阪神淡路大震災10周年  
らくらくウォーキングクラブ 第5回 追悼モニュメントウォーク
     らくらくウォーキングクラブ第37回例会 
  第5回 震災ウォーク「折り鶴に祈りをこめて」
      
1月16日(日) 参加者10名
 
 6,433羽の折り鶴をNPO1.17希望の灯りへ贈呈↑
     
(鎮魂の発信地-東遊園地・「希望の灯り」前

10時30分スタート・三宮東遊園地→小野八幡神社(折れた鳥居)→震災メモリアルセンター(脇浜)→人と防災未来センター→常光院(押絵千体地蔵)→筒井八幡神社(再建鳥居)→西灘小学校(アッコちゃんの時計)→西灘公園(慰霊碑)→都賀川公園(桜の植樹)→澤の鶴→都賀財産区墓地(慰霊碑)→春日神社(再建鳥居)→JR六甲道駅(全線開通記念モニュメント)15時30分ゴール
←鎮魂の発信地-東遊園地の 「1.17希望の灯り」
 「希望」を照らしだすもの、それが「灯り」だという。
★1.17希望の灯り★↑
 一九九五年一月一七日午前五時四十六分
 阪神淡路大震災
 震災が奪ったもの
 命 仕事 団欒 街並み 思い出
 ・・・たった一秒先が予知できない人間の限界・・・
 震災が残してくれたもの
 やさしさ 思いやり 絆 仲間
 この灯りは
 奪われた
 すべてのいのちと
 生き残った
 わたしたちの思いを
 むすびつなぐ

碑文)6432の命と生き残った私たちへのメッセージ
この灯りは永遠に灯し続けられる。
 ・・・第一回モニュメントウォークの写真・・・

 
 ↓慰霊と復興のモニュメント→
←★慰霊と復興のモニュメント↑
東遊園地内にある。幅十メートル、高さ1メートル、奥行き7メートルの巨大な御影石の板から水を下へ噴射させて宙に浮かせた形をつくり「未来」をイメージしているそうだ。
下に地下室を作り、「めい想の空間」として壁面に犠牲者の名を刻み、静かな環境の中で鎮魂の思いに浸れるようになっている。国際的に活躍する楠田信吾さんの作。

★めい想の空間
震災でなくなられた神戸市の犠牲者の名前が刻まれたプレートが建物の壁面一面、アイウエオ順に並べられている。神戸市外の方も刻まれる方向のようだ。地下室のむき出しの壁面では冬は寒いだろう。千羽鶴でも飾ってあげたら・・・ヒロシマ出身だから原爆の子の像の千羽鶴が浮かんできた・・それが皆の協力を得て実現できた。うれしい。
 10年前が信じられない1月16日のおだやかな神戸の朝、そして神戸市役所、いつまでも。


   小野八幡神社

三宮のビジネス外の真ん中にある小野神社の入口には、両側に折れた鳥居が二本ずつ置かれている。
しめ縄をかけ渡す「しめ鳥居」だったらしい。左右の各一本に「甦れ神戸 復興祈願」と彫ってある。
人と防災未来センター、午後から天皇、皇后両陛下がこられるということで厳重な警戒が行われていた。
住宅街の木々に囲まれてたたずむ若宮八幡神社の再建した鳥居。柱に「復興阪神淡路大震災」の文字が彫られている。震災では社殿も傾いたそうだ。周辺は壊滅状態になり境内も被災者の宿となったという。 どれ一つとして同じ顔がない押絵千体地蔵がある常光院。慰霊者の魂を慰めるためにと自らも被災者であった押絵「みやび流」三代目の小西松甫さんとお弟子さん150人が制作、奉納した。残念なことに日曜日のため中に入れなかった。
王子動物園 神戸市立王子市民ギャラリー
あたたかな日差しを受けて坂道を上り下りしながら西郷川を 道端や軒先の花々が心癒してくれる・・早い春が


一家は、その後、須磨区へ転居したが、たまたま同級生が高校へ受験するのを見たお母さんは、亜希子ちゃんと姿が重なり「お母さん、お別れした後に私に何をしてくれたの」という声が聞こえたような気がしたという。
「娘が生きたあかしを残したい」と学校を訪れ、モニュメントを置かせてもらうことにした。子供たちがいつまでも眺められる時計を校庭横の通学路に置くことにしたそうだ。


時計になって帰ってきたアッコちゃん

 「あの子は天使です」
 アッコちゃんの時計に語りかけ

西灘小学校校庭横の花壇の中に背丈3mの時計と碑がたっている。卒業できなかった浅井亜希子ちゃんをしのぶソーラー時計だ。あじさいをあしらったプレートには「あの子は天使です」という母、鈴子さんのことばが刻まれている。

浅井さん一家の住んでいた灘区の家は震災で全壊した。11歳の亜希子ちゃんは8時間後に救出されたが、破壊された筋肉から出る毒素による「クラッシュ症候群」に侵されていた。そして、2月10日、短い生を終えた。
「お母さん、泣いたらあかんで。私、大丈夫やから」。手術の前に、お母さんの首に両手をまわし、逆に励ましたのが最期の言葉になったという。
阪神大石駅のすぐ南側、西灘公園の一角ににある慰霊碑。ここ西郷地区は八割が全半壊、113名が亡くなった。同姓の名前が目立つのは家族で亡くなられたのだろう。
都賀川沿いの桜の植樹・目標は6,400本。この地域には、「澤の鶴」をはじめ酒造七社の蔵がある。↑
都賀川公園の石碑「復興の誓い」、碑には”協働と調和の精神を財産とし、さらなる復興へと力強く歩む”とメッセージが込められている。 933名が亡くなった灘区。街づくりのシンボルにと。 都賀財産区墓地・慰霊碑 阪急六甲の南側住宅地の中にあり通学路に面している。震災を語り継がねばと子供たちと触れ合える場所に立てられた。地区犠牲者158名の名前が刻まれている。
 

  春日神社の再建鳥居

右・震災で倒壊した鳥居が再建されたもの。

左・県指定文化財の
 「神前の大クス」
 「市民の木」
樹齢500年、周り17.4m
高さ18m。根元から二つに分かれ、さらにそれぞれが二つに分かれて4本の太い幹が伸びている。奈良の春日大社から分離して植えられたとか。

JR六甲道駅
  復興の誓いの碑

鉄道員の復興への誓いが壁面に刻み込まれている
全線開通記念モニュメント

月11日のNHKのプロジェクトXで「六甲道の開通」にかけた建設会社の物語が報じられていたのでその余韻をもって六甲道駅にゴールでき。
写真左は、らくらくウォークの特徴、作成した資料を読み上げて学習をしている姿。

●NHKの記事にリンク

鉄道マンの誇りと喜び
左・復興への誓い
右・駅前のモニュメント


大震災でJR西日本は、137両が脱線、転覆。山陽新幹線の橋げたは8ケ所が落下した。駅舎の中で唯一全壊したのが六甲道駅だった。しかし、わずか2ケ月半で復旧、4月1日に全線開通させた。

「地域復興に貢献するとともに夢と豊かさを提供し続けることをここに決意する」とプレートに刻まれている。