のんびりゆっくり 東海道シリーズ-13
2008.05.18 吉田→二川→白須賀→新居

2008.05.18 @ 吉田→二川   A白須賀→新居までは次のページへ(静岡県)
昨夜は、東海道五十三次ひとり歩きではじめて宿泊をした。今日は一泊二日の二日目、豊橋から新居までのコースを歩く。いよいよ愛知県から静岡県に歩きの舞台が移っていく記念の日だ。

今日の楽しみ三大目標は
@二川宿本陣資料館見学
A白須賀宿潮見峠からの遠州灘の眺め
B新居宿資料館見学
コースとしてはかなりハード、標準は20キロだが、コースの近辺にある史跡名所、神社仏閣は見ておきたいのでその分も含めて26-28キロくらいと推測、迷えばその分が増える。それに初めての一日三宿を巡るのでフルに動くことになりそう。
二日目の一番の問題は、コースの最後にある新居宿資料館の見学受付時間(午後4時)に間に合うかどうかだ。無理と決めつけるとそういう歩きをするので、間に合わせてやろうと思って歩くことにする。昨夜、おそくまでかかって1時間ごとの到着地点を地図上の目的地に書きこんでおいた。
帰りの電車は、18時6分JR新居発大垣行きに乗り、乗りついで22時過ぎに新大阪へ戻ってくることにしている。

                             写真→宿泊したホテル
昨夜の計画で、6時起床、7時のスタートを予定していたが、起床したものの睡眠不足だったのか、やや、気分がすっきりしないので、スタートを40分おくらせて7時40分にホテルを出て今日のコースに入った。
スタートは「吉田本陣跡」、あの鰻やさんの店の前にある本陣跡からだ。

ホテルから近いので移動時間もいらずに7時40分にスタート。

【本陣】江戸時代、公家、大名、幕府役人などが旅の途中、宿泊休憩した施設。


通りに人影はまったくない。こんな朝を迎えるのも珍しい。食事はとらず、途中のマクドナルドでコーヒーと軽く何か食べようと決めたのでしばらくは、腹ぺこで歩く。別にほしくはない。

幸いに昨日の足の疲れはない。大丈夫だ。
空はくもり、風があるので蒸し暑さは感じないが気温は上がってくるという。
昨日も夕方にきた札木交差点、人通りはまったくないが、カラフルな路面電車だけが音をたてながら走っている。
次々とくる電車が目を楽しませてくれる。

しばし観察だ。

乗りたくなるね・・・


交差点をそのまま259号線にそってすすむとNTTの前に吉田宿問屋場跡がすく見つかった。
おー幸先いいぞ!
こんなにきちんと立てられていたら助かる。
そうはいかないんだ。

このあたりには旅籠が並んでいたのだろうが、その面影はまったくないビジネス街だ。

【問屋場】
宿場を円滑に運営するために、宿役人がいた。この宿役人が業務を行うために詰めていたのが問屋場である。おもな業務は、@幕府の公用旅行者のため人足や馬の手配をすること、宿で一日に用意できる馬や人足の数も規定されていたという。A宿泊所を手配したり B幕府の書状(公用文書)を運ぶ飛脚を管理したりした。宿役人には、@問屋(宿場の代表)A年寄り(問屋の補佐役)B帳付(宿場の運営に必要なことがらを帳簿に書き記す)

豊橋を昨日から歩いて感心するのは町がきれいなこと、ごみも落ちていないしとても気持ちがいい。

いつ、だれが、掃除をしているのか・・・ゴミ箱もあまり目につかないが・・・ついつい、こんなことに関心がいく。自分が地域の役をして町内の掃除等で頭を痛めていたのでとくにゴミに関しては大いに関心があるのだ。
まっすぐにすすみ二辻目を標識に従って左へ入り、次の辻を右へ、くすの木通り中央分離帯のある大きな道路に直面する。分離帯を左に見ると史跡曲尺手門跡の碑が見える。

史跡曲尺手(かねんて)門跡。

吉田城の方角にあり、城内への入口として、関屋口、外天王口、本町口、大手口などの門があったらしい。この曲尺手門はそのうちの一つで曲尺手門口のあったこの場所に石碑がたてられている。

【曲尺手】は、直角に曲げられた道のことで、軍事的な役割を持つほか、大名行列同士が、道中から合わないようにする役割も持っていました。
江戸時代、格式の違う大名がすれ違うときは、格式の低い大名が駕籠から降りてあいさつするしきたりでした。



また、もとの通りに戻りまっすぐにすすむ、古い軒の続く朝の通りに人影はここもまったくない。三つの通りを抜けて四つ目で大きな通りに突き当たる。標識の東海道(左)へすすむ。
そのまますすむと東八町の大きな交差点と歩道橋が見えてくるここは電車通りだ。

←写真の左、歩道橋の上がり口にしたの東惣門が立っている。








東八町交差点の手前に東惣門の模型が作られている。
(立て看板の説明文)
東惣門は鍛冶町の東側に位置する下モ町の吉田城惣堀西で東海道にまたがった南向きに建てられていました。門の傍らには十二畳の上番所、八畳の下番所、勝手があり門外の西側に駒寄せ場十一問がありました。惣門は朝ムツ(午前六時)から夜ヨツ(午後十時)まで開けられており、これ以外の時間は一般の通行は禁止されていました。豊橋市  

ななめ向かいにある常夜灯に行くために歩道橋を渡る。

写真の電車の向こう側に常夜灯がある。
マンホールのデザインも路面電車だ。

実に大きな常夜灯だ。


この常夜灯は文化三年1805年吉田宿東惣門前(現在の東八町交差点付近)に建てられたものである。以来「新町の大燈籠」として吉田の名物の一つとなり近隣の町民をはじめ市民に親しまれてきたが三河地震1944年による倒産とそれに続く戦火にあって放置されてきた。この状況を憂えた常夜灯保存委員会により昭和五十五年豊橋公園内に復元されていたが平成十三年が「東海道宿駅制度制定四百年」の節目の年でもあり江戸時代に建てられていたこの付近に再復元化したものである。
平成十三年二月 豊橋市常夜灯保存委員会

(説明文のとおり)



常夜灯の前からの眺め。東八町交差点の三叉路、路面電車の線路を渡って写真向かいを左の1号線にすすむ。


ここで吉田宿を出て二川宿をめざすコースになる。
吉田宿から二川宿までの区間は、地図でみる限り、前半に単調な道が続き、後半に変化のある坂道があるらしい。
見どころはあまりなさそうだから、この1号線沿いのコースで距離を歩いておきたいが・・・。

早朝はまだ身体が十分に起きていないし無理は禁物とぺースダウンで歩こう。

無理するな、今日は長い、ゆっくりすすめ・・・と言い聞かせながら、それでも、ついつい、ピッチが上がる。40分の遅れが気になってしまう。



早い朝の道は、ほとんど人の姿はなく、1号線にそって単調な道をただすすむだけ。こういう変化のない道は疲れる。

東海道53次の街道の多くは、ごく普通の、どこにでもある道で、過去の旧街道の雰囲気を感ずることができる道は少ないのだ。



1号線 東京の起点から295キロの表示。

いま歩いている道の約3キロ先に、当面の目標、飯村一里塚だ。






立派な五重塔が見えてきた。
瓦町交差点を渡ったところの不動院の五重の塔だ。


円六橋交差点、伝馬町を通り、東高校前のバス停を通過する。さすがに汗が出てくる。それに何か食べたい。


飯村一里塚近くのマクドナルドで軽くと思っていたが、適当な店があれば入って、まず、コーヒーを飲みたい。

なんとなく調子が出ない・・・と生意気なこと。




この通り車も少ない、日曜日の早朝だからかな・・・。





三の輪交差点、8時43分、びっくりドンキーが見えてきたがここはパス。

次にデニーズがあったのでコーヒートーストを頼んだ。これが大失敗、めっちゃ待たされた。モーニングセットなのに10分あまり待たされて、コーヒー飲んで食べて3分。店長らしき人、顔も見ないで、ありがとうも言わないで釣銭だしたな、こんな店ははやらんよ。
山中橋を過ぎ、東三の輪バス停を過ぎて左の道へ入らないといけないのに1号線の向こうにマクドナルドの看板が見えたのでついついそちらにすすんでしまった。
はて、飯村一里塚は?道路の左側、三角地に見えるはず。行ったり来たりして探す、鯉のぼりを背中のリュックに立てて地図を見ながらうろうろしている初老?のおっさんを人が見たらおかしいやろな・・・と思いながら探す…見つからない。


こっちは必死なんだおーい、どこや!!
やっと見つけた、下の写真の右にある電柱の左に碑がちゃんと立っていた。探していたエリアがもっと前方の交差点近くだった。こんなところでうろうろしてほんまに悔しいよ。
それでもあきらめずに探してよかった。日本橋より73番目の一里塚。かってここに塚があったのだろう。いまは碑だけ。


マクドナルドの前を通って殿田橋を渡って住宅街の静かな道をすすむ・・・少しずつ上り道両側にきれいな花がたくさん咲いていて気持ちがいい

上り道をどんどんすすんでいく、ここは車も少なくてとても歩
きやすく足も軽快になってきた。町内の掃除が終わったのか班長さんとおばさん達のたちんぼミーティングの横を通る。


ここで水を買っておこう・・・とお金を入れると

 "まいど!”  
そして "おおきに!"
 なに??? ここは三河・・・

 ”おい、自販機君、あんた、大阪から転勤してきたんか?”
  ???
 "しっかり働くんやで!"  と言うたら

 "おっちゃんも、しっかり歩きや!""

  と言われたような気がした。  まさか・・・
緩やかな上り道がずっと続く・・・・

なんだ、この一本松?
勝手な想像だが、たぶん、東海道の残り松だろう。

それにしても姿勢がいい。



やがて道は二つに分かれるので標識に従って左の道をすすむ。実は、右にすすむと1号線に合流して岩屋観音をめぐり左から行く道と合流するらしい。岩屋観音もよりたいが、やはり、正規の道をすすむ。


9時49分。

少しすすむと道路わきに大きな松の木の根っこだけが残され、そばに碑が立っているところへ来た。
旧東海道のクロマツ跡だ。

右下の写真はそんなに古くはなさそうで、周囲の風景もいまとそんなに変わりない。一本だけが残った松の写真だ。この松が枯れたか、倒れたかで切り取られたのだろう。その松の根っこだ。きっと地域のシンボルとして大事にされてきたのだろう

左下の昭和33年のこの地区の様子、見事な松並木だ。たぶん、住宅、道路開発で伐採されたのだろう。
すぐ近くに後継者、いや後継二世松が植えられている。
この松が、上のような大きな松に生長するのにどれくらいの年月がかかるのやら・・・

それより景観のためにも松にこだわるより成長の早い樹木で街路がうるおうものの方が環境にもいいと思うのだが・・・


このあたり、火打坂というらしい。

ゆるい坂道が続く、大きくはないが松が道の一方に続く。
豊橋松並木保存会の立て札。↓
豊橋松並木保存会の立て札
坂を上り、左にカーブしながらすすむと突き当り大岩町北信号に出る。10時10分。ここから今度は右へすすむ。今度は下りが続く。
ここも火打坂、車の通行量が一気に増えて、側道歩きも危険、びくびくしながら、早くこの道から脱出したい。

昔、このあたりは大変さびしくて、石ころが多い歩きにくい坂道だったらしく、その石ころの中に火打石があって近くの村人はそれわ拾って灯りにしていたとか。


ここは車が多い。白線内をびくびくしながら歩く、東海道はこういう道をひんぱんに歩く、一番緊張することだ。

鯉のぼりおじさん、火打坂を歩く!!
火打坂交差点まで一気に下りてきた。10時9分。

岩屋観音まわりの道もここで合流しているので交通量が激しい。そのまま交差点を渡って直進する。急に町に出てきた感じだ。


二川宿はこのあたりからだろうか・・・
大きな道標が道路わきに立っている。

右・東海道 豊橋一里半

伊良湖阿志両神社道

あっ、そうか、ここは伊良湖に近いところなんだ、東海地方の地図を思い出してなんとなく位置がわかった。
そのまますすむと右側に新しい立派な駅舎のJR二川駅前に着く。10時25分。昨日たてた10時の到着予定より25分遅れているが40分も遅れてスタートしているのでわずかだが15分、取り戻した。
駅前のベンチに腰かけ休憩をしているとおばあちゃんにつれられた女の子が、”あっ鯉のぼり”と背中を指差したので顔見てにっこり笑ってやったら笑ってこたえてくれた。
かわゆいなあ。
おっちやんと行こうか!
おいおい、危ない!

このあたりはJRと新幹線が並行して走っていて、ひっきりなしに新幹線が通る。JRはこないなあ。
 【33-二川宿】天保14年(1843)

       人 口   1,468人
       家 数     328軒
       旅 籠      38軒
       本 陣      1軒
       脇本陣      1軒


いよいよ二川宿本陣も近づいてきたようだ。
ここには立派な資料館があると聞いているので楽しみ。
上の数字を見る限り宿場としての規模は小さかったようだがどこまで保存されているのやら・・
空模様が芳しくないのでそちらも気になる。
雨にだけはなってほしくない。

車を気にしながらすすむ、みんな鯉のぼり見てくれているやろな・・・古い通りが続く。
シャッターの下りた店先にひっそりと立場茶屋跡の碑があった。ここに茶店があったのだろうか。


【立場】宿と宿の間にある村を「間(あい)の村」という。間の村の中で、馬を継ぎ立てたり、人足や駕籠かきなどが休息する場所を「立場(たてば)」といった。

10時49分
同じような景色が続く・・
このあたりも旅籠が続いていたのだろう。
大岩神明宮への入口、突き当りが下の写真の宮
寄ってみるか素通りをするか・・・
やっぱり寄ってしまうのが、この人の性格。?

ここは健康の道、二川宿歴史・文化コースと表示され、道路も整備されている。
豊橋市は健康ウォーキングに熱心やなあ・・・。


←大岩神明宮。
大岩神明宮への入口の道
路反対側に大岩町郷蔵跡の碑、その左隣の消防団二川分団のシャッターに書かれた消防車が松並木を背景にしているところが面白い。


二川宿と彫りこまれた街頭で統一されている。

どんどんすすむ・・・古い民家が目立つ


古い家の玄関前に西問屋場跡のの碑がたっているが小さいのでうっかり見過ごすところだった、写真左真ん中下に見える。
なんとなく街道の雰囲気だ。
相変わらず車はよく通るが人の姿はみかけない。

屋根の低い二階のたたずまいどれくらいの年数が経った家なのだろうか、二川宿のマークのついた暖簾が掲げてある。
これから、この暖簾をかけた家、商店が多くみられた。
まっすぐな道が続く・・・
このあたりからが二川宿の中心地だったようだ。

二川町道路元標と高札場跡

背景が和菓子の老舗で店舗の写真を撮りたいのだが車が止められていて具合が悪い。カメラをかまえたら運転席からこちらをちらりと見てしらん顔!


ぶつぶつ言いながら歩いていると向こうに見えてきた・・・
いそげ!資料館だ!
10時54分。
今日、最初の目的地
二川本陣資料館に到着。

下の左写真が入口、右が入館受付所。

想像していたものより規模が大きくて立派な資料館だ。

入口の横には大きな高札場がある。

【高札場】
幕府や諸藩が、書き記した木の札(高札)を掲示した場所のこと。人々の目に触れるように、宿場の他、人通りの多い街道などに設置された
  写真 

  上の左 本陣の正面 
     右 本陣の入口から覗くと・・


史跡二川宿本陣(説明板より)
二川宿本陣は、後藤五左衛門が中町の北側で勤めていましたが、再々の火災のため没落し、寛政五年(1793)以降は、紅林権左衛門に本陣職を譲りました。しかし、文化三年(1806)12月の火災により紅林家も再起することができず、文化四年(1807)以後、明治三年(1870)の本陣廃止まで馬場彦十郎が現在地において本陣を経営していました。

馬場家本陣は、間口十七間半(約32メートル)
敷地面積は525坪、建坪は161坪。・・・・以下略。


【本陣】江戸時代、公家、大名、幕府役人などが旅の途中、宿泊休憩した施設。
これがきのう豊橋のきく宗さんで食べた「菜飯田楽」だ。
きく宗さんでは田楽はもっとあったな。


ごちそうというイメージはないが
なんとなく食べてみたくなる不思議なメニューかな。



下の写真二枚、左は東海道の旅姿。
下右は旅籠の様子。
ここでは旅籠のありのままが再現されている。
大名行列の様子が模型にされている。
参勤交代は、地方大名にとってどれだけ財政をひっ迫させたか、これも大名が力をつけることを阻止する幕府の知恵だった。西方の諸国大名は、みな、ここ五十三次を歩いたに違いない。
大名行列の隊列にまでルールがあったそうだが、たとえば、鹿児島の島津藩あたりは、何日かかったのだろうか、そして、ざれだけの財源を要したのか。篤姫は泊まったのかなあ・・・聞いてみたいけどそんな時間的余裕がない。
その行列を迎えた宿場のもてなしも大変だったのだろう。しかし、本陣の大半は赤字だったらしい。
【参勤交代について】史料館で学習したことは
江戸時代、大名は幕府から江戸に屋敷を与えられ、妻子はそこに暮らし、江戸を離れることはできませんでした。一方、大名は江戸と、領地(国元)を原則的に1年交代で往復していました。江戸に出て幕府に仕えることを参勤、国元へ帰ることを交代と言い、合わせて参勤交代と呼びました。参勤交代の経路は、幕府によって定められ許可なく他の街道を通ったり、寄り道をすることはできませんでした。参勤交代で最も多く利用されていたのが東海道(利用大名数148家)、奥州道中(37家)、中山道(30)、水戸街道(22)、日光道中(4)、甲州道中(3),その他(2)てした。
この二川宿にもっとも多く泊まった大名はだれか・・・宿帳があった。黒田藩の大名だ、確か56回だったか・・・その次が、島津藩の28回、まさか篤姫は・・・いや、もしかして。
自分のこの東海道五十三次歩きが多分34日くらいになると思われるがあの人たちは何日で歩いたのか、その何倍かの距離を何千人という人間を従いて参勤交代を続けたのか・・・いまでも信じられない。もっとゆっくりと見学したいがなにしろ後のコースがあるので残念、次へ急ぐ。
東海道五十三次に関することを学ぶならここは推薦したい。
当時の本陣と旅籠内部の一部が再現されている。

11時46分。この資料館に52分もいた。
多分、この資料館でないと手に入らないだろうと二冊の本を買った。
@東海道名所風景
A五十三次名所図会
期待の二川宿本陣資料館は、予想していた以上の充実した内容と規模とで通りすがりの見学ではもったいなかった。旧東海道のことを知りたかったらここがいい、できることなら、一日ノート書きして帰りたいくらいだ。通りからの全景。


宿場当時のままの屋号で商売をしている店もある。→
二川宿に一件ったという脇本陣跡は、いまは民家の庭先になっており説明板のみ。
ここの脇本陣は宿場の有力者松坂家がつとめていたこと、建物は、間口七間(約13メートル)、奥行き十九間(約35メートル)、畳数は九十三畳あったそうだ。


脇本陣脇本陣は、本陣の予備的施設で、大きな藩で本陣だけで泊まりきれない場合や、宿場で藩同士が鉢合わせになった場合の格式の低いほうの藩の宿として利用された。規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、本陣と同じく宿場の有力者が勤めた。
きれいに整備された休憩所。
ここで、これから向かう白須賀宿までの道と時間の確認のため地図と資料の確認をする。
いまの時間のまま歩くと、新居関所の見学時間には間に合わない。少しピッチを上げよう。










東問屋場跡・・このあたりが二川宿の東の拠点だったようだ。
写真の左「問屋」は、二川資料館で写したもの。

【問屋場】宿場を円滑に運営するために、宿役人がいた。この宿役人が業務を行うために詰めていたのが問屋場である。おもな業務は、@幕府の公用旅行者のため人足や馬の手配をすること、宿で一日に用意できる馬や人足の数も規定されていたという。A宿泊所を手配したり B幕府の書状(公用文書)を運ぶ飛脚を管理したりした。宿役人には、@問屋(宿場の代表)A年寄り(問屋の補佐役)B帳付(宿場の運営に必要なことがらを帳簿に書き記す)
二川の通りは、いまなお、古い格子窓の家が多く連なっているいい雰囲気だ。↓

←東駒屋→

見事な格子づくりの溜まり味噌の店。
寛政10年に建てられた芭蕉句の紫陽花塚がある妙泉寺寄った。「あちさいや藪を小庭の別座敷」
竹林に風の音が聞こえて、こんなところで一句でも読めたらいいなあ。
鯉のぼりも疲れたか・・・
二川一理塚の碑は店先にあった。
ここら辺りが二川宿の東の入口に当たったのかもしれない。
道は一里塚からすぐ東海道線の踏切を渡ってかんかん照りの田園地帯の中をすすんでいく。
風景が一変して東海道線。
左の高いところが新幹線。

わずかに列車の屋根が写っているが・・・

梅田川にかかる筋違橋を越えて新幹線のガードをくぐって1号線に合流していく。暑い、首にまいたタオルが汗で湿っぽくなった。

新幹線が次から次へと通過していく。
新幹線に沿ってしばらくすすむ。
左上は新幹線が通過中の車両だがわかるかな

287.4地点。

向こうから来た男性に声をかけたらやっぱり東京からの五十三次歩きの人、気さくな人で今日は、新居から吉田までという。自分とまったく逆だ、情報交換して別れた。首からメモ帳と鉛筆をぶらさげて・・・・うーん、勉強家らしい人だ歳は同じくらい、膝を痛めて一年ぶりに歩いていると言っていた。

この人の暑さ対策は、タオルで頬かむりをして帽子をかぶっていた。

新幹線から離れて、これから約3キロ、1号線と並行して歩くことになる。今日のコースでもっとも単調で見所のないところだ。
ゆるやかな上りが続く、源吾坂というバス停があるのでこの坂を源吾坂というのかもしれない。
まあ、どうでもいい、とにかく早く、やかましい1号線から逃れたい。
周囲は一面の田園風景だ。

コンビニが見えてきたので弁当と水と羊羹を買う。店員さんに弁当を食べられるようなところはないかと聞いたが、ないという。それなら、道端で食べる以外ないなあ・・・
どこを見ても木陰はない。
12時28分。
1号線の信号横の畑に座り込んで食べていると車が止まるたびにこっちを見られている。
こんな時は、パフォーマンス!
大きな口をあけて、おいしそうに、食べるんだ! 
どうだ、ほしいか「手鍋親子重」だ。うまい!

おっ、みつけた!
日本一?一日一本のバス停。
バス会社はどこ?それは内緒!
行き先のバス停「一里山」は下に出てくるよ。
ここは天下の1号線、でも、家もない、人もいない、誰が乗るのやら。「不思議発見!このバス停を利用するのはだれ」


このあたりは、たまねぎとじやがいも畑が続く。じゃがいもの花がきれいに咲いていたのでパチリ!
よく、ひとりで歩いていてさびしくないですか?と聞かれる。

実は、まったく、さびしくはない。ひとりで歩いている人は、だれでもそう答えるのではないか。
自分の頭の中はすすんで行く先々のイメージをどんどん追っているのでひまなことはない。

それに、たとえ、こんな単調な道であっても、その人なりの楽しみ方をしっているのだ。

自分の場合は、ひとり会話、スピーチ、プレゼンテーション・・・野球解説もやる。だれにも気兼ねすることなく、やりたい放題。

ラジオとか音楽は一切だめ。
音はしっかりと聞かないと事故のもとになる。
耳と目は絶対に自由にしておかないといけない。



そろそろ一里山の一里塚があるはず・・・あの木陰あたりかとすすむが見当たらない。ここで行ったり来たりでいささかくたびれた。


最後にもう一度と引っ返して何気なく石垣をみるとそこに説明板がはめ込まれていた。塚はなくて
説明用のプレートだった。

ここも執念!
でも時間を浪費した!


13時23分。

1号線の標識にそって173号線、湖西市へ左の道へすすむ
まっすぐ1号線をすすむと潮見峠の下を通るバイパスへ通じる近道になるらしい。
松の間に白い看板が立っているのでよく見てみると

 東海道五十三次宿場制定400年記念
    「一里山七本松植樹」
 平成12年3月 東海道ネットワークの会

と書かれている。七年あまりでこの大きさ、しっかりと生長してほしい。

一里山バス停。
さきほどのバス停にあったバスの行先はここなのだ。
このあたりにも家はないぞ、人がとてもくるところではないと思うが・・・
この道を抜けて173号線へすすむ。
このあたりに人家も建物もなにもない。このバス停を誰が利用しているのやら・・・。
13時32分。予定時間は大幅に遅れてきた。

新居関所見学を諦めるか、諦めないか・・・・
それによって歩き方が決まる
ここまで来て諦めてるわけにはいかないと
自分に叱咤激励!
173号線にそってゆるい坂を下っていく。

熱い、首筋がピリピリする。さすがに足がおそい。

こういうときのとっておきの歌を歌う。
チータの365歩のマーチだ。
こいつを歌うと闘志が湧いてくる・・・
真ん中の土手は県境になる小川だ。
ここで愛知県豊橋市から静岡県湖西市に入る。

13時36分。予定より大きく遅れてきた。
昨日の予定より1時間。40分遅れでスタートした分に換算しても20分遅れている。

後半に強い足に期待したい。
さようなら愛知県! こんにちは静岡県!

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