のんびりゆっくり 東海道シリーズ-1

2007.4.14 三条大橋 → 大津

2007年4月14日
最初の一歩、きょう、ここに印して!
2010年5月2日
ふたたび最初の一歩に戻って!
さあ、いよいよ
東海道五十三次ひとり歩きの
出発だ!

京都三条大橋から
東京日本橋を目指して
3年をかけて歩いて行く。

きのう2007年4月13日が
67歳の誕生日

3年後の2010年4月13日の
70歳の誕生日に
東京日本橋にゴールと決めた。

どんなドラマがあるかしらないが
わくわく、どきどきしながら
3年間を楽しく歩こう!
2010年4月13日、無事に3年間の旅を続けてお江戸日本橋まで歩いて行くことができた。

無事に完歩できたのは、第一歩があったからこそ、その一歩を記した三条大橋から最初の宿場、大津宿、瀬田の唐橋まで思い出をたどりながらお礼に歩いてみたくなった。

また、いつまでも、東海道五十三次の完歩・感動に浸っていては、第二歩が踏み出せないので、そのけじめのためにも、歩いておきたくなった。道中、同じ場所を歩いた写真を添えて2007年4月14日を再現してみたい。


      2010年5月2日↓
快晴の京都、三条大橋横の遅い桜が祝福してくれているような陽気の中で気持ちも高ぶる・・・
おなじみの弥次さん喜多さんに、旅のあいさつをして、スタートの記念写真をそばにいた青年に撮ってもらう。手に持っているのは証明書代わりのポスター。
 気楽に行こう
 のんびり歩こう
 
 さあ出発!
三条大橋西詰を午前11時15分、いよいよスタート!
まずはコース1枚目の写真は三条大橋からおなじみの鴨川の流れを撮る。
行ってきまーす!
   あっ、もう川床が!(上流)↓
橋を渡って京阪三条交差点をまっすぐに三条通りをすすんで行く。
 
     高山彦九郎さん、 行ってきまーす! 高山彦九郎さん、戻ってきました!



三条大橋の東詰に皇居望拝姿の高山彦九郎の銅像がある。高山彦九郎は、江戸時代中期の勤王思想家で、 幕末の勤王の志士たちに 大きな影響を与えた人物と云われて いる。幕府の権力が強い時代に 尊皇を唱え幕府を批判した銅像は彦九郎が京都を出入りする度に皇居の方角を向き、ひれ伏 す姿を再現しているという。

説明板には、18才の時以来、五回上洛したが、京都に出入りする 折には、この銅像の姿のように、京都御所の向かって拝礼した。 その姿は、和歌にも詠われ、明治維新を成就した勤王の志士達は、 彦九郎を、心の鑑と仰いだと書かれている。
白川の柳の新緑がまぶしいほど、絶好の日和となった。これならいい歩きができるぞ!
これから3年、この白川の流れのように、ゆったりと、気負うことなく、東海道を歩いて行けたらいいなあと思う。
 まったく同じ光景だな↓
東山三条交差点を渡り三条通り白川橋へ。
   
 ちおんいんぎおんきょうみち
と彫られている。史跡 三条白川橋道標
京都市立白川小学校前を通っていると掲示板にたくさんの掲示物が貼ってある・・・
ちょいと拡大してみると・・・

 4月(April) エイプリル
 え いえいおー
 い きおいよくスタートだ!
 ぷ らんをたてて
 り そうにむかって
 る うるをきめて

平成19年度(2007年度)もスタートです。
目標を立て計画的に自分のできることを
こつこつがんばっていきましょう。
 あっ、これはなかった!
↓坂本竜馬 お龍「結婚式場」の跡
(2009年9月建立)この人動かない。


「当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。元治元年(1864)8月初旬、当地本堂で、坂本龍馬と妻お龍(鞆)は「内祝言」、すなわち内々の結婚式をしました・・・以下略。説明板


いいこと書いてあるなあ。おじさん(あえて)もがんばって目標の東海道五十三次完歩をめざして、歩行計画をたて、計画的に、こつこつと歩くで!となりの掲示物の白川だよりには、学校行事や先生の転任や、学校の今年度の取り組み等が学校外の人にもわかるように掲示されていてすばらしい学校やなあ・・・と感心感心。
そして校長先生からの「新しい年度を迎えるにあたって」というメッセージが発表されていて

★学校目標「一人一人が輝く学校」
★学習目標「話す 聞く 読む 書く」 
★生活目標「あいさつ ありがとう あとしまつ」

とある。ええこと教えてる!子供たち、大きく成長してや!こういうのを見るとさわやかな気分になるね、神社やお寺でこういう言葉に出会うのは楽しい。うきうきしながら粟田神社の前を通りウエスティン都ホテルの前を足取り軽く行く。
蹴上の信号からだんだんと坂道が続く・・・疎水べりの桜がまだ残っている。まさに風景は春満開、申し分のない旅立ちの記念日になった。  3年前はさくら、いまはつつじの季節に
観光客が隧道から出てきた。  隧道の向かい側、京都市蹴上浄水場。
蹴上の浄水場の前を通り快調に上がっていく。うん、坂道を上っていく男性の後ろ姿が目に入る。

あの人も、もしや東海道を歩く人なのだろうか・・これからいろんな出会いがあるだろうなあこのあたり日岡峠。

11時52分。
ややくだりになるあたりで「車石広場」に出る。 かってここには、車石が敷かれていた。車石については後で説明あり。 三条通りは ハナミヅキが街路樹。



ピンクと白、かれんに、きれいに咲いて目を楽しませてくれた。






米俵を運んだ往年の牛車道を模したという。
少し進むと道は二つに分かれ、右の細い道へとすすむ。天気よし、少し汗ばんできたが気持ちの良いウォークになりそう。時間は11時59分。さっきの男性がここで立ち止まって地図を見ていたので声をかけたら、行先は東海道ではなかったので自分の持っている京都市の地図で確認、お礼を言われたのはいいが、あの人、疎水まで帰るのだ。11時59分。 日本橋まで歩いて最初に、どっちの道を行くのか立ち止まって地図を眺めたところ、なつかしい。
街道でみかける神社やお寺の掲示板に書かれていることばに出合うのも楽しみの一つ。お寺や神社の名前を出さないといけないのかもしれないが、いただいた言葉を大事にすることでご了承をいただきたい。熊野古道でもこれが楽しみだった。
大乗寺?光照寺だったか、どちらかの参道。 同じ掲示板にちゃんと言葉が書かれていた。
曲りくねった細い旧道の両側は民家が続いてい。少しずつくだっていく。山科の町が見えてくる。
木食遺蹟・梅香庵址(亀の水不動)
木食正禅養阿上人が東海道のゆかりの亀の水。亀の口から水が落ちている。東海道日岡峠の改良に力を注いだ木食正禅養阿上人が、掘り当てた井戸水を亀の口より落として石水鉢に受け、牛馬の渇を癒すと共に、道往く旅人に湯茶を接待したという。ここには、去年の12月のウォーキングクラブの疎水ウォークで立ち寄っているので5か月ぶりの2度目だ。
線香に火をつけて・・・余裕の東海道。↓
こんなところにも車石が・・・民家の玄関先に飾り石のように置かれている車石。これからしばらくの間、このような光景をたびたび見かける。ここから急な坂道をどんどん下りて行く。
坂道を下り住宅街を通り抜けると大きな道路に出る。JR東海道線のガード手前のコンビニで弁当とお茶を買いこみガードを超える。12時43分。少し進んで左の旧三条通りへ行くつもりが、うっかり通り過ごして京都薬科大学まで行きすぎてもどってくることになった。うっかりミス!弁当を食べる場所探しにきょろきょろしていて向かいの緑の木々に気をとられていた。 ←もう、そんなドジはしないぞ!
旧三条通は、名前の通り、せまくて古い民家や商店が続く。右側に「五条別れ道標」の新しい道標が立てられている。
左ハ五条橋 今ぐまきよ水道・ひがしにし六条大佛  右ハ三条通 安永4年
當麻寺をすぎ建具店の前に愛宕常夜灯がある。安永13年12月建立。
ただ歩くだけ・・・
地図もいらない
なにの心配もいらない

それでもきょろきょろ


なにか新しい発見はないか?
旧三条通をさらに進んでいく。車の通行が多いので安全第一に道橋を歩く。
安祥寺川を過ぎると吉祥山安祥寺の大きな道標が立っている。伊勢物語にも出てくる有名なお寺らしいが。
このあたりにひげ茶屋跡があるらしので探してみるがわからない。この地区のお世話をされているという酒屋を訪ねてご主人に聞くがわからない。ここは、諦めて急がないと予定時間がオーバー気味。
山科駅前に近いビルの一角にライオンズクラブの建てた新しい道標が目についた。すでに13時17分だ。さすがに空腹を覚えるが弁当を食べられる場所がみつからない。
駅前の交差点を渡ると大津札の辻まで一里半の道標と車石の説明板がビルの角に立っている。札の辻はこれから行く今日の行程にある。 三条通りの東海道碑の前にいたら青年がシャッター押しましょうか?別に頼んだわけでもないがせっかくの申し出を断ってはいけないありがとう!よろしく!はい、ポーズ!こんな優しい青年もいるほのぼのとした気持ちになった。
このあたりからウォーキング団体か、大勢のウォーカーが三々五々、歩いているのに追いついてその中を歩くことになる。スタッフらしい人が路角でご苦労さんと声をかけてくれる、メンバーの一員と間違えているらしいが、まあええや。こっちもあいさつしてにわか会員や!
道はずっと狭い三条会商店街、少し進むと六角堂・十禅寺の前に行く。遅い桜がまだ残っている、申し分のない陽気だ。
入口のところに
 
「伏見六じざう・当地地蔵尊」
と彫られている大きな道標が立っている。
ここにベンチがあったので、厚かましくも弁当を広げて遅い昼食。横に現役の井戸があった。13時25分、午後の部スタート。さあ、元気よく行こう食べさえすれば・・大人も子供と同じ!
徳林庵。仁明天皇の第四の宮ね人康親王の菩提を弔うために草設された。 今回もここで弁当を食べた。
13時24分。ウォーキングの団体がきたので、あわてて先を急ぐことにする。
三井寺観音堂道小関越の道標を通過。小関越はここから東北に向かい、西近江へ出る道で、また三井寺から今熊野観音への巡礼道でもあった。
道標を過ぎてバイパスに突き当たるとすぐバイパスを渡る歩道橋があるらしい・・・小学生の高学年くらいの男の子がそっちから来たので聞いた。”ない!”という。”ないの?”
おかしいなあと思いつつすすんで行くと向こうに見えてる。なんや、あの子もあそこ渡ってきてるはずや、あの野郎!と子供の姿を追って振り向き気がついた。
多分、歩道橋と言わないで立教、いや陸橋と言うたのだろう・・・。だから、今の子供には通用しないんや。ごめんな、疑ったりして。子供にたずねる時は、現代用語を使うこと、教訓きょうくん。
この通り、すぐ近くにあったのでござる。




ゆるやかな住宅街の道を上っていく。おだやかな昼下がり、ただ、この道で間違いないかと少し不安になるが・・・。ひとり歩きは、つねに、この不安と戦う、手分けして探すということができないから・・・・でも、これも、ひとり歩きの楽しい冒険なんだ。お江戸まで大人のお使いをしていると思えばよろし。小天道様がちゃーんと見ていてくださる。地図と資料と確認・・・あっ、あそこに人がいる。その瞬間、一人は自転車で向こうへ一人は家の中へ入った・・・・。ありゃ!
そのまま上って行くと、あった!「東海道」の文字がしっかりと彫りこまれた道標。ここにも、写真左の車石と説明板が建てられている。さらに上っていくと右からの道と合流する。


このお寺も3年前と同じように今月の言葉が書かれている、続けること。
上の車石の説明・・・東海道五十三次大津八丁(札の辻)から京三条大橋までの約三里(十二KM)の間、物資輸送する牛馬車の通行を楽にするため花崗岩に溝を刻んで切石を敷き詰めた。文化二年(1802)心学者脇阪義堂が発案し近江商人中井源左衛門が財を投じたとも伝えられている。この付近は車道と人道に分かれていて京に向って右側に車石を敷き左側は人や馬の通る道であったと伝えられている。 閑栖寺
「・・深く蓄えよ」、うーん、その蓄えをすることを忘れてきて、この有様です。恥ずかしい。
写真、右の道を上ってきた。左の道と合流した地点に道標がある。下に拡大。13時59分。 人をみたらシャッター!3年で厚かましくなった。


 3年前とどこが違う?
   道標には
   
みぎハ京みち
   ひだりハふしみみち

   蓮如上人の碑が埋もれているのか・・
このあたり追分町。この地は江戸時代、東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点に当たっていた。追分の名はこのような街道の分かれ道で、馬子が馬を追いかける事からきたもの。
多分、気温は20度以上になっているに違いない、暑い。
京都市から滋賀県大津市へ、少しずつ下りながらすすむ。雲も楽しそう。
道路の端に力強く咲いているすみれを発見!
子供のころ、いなかでよくみかけた光景。


左に立派なお寺が見えてきた、佛立寺だ。
前回は表を通っただけだが、今日は厚かましくここのお寺の中へ入ってみた。
くるしみを 人ののがれし よろこびを
きくばかりなる たのしみはなし

だれのために 涙を流し
だれかといっしょに 涙をこらえる


そんなふうになりたいね。
こちらこそ、ありがとうございます!
ここのお寺もちゃんと言葉が掲示してあった。
仏立寺をすぎ1号線に合流する前の名神の下にひっそりとお地蔵さんが祀られていた。今回初めて出会うお地蔵さんに旅の安全を祈願して・・・守ってくださいネ!
前回もお参りしたお地蔵さん、お礼を!

おかげさまで日本橋まで事故なく歩きました!
追分歩道橋へ。さらにすすむと国道1号線に並行する地点で名神高速道路の下に行く。
名神高速道路を左に、国道1号線に並行してすすむ。時間は、14時10分。やや予定より遅れてきた。

この数字を見るとやる気になるなあ・・・



「月心寺」、中をみたいと思ったが、玄関までしか入れなかった。
このあたり大塚一里塚があるらしいが・・・?一度、戻ってしっかり見たつもりだが、とうとう見つからなかった。「487.5」の標識。東京から国道1号線487.5キロ。
道から一段と高い所に「月心寺」、中に入ることは時間的にできないが、明治天皇碑や庭をながめることはできる。走井の清水として知られた茶店があったのはこのあたりらしい。走井の井筒はこの中にあるそうだ。
外からちょいと失礼、月心寺の庭。走井の名水の庭園はこれかな?ここも広重の絵にあるということだが。今回はパス。また来てみたいところだ。 広重が描いた東海道五十三次にある大津の錦絵に溢れ出る走井の水のそばの茶店で旅人が休息している姿が見られるが、この茶店が現在の月心寺といわれている。日本の名水として知られた走井の水は、多くの詩歌や文学作品に登場して有名でした。荒廃した茶店のあとを、大正時代に日本画家の橋本関雪朽ちるのを惜しんで自分の別邸にし、その後月心寺となったそうだ。
さらにすすむと「487」の標識。この数字を歩いていくのかなあ・・これは最短距離の国道だが、旧東海道は、もっともっと距離があるはずだ。いずれにしてもまだピンとこない数字。琵琶湖一周と熊野古道完歩を合計した距離だと思う。
大津市大谷町の国道一号線と京阪電車をまたぐ歩道橋を渡って左へすすむ。
前回は、この歩道橋を上らないでしばらくすすみ引返したところ。
京都三条と大津市をつなぐ京阪電鉄京津線。左側に大谷駅。大谷町に入るとすぐ「元祖走井餅本家」の石碑がある。当時の名物「走り井餅」は、いまも大津の代表的な銘菓として知られている。
あれあれ、親子で出迎えご苦労さん!
ところで今日はどちらへお出かけ?
お元気でしたか?
蝉丸神社分社。
ゆるやかな坂道を行く。とてもいい雰囲気。
料亭かねよと庭の落下した桜の花びら。
←前回はさくらの花弁が風にひらひら舞っていた、今日は緑に包まれていた。
このあたりは、なぜかウナギの料理屋が数軒続いていて、いい匂いが漂っていて・・・たまらんなあ。前回も同じだった。
逢坂関。
坂道を上りきると再び国道1号線に合流するところに「逢坂山関址」の碑と「逢坂常夜燈」がたったいる。
前は車の往来の激しい1号線。
相変わらず通行量の激しい逢坂山。
かってここに関所があったところだ。京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には、逢坂関が設けられ、関を守る関蝉丸神社(すぐ後に出てくる)や関寺も建立され、和歌などにも詠まれる名所として知られている。ここが峠の一番高いところだ。14時35分。
平安時代に逢坂山に設けられた関所・逢坂関は、伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関とともに三関と称された地。東海道、中山道、西近江路、北国街道から人とものが集中するわが国最大の交通の要として、また京の玄関口として知られてきた。江戸時代は、両脇に山が迫る狭い街道の両側にぎっしりと家が建ち並び、街道沿いには茶店や土産物を売る店も並び、旅人や牛馬がひっきりなしに往来する賑わいぶりは、東海道随一であったという。
北海道や北陸からの海産物や米等が琵琶湖から大津へ、大津の港から京都へ運ぶためには、この逢坂峠と京都側の日の岡峠は大変な難所で、ここにも車石が敷かれて荷物の運搬がスムースに進むようになったそうだ。
中間点の関所のあった逢坂山峠で休憩、3年前になかったトイレとベンチができていた。

5人のウォーカーがやってきて、どちらともなく声をかけあい東海道の話で盛り上がった。

東海道で一番景色の良かったところは?
”さった峠です”と答えたら
”そうですか、やっばり”と言ってきた。

聞くなら自分の歳を言うのがマナーや(つぶやき)それでも気持ちのいい会話が続いた
あのウォーカーさん、53次に興味があったみたい。

その逢坂山の峠のいまは、車の往来が激しい。道路脇、片側だけに歩道があるが、これも、途中、なくなっているところがあった。車の音がひっきりなしで、とても、逢坂山越えの雰囲気に浸っておられるところではなかった。ここを歩く人が一日に何人あるやら・・・左へ急カーブして下って行く。左の歩道は、そこからなくなる。
下がっていくと逢坂常夜燈があり
その先に「弘法大師堂」がひっそりと建っている。やかましいやろうなあ・・
弘法大師さんにお参りして・・・
おっと、あぶない!こわいぞ!
このあたりからしばらくはこんな道路状況が続く。危なかしくて、壁側に身体を寄せて、後ろを確認しながら、びくびく、びくびく、命がけで歩く。
あっ、障害保険入ってなかった!
まさかこんな所を人が歩いているとは!と車さんも驚いているだろう。よけて通っていく。かたじけない。
やっぱりここは怖い!
一カ所、ボタン式の横断歩道があり、反対側に渡る、道路から桜のの頃関蝉丸神社が見えてきた。逢坂関の守り神。
 これやこの ゆくもかへるも わかれては
    しるも知らぬも あうさかの関
関蝉丸神社はなにやら工事をしていた。
「486」、487地点からずいぶんと歩いてきたような気がするが、たった1キロ、それはないよ!絶対にそんなことはない!とぶつぶつ言いながら・・・国道一号線と京阪電車にはさまれた真ん中の道を一路、大津を目指して堂々とすすむ。
あー、きた、きた!
電車大好き人間にとってここは楽しい。
この光景もまったく同じ。
ここは電車ファンにはたまらない!
京阪電鉄京津線
京阪三条駅乗換大阪淀屋橋まで接続。
東海道を歩いて各地、いろいろな電車に出会った思い出がよぎる。
1号線から左の道へ入っていく。すぐ左に安養寺。「逢坂由来」の碑が建っている。安養寺の本堂は重要文化財。蓮如上人の旧跡の碑も立っている。(写真真ん中)
へえー、こんなところに重要文化財?行基作の阿弥陀如来座像が安置されているんや!
今日は道路の反対側を通ってみた。
あっ、いつのまにかウォーカーの一団が現れた。どこへ行くのやろ・・・後ろをついて行こう。
京阪電車の軌道を渡って左へすすむ。ウォーカーの集団は横の道へ入った。多分、電車の駅へ行ったんだろう。
線路を渡り少しすすむと、渡ったばかりの京阪電車の奥に関の清水がある関蝉丸神社があるので寄ってみた。あれ、さっきも蝉丸神社があったのに・・・ここは、下社。さきほどのが上社らしい。うっそりと木々にかこまれた大きな神社でずっしりとした重みを感ずる。
今回はパス。
重要文化財、六角形の時雨灯籠。確かに六角形の灯籠は珍しい。蝉丸型としてある。
庭の奥隅においしい水が湧き出るので有名な「関の清水」があった。
JR東海道線をまたいですすむ。列車が通過しているのは逢坂山トンネル。
しばらく電車見物、JR東海道線でひっきりなしに電車が通る。
         【53-大津宿】
本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋71軒、幕末には200軒を越えていたそうでその規模は東海道一の繁栄を誇っていたそうだ。

京都から逢坂峠を越えて最初の宿(江戸から京都へ向かう旅人には最後の宿)だ。宿場町としてだけでなく琵琶湖の物資が集散する港町としての機能をもった大津宿は、東海道五十三次の宿場の中でも最大の人口があり、大変にぎわったと言われている。
やっと一つ目の宿場、これは大変だ!と思った記憶がある、その程度の意識しかなかった。
大津の市街地に入ってきた。御幸町の国道161号線の美容室の前に「大津宿本陣跡」の大きな表示板が建てられている。15時5分。
このあたりは、路面を京阪電車が走っている。
車道と電車が一緒に走る大津のおなじみの光景。昔からここだけは変わらない。
歩道に貼られた大津宿本陣跡の説明板。
路面を京阪電車がゆっくりと走ってきた。のんびりとした風景だ。 京都京阪三条と浜大津を結んでいる、乗り換えれば石山寺(右へ)、三井寺(左へ)へも接続。
是より米町、京三条大橋  江戸大津  講中
碑に「蓮如上人近松御聖跡碑」と彫られている。
少しすすんで交差点が「札の辻」。向かいに大津マリア教会が見える。道は、この辻を直角に右の京町通りへすすむ。
札の辻とは・・・・書かれた表示板から・・、宿場の人足や伝馬を調達する人馬会所がおかれにぎわう札の辻を描いた文化2年、1805の「近江名所図会」。
交差点反対側、大津マリア教会口の説明板には「札の辻の由来」。
札の辻の名は、江戸時代、幕府の法令を紀した高札が建てられた4つ辻であったことに由来している。馬や人足を提供する大津宿の人馬会所もこの角にあった。ここは、東海道と北国海道(西近江路)の分岐点でもあり、京都から来た東海道は東へ向かい、西へ行くと北国海道であった。
京町通りへ。この通りは、大津市街を東西に貫く通りの一つで、京都への道筋に当たることから京町通りと呼ばれたそうだ。かっては多くの商家が軒を連ねていたらしいが、いまのその雰囲気は残っている。統一された街灯に東海道と店名がつけられた京町通りをまっすぐにすすむ。
京町2丁目の角に「此付近露国皇太子遭難之地碑」と壁に小さな説明板が張り付けてある。反対側から来たので見落とすところだった。明治24年に来日中のロシアのニコライ皇太子が警備中の巡査に切りつけられたという大津事件の地。


このあたり老舗が続く
滋賀県庁を右に見ながらさらに進んで行く。
京阪電車を横切り大津警察の前を通り
義仲寺は、平家討伐の兵を挙げて都に入り帰りに源頼朝軍に追われて近くの粟津の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-1184)を弔うために義仲の愛妾巴御前が、義仲の墓のそばに結んだ草庵をはじめとしている。
美しい景観を愛した松尾芭蕉(1644-94)の生前の遺言によってここに墓が立てられている

芭蕉の辞世の句
 「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」

わが国俳諧第一聖地として多くの俳人の句碑が立っており、境内全域が国の史跡に指定された西日の差しこむ境内は薄緑が鮮やかだった。
15時54分、日も西に傾いてきた頃、やっと、義仲寺の前についた。
ここは源義経に討たれた木曽義仲の塚があることで知られたお寺だ。

芭蕉他、多くの句碑があるが、今日は時間が迫っており、またの機会にして写真だけで素通りする。
さらに進むと左に琵琶湖がわずかに見えるあたりの道路横に「膳所城北総門跡」の碑。
←この碑を探すのに苦労した思い出。
大津と天智天皇。661年に都を大津に遷都し大津の宮を置いた。後に天皇没後、壬申の乱で廃都となった。
石坐神社(いわい)。天智天皇や弘文天皇が祭ってある。ここで少し休憩、時間は16時を回って4分。目標時間をJR石山駅17時。
ゴールの瀬田の唐橋は17時30分にする。ここから道は左へ大きく曲がりながらすすむ、わかりづらいので迷わないように、間違った道にすすまないように慎重にすすむ。
前回休憩した石坐神社に寄ってみると
明日から始まる五社祭りの豪華なお神輿が飾られて代表の方が神社のいわれから祭りまで説明してくれた。
和田神社、16時23分。
膳所神社。16時28分。中に入ってぐるり散策、ここは桜がきれいに咲いていた。 ここまで3年前の記憶通りにすすんだが、前回迷って苦労した膳所神社からまたまた今日もてこずってしまった。↓
あー、また、やってしまった!↑↓

←でも、立ち上がったからな!
膳所神社からの突き当たりを左へ、京阪中之庄駅前通りをすすむ・・・そして右へ。どうもこのあたりで道を間違えたらしい。京阪線の踏切には出るのだが、瓦ケ濱の電停がない。また、引き返してみるがわからないので誰か・・・人がいないので古い菓子屋さんに入った、だれもいないので声をかけ出てきた年配の女性に聞くと、ほんまに嫌な顔をされた。逃げるように出て・・・またトボトボ歩く、途中で会った女性が丁寧に駅を教えてくれた。やっぱり筋を間違えていた、ここで時間ロス。焦る。京阪瓦ケ濱電停横の踏切を渡り左へ大きく曲がると若宮神社の前に出る そのあたりへ行くと不思議に記憶がぷつりと
消えて前回間違った場所へまた行ってしまい
軌道修正に手間取った

ここの東海道は複雑に右へ左へ曲がりくねってひとつ筋を入り間違えるとまるでわからない、又引っ返してはやりなおし。


来年もリベンジに来てやろか!
若宮神社。16時57分。鳥居の後ろの長門は、膳所城が取り壊されるとき、こちらに移築されたもので、江戸時代初期の城門建築として貴重なものらしい。ふーん、そうか。確かにどっしりとした門だ。 東海道歩きは、このように迷い、引き返し、頭かかえて、どっちへ行くべきか・・・思案しながら歩くのがごく当たり前のこと。この区間は、むしろ簡単なコース。
若宮神社を過ぎると道がもっと複雑になる。晴嵐の交差点を超えると右にNECの建物が続く。
このあたりは「粟津の清嵐」といわれた近江八景の一つとして知られた所。琵琶湖一周でもこの近くを歩いている。琵琶湖はすぐ近くだ。
ここまで来たらもう大丈夫!
平田の信号を右へ。このあたり鳥居川一里塚があったらしいが現在は不明。
予定より遅れたが17時12分、JR石山駅に来た。この駅は、昨日は仕事で利用したばかり。駅の階段を上り下りして駅の正面に出る。ここからはよく知っている道なのでもう安心だ。
JR石山駅から瀬田唐橋までは、おなじみの道。
17時28分、ほぼ予定通りの時間、瀬田の唐橋にゴール。広重の絵にある夕照の景観地だ。
写真を撮っているとあとからウォーキング姿の男性がきたので声をかけた。岐阜の男性で56歳。この人も三条大橋からここまで来たという。簡単な自己紹介?写真を撮りあった。その人、ノートを取り出してひとこと書いてくれと頼まれた。行く先々で出会った人に書いてもらうんだそうだ。なるほど!いろいろと旅の楽しみ方を工夫してる。「無事、東海道五十三次の完歩を祈る」と書いた。でも、こっちも同じように歩いている者、なんやおかしな気分で・・・まあええや。さらに大津宿まで行くと言っていた、この時刻、きびしいなあと思ったが、気をつけてと声をかけて別れた。西日に写真を撮ってもらった人の影が長い。
東海道五十三次、初日の完歩、最高の笑顔!
途中で休憩を取りすぎたこともあったが予定より大幅におそくなって前回ゴールの瀬田川にかかる瀬田唐橋についた。


3年前より約1時間も長かったのは二回目なのに意外だったがまあのんびり歩いたことが原因だろう。ただ、それだけ体力、歩力が落ちていると自覚したほうがいいと思った。
約36.200歩、よく歩いた。



←2007.4.14 67歳    ↑2010.5.2 70歳
この瀬田の唐橋の石碑、何度、ここに来たことか、一昨日もきた。琵琶湖一周ウォークのスタート&ゴール地点。琵琶湖から大阪湾ウォークのスタート地点、思い出の場所だ。 瀬田川畔に腰をおろしてしばらくは琵琶湖朝日レガッタ大会中の大学生のボートの練習風景を見て楽しんだ。
ハプニング。
瀬田の唐橋からつながる宿泊施設しが会館(下の写真、橋の上から撮影 )で一昨日、昨日(2007.4.12-13)某社の研修の仕事できていた。研修は引き続き行われているが・・・67歳の誕生日だった昨日、自分の担当が終了した時、明日、東海道53次ウォークをスタートする予定で、天気さえよければ、夕方の6時にくるぞ!と言っておいた。18時に研修が終わるのを待って会議室に入ると、さすがに驚いていた!しかも、彼らの会社の野球帽で乱入したのだから あー愉快、愉快だった!有限実行、示せてよかった!
瀬田川、比叡山に日が落ちた夕暮れの瀬田唐橋からの眺め。右上が琵琶湖。
             JR石山駅へ引き返し新大阪へ。

よく歩いたご褒美です。

経路と交通費(自宅から最寄り駅は除く)
往路 JR新大阪駅→JR京都駅  普通 540円
復路 JR石山駅→JR新大阪駅  普通 960円