| 堺 史跡めぐりウォーク 2005.2.20 (らくらくウオーキングクラブ例会) | |||
![]() |
JR三国が丘駅→竹内街道→仁徳陵→大仙公園(博物館)→南宗寺
→少林寺→顕本寺→千利休屋敷跡→与謝野晶子生家跡 →ザビエル公園→刃物伝統→小西長行屋敷跡→宝珠院→妙国寺→西本願寺堺別院→覚応寺
→山口家住宅→旧鉄砲梶屋敷→南海七道駅 ・・みぞれまじりの堺の歴史探訪、この町は訪ねれば訪ねるほど歴史の宝庫、重みのある町。堺市の歴史への思い入れは道々の案内板、標識、マップ、史跡の説明板・・・私が知る自治体ではNO・1。 ←★写真 JR三国ヶ丘駅スタート 9時30分 (財)大阪府地域福祉推進財団からウォーキングについて同行取材がありました。お役にたてるやら・・ |
||
![]() |
![]() ◆街道分岐点 左の写真・竹内街道(写真左へすすむ)と西高野街道(写真を右へすすむ)の分岐点←↓ ![]() |
||
![]() |
![]() |
||
![]() ←◆古代のロマン 仁徳天皇陵周遊路案内標識 詳細な説明が書かれている。 →銅亀山古墳 |
![]() |
||
![]() |
![]() |
||
![]() |
◆仁徳天皇陵 ←↑ 仁徳天皇陵。5世紀に造られた前方後円墳で、全長486メートル、面積46万平方メートル、世界三大古墳の一つ。御陵の周囲は遊歩道が整備されていて格好のウォーキングコース。 |
||
![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
||
| 大仙公園内の堺市博物館見学 | 大仙公園内の堺出身千利休像前 | ||
![]() |
![]() |
||
| ◆千利休に由緒のある南宗寺南宗寺 龍興山南宗寺、弘治3(1557)年三好長慶が建立した臨済宗大徳寺派。大坂夏の陣(1615)で焼失したが、元和3(1617)年に当時住職であった沢庵和尚によって再建された。千利休が禅の修業をした寺でで境内には利休をはじめ千家一門(表千家、裏千家、武者小路千家)の墓や供養塔や利休の茶の師・武野紹鴎の墓がある |
|||
![]() |
![]() |
||
| ◆臨済宗の大安寺 納屋助左衛門の旧宅。秀吉の怒りにふれ、カンボジヤへ追放されるとき寄進したといわれる。 |
◆少林寺 1330年、桃源宗悟によって開山された。開基である小林亮法の法名から「小林寺」とよばれ、後に、達磨の嵩山少林寺にあやかって現在の寺号になったといわれている。 |
||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| コース(てくてくろーど)中、さまざまな標識が立てられており説明も詳細、わかりやすい。 | |||
![]() |
![]() ◆堺市女性会館 玄関横に与謝野晶子の歌碑、ロビーの女性の像には「すべて眠りし女 今ぞ 目覚めて 動きたる」と晶子の歌が刻まれている。 ここで弁当を食べさせてもらった。 |
||
![]() |
![]() |
||
| フェニックス通り・・・みぞれが降ってきた、寒い! | わずか5年あまりの短命だが堺幕府があった顕本寺 | ||
![]() |
![]() |
||
| てくてくろーどマップと史跡の解説付き案内標識。よくできていてこれを参考にすれば地図もいらないくらい。 | ◆宿院頓宮 住吉大神と大鳥井背大神をお祭り、堺の鎮守の神。付近はかっての繁華街。 | ||
![]() |
![]() |
||
| 日本の道100選に選ばれたフェニックス通り | フェニックス通り宿院交差点の常夜灯 | ||
![]() |
![]() |
||
![]() |
◆千利休の屋敷跡 安土桃山時代の茶人千利休は、大永2(1522)年に堺の魚商の長男として生まれ名を宗易といった。若い頃から北向道陳や武野紹鴎ニ茶の湯を学び、南宗寺で禅を体得してわび茶の世界を大成させた。「茶の湯の真味は草案にあり」として草庵風茶室を創作。織田信長、豊臣秀吉仕えたが、秀吉の怒りを買い天正19(1591)年に切腹を命じられ70歳で自害した。利休のわび茶は茶道千家流に継承されている。屋敷跡には、利休が茶の湯に利用していた椿井が残っている。 |
||
![]() |
![]() |
||
| 与謝野晶子の歌碑と生家跡・大道通り(阪堺線) 海こひし 潮の遠鳴りかぞえつつ 少女となりし 父母の家(歌碑) |
|||
![]() |
![]() |
||
| 大通り筋にそって堺の昔を描いた絵が立てられている。 | |||
![]() |
![]() |
||
![]() |
◆チンチン電車 広告を車体いっぱいに書いた色とりどりのチンチン電車が走っている。大阪市内恵比寿町と浜寺駅前をむすぶ阪堺線。明治44年に開業。 ◆開口神社↓ 堺港の守り神の開口神社。新羅から帰った神功皇后が創建。のちに天平18(746)年、行基が境内に大念仏寺を創建。 |
||
![]() |
![]() |
||
◆大小路筋と晴明辻跡堺のシンボルロードとして堺の町ができた頃からメインストリート。名前の由来はわからないが文献によると室町時代から呼ばれているという。戦国時代は道の両側に豪商が軒をつらね賑わっていた。この交差点に平安時代、陰陽師安倍晴明が占い書きを埋めた場所とされ占辻、または晴明辻と呼ばれた。ここで占いをすれば必ず当たったとといわれている。 |
![]() |
||
| 大小路は摂津国、和泉国、河内国の国境にあり、堺という名前のおこりになった。 | |||
◆フランシスコ・ザビエル芳ショク碑→ザビエル公園にある。日本にキリスト教を伝えたザビエルは1550年(天文19年)で、ザビエルに屋敷を提供して布教を助けたのが、堺の商人日比屋了慶。その屋敷跡が公園になり渡来400年を記念して建てられた碑。 ←◆堺鉄砲の碑 公園内にある。 |
![]() |
||
![]() |
![]() |
||
| 堺の「匠の文化」刃物伝統会館 | 大道筋のチンチン電車に沿って紀州街道が続く | ||
![]() ←◆小西行長屋敷跡 秀吉に仕え熊本宇土城主になったキリシタン大名小西行長屋敷跡。 →古い家並みの続く紀州街道をすすむ。 |
![]() |
||
![]() |
◆宝珠院三光山宝珠院は、栄亮大僧正の開基で真言宗に属し本尊に虚空像菩薩を祀っている。1868年(慶応4年)当時堺の警備にあたっていた土佐藩士とフランス兵との紛争で切腹した土佐藩士11名の墓がある。烈士の墓は昭和13年に国の史跡に指定された。 |
||
| ◆妙国寺 広普山妙国寺は、堺の豪商油屋常言、実兄常祐によって1562年(永禄5年)に創建された日蓮宗の本山であり朝廷より勅願寺と定められ、豊臣、徳川氏より朱印地として給せられた。国の天然記念物に指定されている樹齢千百年の大蘇鉄がある。1868年(慶応4年)当時堺の警備にあたっていた土佐藩士とフランス兵との間に紛争がおこりフランス兵に死傷者を出した堺事件で責任をとった土佐藩士が同年2月23日に切腹した場所でもある。 妙国寺で切腹した土佐11烈士が眠る法珠院、11烈士の墓。→ |
![]() |
||
![]() |
◆西本願寺堺別院 北御坊とも呼ばれる(浄土真宗)。南北朝時代に足利義氏の第四子道祐が、本願寺覚如(親鸞の曾孫)に帰依して創建したのが始まり。後に第五世道顕が1470年(文明2年)に堂字を再建し、蓮如を招き落慶の導師とした。また、同8年に境内に信証院という一字を営み、蓮如がここに居住した。現在の本堂は1825年(文政8年)に再建、堺最大の木造建築物。京都西本願寺とまったく同じ設計。明治4年から10年間、堺県庁として使われた。1945年の堺空襲にも焼け残る。本堂前に「却初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」の与謝野晶子の歌碑がある。与謝野鉄幹の父は西本願寺の院内僧であった。本堂は文政8年(1825)に再建された堺最大の木造建築物。←↓向かい合う親鸞(右)蓮如(左) |
||
蓮如上人![]() |
親鸞上人 |
||
![]() |
![]() |
||
| ◆山口家住宅◆ 慶長20年(1615)の大坂夏の陣で堺は焼き討ちにあった。山口家はその直後に建てられた庄屋・越前屋の住宅。江戸前期の商家風で国の重要文化財に指定されている。現在も14代の当主の住まいになっている。小さなくぐり戸から入ると広い土間、太い梁が走り、槍鉋で仕上げた天井板など重厚な建物。 |
◆鉄砲鍛冶屋敷町跡◆ 堺の鉄砲の伝来は、ポルトガル人が1543年(天文12)に種子島に伝えられた火縄銃。その製法技術を学んだ堺の商人橋屋又三郎が芝辻清右衛門に教えて始められた。その遺跡は南海七道駅北西にあり江戸時代は砂浜ちかくであったこの地で製作された鉄砲の試射が行われた。現在、堺に残っている唯一の鉄砲鍛冶屋敷・井上関右衛門家がある。七道駅北西には「鉄砲鍛冶試的場跡もある。鉄砲の技術が近代になり自転車産業に活用され今日、堺が自転車メーカーの都市として世界に知られるところとなった。 |
||
![]() |
![]() |
||
![]() |
◆写真・上 鉄砲鍛冶射的場跡 ダイセル工場の一角に立っている。 写真・左上 堺の特産線香の薫主堂 幕末建物で今も営業中だが本日は日曜日のためお休み。 写真・左 ゴールの南海七道駅 ★ここからオプションコース、JR阪和線杉本町駅、市立大学横のらくらくウォーキングクラブ副ブー張さんのホーム目指して進軍 ! 疲れも吹っ飛ぶたのしい時間が待っていた。 |
||