宮跡地に立つ
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ウオッチングコース 15時40分・地下鉄谷町線谷四駅スタート→難波宮跡→大村益次郎碑→聖マリア大聖堂・細川ガラシャ、高山右近像→歴史街道→青刻昆布発祥の地碑→越中井・細川忠興屋敷跡→森之宮神社→JR森之宮駅→JR天満下車 18時
◎食事「上川屋-春駒」  平尾夫妻同行
  上町台地は歴史的に大阪の政治、経済、文化、商業の中心として栄えた。
    ◆難波宮跡◆

商都のイメージを持つ大阪に、奈良、京都にも匹敵する壮大な条坊制の都が、ごく短期的ながら構築されていた。
7世紀中ごろから8世紀初頭にかけて、孝徳・天武天皇の前期難波宮と聖武天皇の後期難波宮の複合遺跡とされる。645年の大化の改新に伴う難波遷都以来約150年間、日本の首都・副都心として先進国中国の都市計画法に習った政治都市が造られた。
  ◆難波宮大極殿跡に立つ◆

宮殿の中心的な建造物であった後期難波宮大極殿の基壇を復元したもの。敷石が広大な敷地に点在している。壇上から大阪城の天守閣やOBPのビル軍が見える。国の史跡に認定されている。

いまは自由に出入りができる公園としても使われている。大阪のど真ん中にこんなに大きなスペースがあるとは・・・
   ◆大村益次郎殉難碑◆
明治維新でわが国の陸軍の兵制を確立した大村益次郎が没したところ。文政7年(1824)に山口県で生まれ23歳で適塾に入り洋学を学ぶ、明治2年(1869)に兵部大輔になり兵制の確立に奔走したが士族の反感を買って同年9月に京都・木屋町で襲撃されて大阪に送られ、右足を切断する手術を受けたが死亡。左の写真は高さ10mの碑。
右側の写真→書見している大村益次郎のレリーフ(上町筋法円坂2丁目)
   ◆玉造聖マリア大聖堂◆
カトリック玉造教会。教会内部の正面に堂本印象画伯の描いた細川ガラシャのマリア絵がかかっている。

ぶらりと立ち寄ってみたら、教会の人が教会内部まで入れてくださり、しかも懇切丁寧に説明してくださった。写真もすべてOKでここには掲載していないが大礼拝堂はキリスト誕生から・・・すばらしいステンドグラス絵の数々、日本でも有数というパイプオルガンもみせていただいた。
   ◆左-細川がラシャ夫人像
   ◆右-高山 右近像◆


大聖堂の正面には、細川忠興の夫人で熱心な
キリスト教信者だった細川ガラシャの像と、キリシタン大名として知られる高山右近の像がある。


細川忠興は慶長5年(1600)の関が原の戦いで徳川家康に従って上杉攻めに参加したため、反家康で挙兵した石田三成は大坂に残っていた大名たちの妻子を人質にしょうとしたが、忠興の妻玉子は三成の命に従わず自害した。玉子はガラシャといわれるように洗礼を受けた熱心なキリシタン。自殺はキリスト教の掟に反するとやむなく家臣に胸を突かせたという。ガラシャ夫人37歳。

◆越中井・細川忠興屋敷、井戸跡◆

大阪歴史の散歩道を登っていくと道の真中に保存されている細川越中守忠興(1563-1645)の屋敷跡がある。今は井戸だけが残っている。忠興は慶長5年(1600)の関が原の戦いで徳川家康に従って上杉攻めに参加したために、妻・細川玉子・ガラシャ夫人『明智光秀の娘)は石田三成方に攻撃され自殺する。
左写真・大阪歴史の散歩道上町台コース
 ◆右写真・青刻昆布発祥の地◆

昆布加工品の原点である青刻昆布の主生産地大阪における創始は1721(享保6年)といわれている。文化年間に中国(清)に試売し1820年頃から販路を拡張、製造は大阪上町台地において行ってきた。1900年(明治33年)には大阪の刻昆布が国の重要物産品に指定されている。1998(平成10年)には大阪特産物品として国により認証された。