のんびりゆっくり 東海道シリーズ-11
2008.04.13 岡崎→藤川→赤坂


のんびり、ゆっくり、東海道を歩いております!
2008年4月13日(日)68歳の誕生日に岡崎→藤川→赤坂を歩いてきました。

写真↑赤坂宿ゴール 鯉のぼりと共に
写真←藤川宿から赤坂宿中間

ウォーキングのオフィシャルブロガーに採用されました ↓
うれしい勝手応援隊!
ウォーキングシューズのワールドマーチでおなじみのムーンスター社がウォーカーを対象にしているSNSに登録しているが、ここのメンバー有志が68歳の誕生日に「東海道五十三次ひとり歩きの勝手応援隊」を結成してプレゼントしてくれた。応援に感謝してうれしい友情の輪に応えたい。(2008.4.13-68歳誕生日)
今日は68歳の誕生日。はじめて経験する68の世界、デビューの日だ。その記念の日を東海道五十三次の宿場で過ごしたい!という強い思いがあって早朝7時、新大阪駅から新幹線で名古屋駅経由、三河東岡崎へ向かった。

翌14日から泊まり込みの仕事がひかえているために早く現地に入り、早く切り上げ、翌日からの仕事に支障が出ないようにするための新幹線利用にした。

コースは、岡崎市から豊川市までの岡崎宿、藤川宿、赤坂宿まで。午前中の東海道は暑くて汗が目に痛いほど、すっかり日焼けして鼻の頭が赤くなってしまった。松並木は気持ちよく歩けたし、季節の花々にもたくさん出会え、後半は田園地帯や芽吹き色に染まった山々を眺めながら満足のいく歩きができた。

4・13、68のスタートの日にこだわったが、幸先のいいデビューを果たして新米の68はご機嫌さんだ。
前回ゴール、今回スタートの名鉄東岡崎駅8時35分着。すぐ出発したいところだが、二十七曲りの地図がほしくて観光センターが9時に開くまで駅構内のロッテリアでコーヒータイム。結局、手持ちの資料以上のものはなく9時11分にスタート。駅前をまっすぐにすすみ伝馬通りをめざす。
伝馬交差点から先日歩いた七曲りに逆歩して再度、岡崎宿の中心地だったあたり、迷ったところも歩いてみることにした。天気はよし、少し風があるが気持ちがよい。先月は午後4時過ぎに歩いたので雰囲気がずいぶん違う。
駅から伝馬交差点に向かう交差点手前にある道標。この道標はここより少し北にあったものを移設したらしい。
東海道には到る所に道標があるが、当時の旅人にとって東西南北を測るものは太陽に頼るほかしかなかったはずなので、自分の行き先を示してくれる道標がどんなにありがたい存在であったに違いない。いまこうして歩いていても道標はありがたい。
伝馬通りにでると道路の両側が「岡崎宿伝馬歴史プロムナード」となって東海道、岡崎宿にちなんだ石造りのモニュメントがづらりと続いて立てられている。これを見るだけでも楽しいので、前回も歩いているのだが、もう一度歩いてみることにした。写真紹介はそのほんの一部だけ。
古い屋号の店がいまなを続いている伝馬通り。
宿場につきもの飯盛女 二十七曲りを整備した人
二十七曲り西本陣前かどここを左へ
最初の右角・総門通り 西 京都いせ道
総門通りの商工会議所資料館。大正6年に岡崎銀行本店として建てられた赤レンガと花崗岩の組み合わせによるルネッサンス風の美しい建物でひときわ目立っている。
突き当り角を右へ曲がると東惣門跡の碑がある。以下碑文より 「天正16年、徳川家康が江戸に移ると田中吉政が岡崎城主となり、総堀を築き、城下町を形成し、東海道の場内出入口として龍田惣門、松葉惣門を建てた」 
       【38-岡崎宿】 天保4年
         人口   6,494人
         家数   1,565軒
         旅籠     112軒
         本陣       3軒
伝馬通りへ、龍田公園前から伝馬通りを元の位置へ、さきほどのプロムナードの向かい側の通りに西本陣跡があり、ここからモニュメントが続いている。
伝馬通りの向かい側、今朝最初に歩いたところ。
伝馬通り交差点、ここが今日のスタート地点。9時40分。
上、今日すすむ伝馬通  下、前回あるいて今朝も歩いた伝馬通り。このあたりが勝手の宿場町の中心地だったらしい。いまも古い店が左側に残っている。
27曲り 伝馬町通りの角を右折両町へ。 
最初の角を左へ 二丁目三丁目へ。
伝馬通りから両町、若松へすすむ。きれいな道標が立てられている。書かれている案内は江戸から京都方向になっているために逆歩してくるとすべて表示が反対になっているのでややこしい。これは道路地図を含めて資料すべてがそうなっていて疲れてくるといらいらする。根石原観音堂前を通り若宮一丁目から市民病院角へ。
市民病院角に立派な記念碑が建っている。ここを掃除していたおばあさんにあいさつをしてしばし会話する。今朝、大阪から来たというとびっくりしていた。10時前だから無理もない。
記念碑の岡崎城下二十七曲りの説明。
市民病院駐車場角 二十七曲り最初の道標だ。
気をつけて!というおばあさんの声に送られて市民病院駐車場角から右へ、山本農機店を過ぎると道路左斜め向かいに二十七曲り記念碑が立っている。ここから岡崎宿が始まるのだが、自分が歩いている方向からは岡崎宿から出ていく格好だ。10時6分。
記念碑前の民家の通りを斜めにすすみ法光寺前を通り、筋違い橋を過ぎると下りになり、静かな住宅街から一変して車の往来の激しい一号線に出てくる。
一号線に並行してすすみ左の道へ入って行くと・・
再び一号線に、松並木の公園の中に東海道の道標がある、そのまま高架下をすすむと松並木が続く。
一号線から左の松並木にすすむ緩やかな坂になる。ここまで何度も一号線と旧街道と出たり入ったり・・・一号線に沿って歩けば距離も短くてすむのだが、なにしろ旧道を歩くのがルール。これがまた楽しい。
東名高速道路岡崎インターチェンジ下を通るために三つの地下通路を歩くことになった。
通路を出ると左におなじみ?のホテルがあり、すぐ一号線に出る。かなり、暑い。手からタオル地ハンカチが離せない。きょうは、元気づけのために背中にこいのぼりをたてて歩いているが・・・道路傍で水分補給と好きな一口ドーナツのおやつ。鯉のぼりが人目につくのか、こんな年寄りの歩いている姿が珍しいのか・・・どっちもやろ!車からの視線を感じながらパフォマンスウォークだ!
東京から324.11キロ 最短の一号線でこれだけなら出入りの激しい旧東海道は400キロ近くあると思わないと・・・。うーん、まだまだ道遠し、でも、それだけ楽しみが残っているということだ、そうだ、楽しんで行こう!
一号線から左の道へ入ると大きな常夜灯と散ってしまった桜並木をしばらくすすむ。
さらにすすむと大平一里塚跡につく。塚の高さが2m、周囲が7.2m、榎の高さが三m。昭和12年に国の指定史跡になったものらしい。原形をとどめている塚でいまの榎は二代目という。10時41分。ここで水分補給と小休憩。暑い、汗がいっぱい。
次の信号、大平町角に「つくて そこ  」と掘られた碑が半分は埋まったままになっている。下になんと掘られているのやら・・・?どこでも思うのだが、こういう歴史的価値のある碑のすぐ横に電柱を立てたりガードレールでふさいだりしていることによく出会う。なんとかならんのか!
大平交番所の前へ、常夜灯のまわりを町内の人だろうか掃除している。
薬師寺掲示板より 下り道の信号の手前
薬師寺の前を下り東海道の道標をすぎ一号線を斜めに渡ってしばらくすすむ。弁天橋手前を左に、小川に沿ってすすむとまた一号線に出る。振り向くとさっき渡ったばかりの横断歩道が近くに見えている。まっすぐに来れば50メートル、あー、ご苦労さん!
一号線に沿って歩いたり、離れたり、渡ったり・・・当時の東海道がいかに曲りくねった道であったかがよくわかる。それだけ地形的に複雑なところだったのだろう。一号線に沿ってすすむと乙川(大平川)にかかる大平橋に出る、11時02分だ。
大平橋を渡るとすぐ右の道へ、最初の角を左へすすむと一変して静かな住宅街が始まる。松並木が見えてきた。やっぱりこういう光景が一番うれしい。
美合新町交差点、しばらく松並木は続く。
ここの松並木はきれいに手入れされ保存されている。地元の人が保存に力を入れているのだろう・・・
民家の軒先にこの花がたくさん植えられている、笑っているようで、こちらも思わずこんにちは!
このあたりが源氏蛍の発祥地で碑があったらしいが、地図に見とれていたのか、花に目を奪われていたのか行き過ぎてしまった。これが一人歩きの辛いところ。毎回、一か所か二ヶ所、大事なところをパスしてしまう。
坂下橋を渡り上り道をすすむと右側に某大学名の入ったマンションが見えてきた。たまたま目があった学生らしい二人に写真撮影を頼むと・・・中国人留学生だった。一人はちゃんとした日本語が話せたがもう一人は片言。
今日が誕生日なので記念の写真を撮ってほしいと言うとすぐ理解してくれた。シャッターを押す寸前になったらもう一人の学生が横に入ってきた。もう一度とお願いしたらまた、寸前に入ってきた・・・楽しんでいるのか、一緒に写りたいのかは知らないが三枚撮っても同じだろうとあきらめてお礼を言って別れた。おかしなやつだ!
       右に学生が乱入しているのでかっと!
一号線に出て約1キロくらい並行してすすむ。日差しがあつい、歩く人の姿はみかけない。背中のこいのぼりが風に泳いで顔をなでてくれる。コースはこれからだ。こんなまっすぐな道は速歩、姿勢を正してどんどんすすむ、ここは距離を稼いでおくところ。
途中の阿弥陀寺で門前のお地蔵さんに今日の無事と母の快癒を祈願してお参り。全コース、自分を守ってくれているお地蔵さんには、必ずお賽銭をおいていくことにしている。熊野古道からのルールだ。藤川西の信号についた。ここから右の街道に入って行く。いよいよ藤川宿だ。
松並木の入口に大きな常夜灯が置かれているが、なんだか粗末にされているみたいに見えた。
標識に、ここから東、藤川宿、赤坂宿へ二町九里と書かれている。松並木がきれいに並んでいる。このクロマツの松並木は約1キロの間に90本あまりあるそうだ。夏は旅人に木陰を提供し、冬は防風林として旅人を守ってきたのだろう。岡崎市天然記念物として指定されている。
下の写真を撮ろうとしていたらワゴン車がやってきて碑の前に止まった。中年の男性が運転、助手席は母親らしい、うしろに女の子がひとり、なにやら話しているがなかなか発車しない。こちらの姿は完全に視界に入っている。5分も待っただろうか、もう爆発寸前、前に移動するようにたのんだら急発進して行ってしまった、空気を読め、車のNOはちゃんと写ってるぞ!
上の碑が下の車でふさがれた。
とてもきれいな松並木だが歩道はない、松並木のどちらかでも一人くらい歩ける小道はつけられると思ったが。
松並木は名鉄線をまたいで続く。
踏切を過ぎると左に吉良道の道標があって二つの道の分岐点になっている。この道を通って吉良からこれからすすむ藤川宿へ海産物や塩が運び込まれたとか。吉良とは、あの吉良上野介、その吉良の領地だった場所。
12時を過ぎた、人の気配のない道をすすむ。どこか弁当を食べるところはないか・・・?
民家の壁に接するように藤川一里塚跡の碑が立っている。記録によると藤川一里塚には
 「一、此宿より岡崎宿迄之間 壱里塚弐ヶ所
    壱ケ所 木立 左無之 右 榎 
    但、左右之塚共 藤川宿地内」と記してある。
天保年間に南側がなくなり昭和初期に北側の榎も枯れてなくなってしまった。日本橋から79番目の塚。
人影のない道をさらにすすむと
一里塚のすぐ近くに十王堂と芭蕉の句碑がある。
ここも三河むらさき麦のかきつばた 
芭蕉が藤川宿を歩いた時に詠んだ句
十王堂、十王とは瞑府で死者を裁くとされる10人の王様のこと。死んだ人はこの10人によって「黄泉の国」で次々に裁かれてゆくと言われていて、初七日、四十七日、百カ日などの宗教行事は十王の裁く日を表しているらしい。
 【37-藤川宿】 天保4年
 人口   1,213人
 家数    302軒
 旅籠     36軒
 本陣      1軒
十王堂の斜め向かいの藤川小学校前が、藤川宿の西側の入口の西棒鼻跡がある。
「藤川宿」とは、37番目の宿場で、町並みは九町二十間、約1kmであった。発足当時の藤川宿は規模が小さく、早くから加宿(宿場町の負担を負わせる村)が求められていて、慶安元年(1648)に東隣の市場村の六十八戸を現在地に移転させ、加宿市場村ができ、今の宿場の形が整った。江戸後期の宿場町の様子は、戸数三○二、問屋場一、本陣・脇本陣各一、旅籠屋三六、宿場人別は、一二一三人であった。安治川宿は江戸時代を通して幕府直轄地で、宿場町の機能は明治維新まで続いた。
・・・藤川宿まちづくり研究会立て看板より・・・
歌川豊廣の句碑
「藤川の宿の棒鼻みわたせば杉のしるしとうで蛸のあし」
豊廣は江戸時代の浮世絵師、安藤広重は門人。
発見!!道を隔てて向かい側にむらさき麦の栽培地があった。昔、藤川宿には、むらさき麦が作られ食用や染料に使われていた。今から三百年前、芭蕉は藤川宿で「ここも三河むらさき麦のかきつばた」の句を残した。それから戦後むらさき麦は作られなくなりだれも見ることはなかった。平成六年愛知県農業総合試験場の協力により再び栽培することができ地元ではじめて幻の麦を見ることができた。・・・藤川宿まちづくり研究会立て看板より・・・
歩いてきた道を振り返ってみると・・・
宿場橋から開山神社入り口の常夜灯前を通り5分。
脇本陣跡へ、現在は資料館になっている。
門を入ると左側に地図と脇本陣跡の碑がある。
昼食は、この脇本陣資料館のベンチで食べさせてもらうことにした。今日は、誕生祝いの昼食に新大阪駅で買った大好きな「おおさかすし」。箱ずし、押しずし、巻きずしのセットものだ。これが実においしい、うまいのである。12時26分から12時46分まで使わせてもらった。
脇本陣前から藤川宿の様子・・・ここらが中心だった。
となりの民家の庭に本陣跡の碑が立っている。
つる屋、米屋、銭屋の屋号がかかった店が残っている。
広重の棒鼻の図。幕府は毎年8月、朝廷に馬を献上した。宿場役人が献上馬を出迎えている絵。
本陣跡の裏側に回ってみるとこのとおり石垣跡が残っている。ここで農家のご主人と立ち話・・・奥さんが痺れを切らして ”先に帰る!” 思わず”奥さん、ごめんなさい!” 連れていたワンちゃんも座り込んだ。男の長話は犬も食わぬ?
通りをすすむとすぐ近くに問屋場跡
この通りで目立つ粟生人形店。
人形店の向かいに藤川宿高札場跡ある。
明星院入口前を通り津島神社前を行く、静かな通りがしばらく続く。
大きな常夜灯が二期ある津島神社を過ぎて
津島神社を過ぎてすぐ右の道へ入り
また、すぐ左に曲がると市場改革の碑がたっている。
そのまますすむと藤川宿東棒鼻へ、ここが藤川宿の東の入り口だったところだ。休憩。13時16分。
ここ東棒鼻の現在のたたずまいは広重の下の絵をそっくり再現したもの。
東棒鼻をすこしすすむと一号線に出てくる。そのまますすむと右手にホテルが続く。
左手高台は名鉄の車両基地みたい・・・下を豊橋方面への電車が走っている。おなじみ赤い車両があざやか!
たんぼ道を歩いていると犬と散歩している若い男性にあったので写真を撮ってもらった。実は、この道、ひとつ早く側道に入りすぎて間違っていた、後で気づく。500mほど行ったところで正確な東海道に戻る。
通行証明書
本来の東海道に戻ってゆるい坂道をスピードアップして歩く。残り時間を考えるとあまりゆっくりはできない。天気が悪くなったので4時にはゴールしたい。13時36分。
舞木橋の上ですれ違った男性に”こんにちは、東海道を歩かれているんですか”と声をかけると”そうです”とにこりともせず行ってしまった。なんだかいやな気分。なぜ、あんなに無愛想なのか?男によくあることだが、会話も残さずに、なぜ、逃げるように行く?女性なら愛そうよく言葉を返してくるのに・・・楽しく歩こう!さわやかにエールを送って歩こう! 快歩、快話、快心で!!!
まあ、人は人、俺は楽しく軽やかに歩くぞ!ふん!
どうやらこのあたりが藤川宿と次の赤坂宿の分岐点らしい。ここは舞木町。
ここで一号線に出てくる。左は名鉄線。一号線と名鉄線の間をしばらくすすむことになる。曇ってきて汗はかかなくなったが、気勢が上がらないので水前寺清子の大好きな「365歩のマーチ」歌いながら歩く。
・・・幸せはー歩いてこない、だぁから歩いて行くんだねー一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる
じーん生は ワンツーパンチ・・・・
それ行け、ここはしっかり速歩で距離を稼ごうぜ!
どんどん歩く、一号線に出てくる。また車で騒々しい。
あっ、わらびだ! あるある、あそこにも・・・
でもなあ、こんなとこで道草くってるばやいじゃない!
なんや、まっすぐきたらたいした距離じゃないのに
一号線から沢渡の交差点、松の右の道にすすむ
このあたり本宿町。
地図を見ていると後ろからきたご婦人が声をかけてきた。わけわ話すとこのあたりのことを詳しく説明してくれた。
資料にある目印の信用組合は名前が変わっていること、一里塚の碑はあそこにあること・・・
78番目の本宿一里塚の碑、道路の左右に榎が植えられていたがいまはない。
        江戸方77里余  京方47里
        赤坂1里9町    藤川1里 
ということは、まだ、まだ、行程は長いぞ。
親切に教えてくれたご婦人が前を行く
ありがとう三河の奥さん、親切がとてもうれしい!
さよーなら! 
珍しい火の見櫓、下に本宿道路元標の碑がある。
何屋さんだったやら・・古い大きな家だ。
少しすすむと左手の坂道を上がったところに本宿陣屋と代官屋敷跡、陣屋跡は富田病院になっている。
そこからすぐの法蔵寺橋を渡ると右手奥に法蔵寺の山門が見えてくる。
法蔵寺。701年に行基が開山。徳川家の祖である松平家ゆかりの寺と言われている。
境内にはいるとすぐ左手に「草紙掛松」の碑と横に長い松がある。家康が幼少の頃、この寺で手習や漢籍を受けていた時、手習の草紙をこの松に掛けて乾燥していたからという。その松は枯れ今の松はその後植えられた松という。
この寺には、新撰組・近藤勇の首塚もある。江戸で処刑され京でさらされた近藤の首を同士が掘り起こしてここに祀ったとか・・・
あたりの景色を撮っているとまた女性に声をかけられた。
"どちらから?" 事情を話すとびっくりしていた。
そして
ここの出身だがよそに嫁いでたまにしか戻ってこない
歳とともにふるさとのこの地がなつかしくて久しぶりに戻ってきて昔よくきていたこの地蔵寺にきてみた

そんな話をしみじみとしてくれた。
60くらいの方か、すごくいい出会いだった。
"自分にとってふるさととは"
また、気をつけて!と言われて元気よく次へすすむ
法蔵寺から少しすすむと1号線に合流する地点に東海道ルネッサンス本宿道標がある。ここで休憩。14時40分。
今日のゴール赤坂宿までは約5キロ、1時間20分と想定してゴールは予定の16時。タイムリミットは、名古屋で新幹線に18時、名鉄名古屋に17時40分、ゴール最寄りの赤坂駅を16時50分までに乗りたい。そうすれば19時に新大阪の仕事場に戻れて明日からの出張の荷物を整理して、自宅に戻って20時からの大河とラマがみられるというわけだ。いいペースで来ている。あとは迷うことがないように、事故のないように細心の注意をして集中力を切らさないように。一口ドーナツ口に入れて元気元気!ここからしばらくは1号線に沿ってすすむのでスピードだ、足は、問題ない、まだまだ大丈夫。気合いを入れて、さあ、行くぞ!
幸せは歩いてこない、だーから歩いて行くんだね!
少しずつ、夕闇の前触れの雰囲気。
ここは本宿、藤川宿と赤坂宿の中間にある宿としての役割を果たしてきた。もともと本宿が宿場として認められていたが、いつの間にか赤坂に代わられたということらしい。
散歩していた若者に頼んで撮ってもらった。おー、背中の鯉のぼりは元気がいい!
ここで1号線は「岡崎市」から「豊川市」に入る。
この表示も振り向かないと見えない。この調子で1号線の道路標識は西へ向かう者のためにあるので東へ行く者には裏側しかみえなくてわからないのだ。昔は、きっとこのあたりは松並木の街道だったのだろう。
名鉄名古屋線も並行して走っている。ここは信号がないのでとにかく歩け、歩けだ!
少しすすんだ倉庫前で休憩していた3人ずれの女性に声をかけた。赤坂のなんとか山へ登ってきての帰り道だとか・・・少し話して、気をつけて!と言葉をもらって元気回復、測道に入り田園の集落の曲りくねった道でわからなくなった。こんなところで時間をとられると困る。農家の奥さんに尋ねると土手まで上がってきて丁寧に教えてくれた。これはわかりにくい。またまた親切にあった。
千両橋を渡り、唯心寺橋をわたった道路わきの観音菩薩像に最後のお願い、”どうが、無事にゴールできますようにお守りください!”古い集落の道をすすむ。ゴールまで2.5キロ。
長沢小学校、寛永11年(1634)に徳川家光が上洛のとき休憩所として建てられたといわれる御殿が小学校敷地内にあったらしい。
小学校の石垣に長沢城跡の説明板。中世にこの長沢は東西三河の境目で戦略上で重要な位置にあり、東海道をはさんで北に長沢城があったそうだ。いまは堀の一部のみが残っている。
ほっとする景色、しばし橋の上から流れを楽しむ。
日本橋から77番目の長沢一里塚、木のしるしのみ。
バイパスをくぐってさらにすすむ、橋のたもとに半分埋もれた道標があった。一里山庚申の道。
八王子神社入り口、常夜灯は寛政12年 善光寺分身如来道となっている。
栄善寺道標で休憩、相変わらず元気な鯉のぼり君。
あっ、宮路山、これだ!さっきの女性3人組が登ったと話していた山の入口や!
どうやら赤坂宿に近づいてきたらしいな・・・
 【36-赤坂宿】 天保4年
 人口   1,304人
 家数    349軒
 旅籠     62軒
 本陣      3軒
赤坂陣屋跡(三河県役所跡)16時4分。
赤坂宿は旅籠が多かった。この絵は旅籠風景、庭の蘇鉄の木、石灯篭越しにくつろぐ旅人たち、飯盛女など旅籠の様子が詳しく描かれている。赤坂宿は、町の家数400軒のうち83軒が旅籠だったというから賑わった宿だったのだろう。
【赤坂宿】本陣3 脇本陣1 旅籠屋62 という記録もある。
高札場は一番人目につきやすいところにあったのでこのあたりが中心だったのかもしれない。
民芸品製造卸の尾崎屋。
二階の連子格子に軒行燈がかかり「東海道五十三次赤坂宿・曲物民芸品製造卸問屋」と書かれている。
江戸時代の旅籠の雰囲気をそのまま残す旅籠大橋屋。慶安2年(1649)年の創業。16代続く老舗で広重の絵のモデルになったといわれる旅籠。現在の建物は正徳5-6年に建てられたといわれている。2階には昔のままの遊女部屋も残っているという。予約すれば今でも泊まれるらしい。
赤坂宿のモニュメントにある高札場。
16時15分、赤坂宿モニュメントにゴール。予定より15分遅れたが多少の迷い道程度で無事にゴール、万歳!
「赤坂紅里」交差点。次回はここからスタート。
16時29分、名鉄名古屋線名電赤坂駅、無人駅だ。ホームに出たらすぐに電車がきた、ラッキー。東岡崎で特急乗り換え名鉄名古屋へ17時21分着。 50分 900円。
電車で鯉のぼり君もお疲れ!おやすみ中。今朝降りたスタート駅の東岡崎で特急乗り換え名鉄名古屋へ。
名古屋17時26分発 のぞみ→新大阪18時16分着。
予定よりうんと早く戻ってこられてほっとした。
新幹線の前テーブルで鯉のぼり君もおやすみ。
今日は、最初から最後まで鯉のぼりスタイルを通した。名鉄電車も名古屋駅も新幹線の中も新大阪駅も背中につけて。
かなり目立ったに違いないが、まあ、これも楽しい!
そろそろ静岡県の東海道が意識の中に芽生えてきた。まだまだ先は長いが、一年間でよくここまで来たものだ。
行きたいなあ・・・と思う気持ちを、行く!決めて覚悟したときに一歩が始まる。

ウォーキングはウソをつかない。
一歩踏み出し続ければ、目標の2年後、日本橋ゴールは叶うだろう。蒔かぬ種は生えない。
しっかりと自分の心に希望の種を蒔けば、あとは少しずつ耕すだけ、必ず、芽を出し、花が咲き、実りがくる。
それを確かめながらまた歩いて行こう。新しい夢の詰まった68のランドセルを背負って歩こう。

今日の通行証
経路と交通費(自宅から最寄り駅は除く)
新幹線 JR新大阪→JR名古屋往復  12,760円
往 路
復 路
名鉄名古屋→名鉄東岡崎
名鉄赤坂→名鉄名古屋
    650円
    900円
歩 数 33,600歩 22.5キロ