のんびりゆっくり 東海道シリーズ-16
2008.09.07 見附→袋井→掛川

東海道五十三次ひとり歩きシリーズ⑯「見付宿」→「袋井宿」→「掛川宿」、⑰「掛川宿」→「日坂宿」→「金谷宿」を一泊二日のスケジュールで歩いた。    2008.9.7-9.8
●1年5ヶ月前に京都三条大橋をスタートして今回が16日目と17日目、3年計画でお江戸まで33日をかけて歩く東海道五十三次ウォークは今回で日数も期間もちょうど中間になる。 袋井宿は京都とお江戸の真中になる27番宿場で、こちらも今回がちょうど「東海道のどまんなか」になり、3ケ年計画全体から見ればきわめて順調に、予定通りの歩程で進んでいるといってよい。
●初日9月7日(日)のコースは 「見付宿」→「袋井宿」→「掛川宿」 まで。
新大阪発6時8分の新幹線で浜松へ、東海道線に乗り換え前回ゴール、今回スタートの磐田駅へ、8時1分、40日ぶりに着く。
磐田駅の出札口に行くと向こうから"○○さーん"と自分を呼ぶ声がかかってきた、笑顔の素敵な男性が、こっちをしっかりと見てくださっている。あっ、country walker さんだ!
初対面だが、自分のことは、ホームページの指名手配写真を見られているのですぐわかったのだろう。
country walker さんは地元磐田の方、数日前に「東海道五十三次」がとりもつご縁、インターネットで声をかけていただいた方だ。一つ年上だが、東海道を往復されており大先輩。これから見付宿の入口まで、平成の弥次、喜多コンビだ!
見付宿の入口まで同行案内してくださるということでさっそく、日曜日の早朝、人影のない磐田市の商店街を仲良くすすむことになった。ここはジュビロ磐田のホームタウン、ジュビ君人形も出迎えてくれた下写真↓一人目の出会いcountry walker さん
見付天神裸祭の看板がかかる磐田駅

お菓子屋で・裸踊りの人形→いたる所で見た花飾り
磐田駅前通り商店街にはジュピロの選手のサインと足型が焼き付けられた陶板が埋め込まれている・・・。ジュピロがいかに市民に愛されているかわかるような気がした。

これオフト監督、古いなあ・・・。フットマーク。

今年、サンフレッチェから行った駒野君、頑張っている
かな?ごん中山選手はどうしているのやら?


↓通りを左へ入り弘誓山西願寺へ。ここの裏門(写真)は徳川家康が見付・中泉の拠点として中泉御殿を造り、休憩所や宿泊施設とした。のちに秀吉も使用したという。その裏門が西願寺に移築され市指定文化財になっている。
最初に訪ねたのが天平元年(729年)に遠江国府の守護神として建立された府八幡宮。
奈良時代に桜井王が遠江国司として赴任したとき、国内がよく治まるようにと国府の守り神として建立したと伝えられている。
その後南北朝時代に足利尊氏の家臣秋鹿氏が再興し、現在の楼門←は寛永12年1635年に建立された純和様建築様式門で静岡県指定の文化財になっているそうだ、実に見事な建築物に驚いた。
中門、中門を経て拝殿・本殿へと続くが、いずれも市指定文化財。

府八幡宮の道路向かい側の遠江国分寺跡へ。
道路からすぐ国指定史跡近江国分寺跡の大きな碑が見える。741年に聖武天皇の詔によって建立されたという、七重の塔の礎石が残っており、国指定の特別史跡、発掘調査が続いているようだ。七重の塔ということは当時としては高層建築物であったに違いない。

●奈良時代後期に聖武天皇によって全国の国府に建立されたのが国分寺だ。


金堂及び石段跡

金堂を中心に、北側に講堂、南側に中門が配置され回廊でむばれていたらしい。伽藍は東西約180m、南北約250mにも及んでいたらしいから壮大なものだったのだろう。

このあたりが遠江の文化の中心地だったのだろうか。

ここで今日の証明書写真をcountry walker さんに撮っていただいた。




天平通りから右へ入る↓

東海道は、大通りから道一筋、住宅街に入り大きくカープしてすすむ、掃除中の年配のご婦人によせばいいのに、また声をかけてしまった、そして驚いた!この方、この地に嫁いで70年余、そこが旧東海道であることはもちろん、歴史に詳しくてお江戸、増上寺にも縁のある由緒ある家柄の人だった。おばあさんの話は流暢に続く、品のいい方だった。驚いた! 二人目の出会い。
次の交差点が「加茂川」、少し行くと加茂川にかかる「加茂橋」「加茂橋」を渡るといよいよ見付宿の入口だ、country walker さんとここでお別れ。
←西木戸の表示灯、ここから見付宿だ。

今回は、祈願ウォーク。
○必死で生と闘っているふるさとの母延命祈願
○病んでいる家内の平癒祈願と義母への祈願
○江戸の息子の健康祈願
○SNS仲間のSさんの快気祈願
○country walkerさんの快歩祈願
  えーと・・・そうそう
○自分自身の健康祈願、商売繁盛・・・
 ちょっと欲張り過ぎかな?
あー、忙しくなるぞ。背中のリュックの中にこれだけの人を詰め込んで歩くんだ。そう思ったら、元気もりもり。


★見付という名前は、西から江戸へ向かってくると初めて富士山が見つけられる所という意味でつけられたという。
さて、待望の富士山がどこで見えるか・・・わくわくしている。


天気は申し分ない秋晴れ、暑くなりそうだ
「加茂橋」を渡るとすぐに木の碑が立っているが、ここが見付宿の西の入り口、西木戸跡。

ここから来た道を振り向くとお祭りの町内の寄り合い場所になっていた。


少しすすむとコースは右へ、見付通りへすすむ
左の狭い通りが姫街道への入り口、分岐点だ

      
      【28-見付宿】

 
      ○人 口 1,898人
      ○家 数 1,092軒
      ○本 陣     2軒

        ○脇本陣     1軒
      ○旅 籠    56軒
      

      
姫街道は、本坂通りと呼ばれる東海道の脇街道で、見付から天竜川の池田の渡しまでつながっており浜名湖を迂回して御油まで通じていた。
  
交差点左にこれより三州姫街道 御油までという木の標識が立っているが、ここが昔の姫街道の入り口だったところ。
↓見付宿場通りへすすむ。ここもジュピロの旗がかかっている。いかにジュピロがこの地で親しまれ、活躍が町の活性化に期待されているかその使命の高さを感ずる風景だ。
見付宿は道路が整備されており、往時の面影はないが、表通りから左右に入り込む小路に名前がつけられ、地図代わりに道路に埋め込まれている。見付はお寺の多い宿だ←慈恩寺-玄妙寺に寄って見た。↓臨済宗の見性寺にも寄った。ここには芭蕉句碑があった。

←見付宿通りの無料休憩所
そして楽しみにしていた旧見付学校前に来た地図の通り左宮小路へ入ると右に淡国玉神社、左に学校がある。

明治8年に建てられたという現存する洋風の木造建築最古の学校舎として国の指定史跡になっている「旧見付学校」。いまは見付を代表するシンボル的な建物のようだ。校舎の門と玄関はギリシャ風のエンタシス様式を取り入れた当時としてはモダンな学校として有名になったらしい。市の教育資料館として明治から大正時代にかけての教科書や学用品などが展示されている。東海道五十三次に関する資料も展示されている。
見付学校の隣にあるのが淡海国玉神社。見付の中央にあることから中のお宮と呼ばれ遠江の総社。
学校前の小さな休憩所で飛脚姿の男性と男女数人のグループが話し込んでいる。また、そばに行って声をかけた。驚いた、今日、三人目の出会い。
Nさん。国鉄民営化により解雇を受けた人で、その不当性を訴えてさまざまな活動をしている人のようだ。今回は、京都から東海道五十三次を飛脚の姿でキャラバンを続けているところ。まわりの人は、この地区の支援仲間と同行する応援隊。
歩くか走るかは別として、同じ五十三次に足跡を残すことは同じということか意気投合して、しばし、談笑。45歳。取り巻きの人たちも素敵だった。
このNさん、13日が日本橋到着と言っていたから、今日も走ってるはず自分の道を行く人は、信念の人、魂の人だ主義主張は別として、命を賭けて行動に移している人は好きだがんばれ、がんばれ、Nさんの背中の飛脚には夢が入ってるぞこっちだって、ランドセルの中には夢が入っているんだ!
本陣が見つからない・・・見つからない・・・おーい、脇本陣、進学教室前、でも教室がない!中年の夫婦らしい人に聞いた、地図をみてもわからない進学教室は? と聞くと、あれはなくなった、といって教えてくれた場所に本陣の木板が立ててあった。
奥さんが、地元の人間が教えてあげられなくては申し訳ないと言って夫婦で地図をみながら一緒にさがしてくれた。なんとやさしい磐田の人、ありがとう。四人目のうれしい出会い↓
この交差点あたりが見付宿の中心地だったのだろう。
しばらく進んで建物と建物との間に脇本陣跡が目についた。こんなところに・・・ここまてで、もう、予定時間から大幅に遅れているので急ごう!
←東海道見付宿道標
寺小路に入って大見寺に寄って見た。ずいぶん古い建物で庭にはお墓が所狭しとある。ここには良純法親王や世界で初めて空を飛んだという鳥人、浮田幸吉の墓を探したがわからなかった。予定時間をオーバーしていたので先を急いだ。

JA遠州中央見付支店、店先の立て看板の横に見付宿場跡の地図が作られている。男性が覗き込んでいたので話しかけようと近づいたら行ってしまった。
←曹洞宗宣光寺
戦死した多くの武将のために徳川家康の信仰の厚かった延命地蔵菩薩にその冥福を祈って寄進されたという釣鐘が宣光寺にあった。→
ここに童像が何体か。
・・とてもかわゆくて、童像が大好きなんだ、ほんまにかわゆい、頭をなでて”大きくなれよ” ?
通りには祭の大きな提灯がかかっている
でっかい


正面に見えているのが一里塚があるという愛宕山
その手前を左に坂道を上がっていくと見付天神へ続く

坂道上がって見付天神(矢奈比売神社)へ
もう、汗汗あせアセ・・・あつい!真夏並みだ。


見付天神は東海随一の学問の神様として知られ、秋には天下の奇祭「見付天神祭」(国重要無形民俗文化財)が行われるそうだ。昨日、今日の天神裸祭りのことなのだろうか。
ここに至る坂道の途中にも男集が民家の軒先のテントの下で祭りのいでたちで飲み食いしていた。

裸まつりはこの神社の祭礼か・・・

ここが見付の東木戸だったということ

予定時間を大幅に過ぎて11時10分。小高い愛宕山の阿多古山一里塚がわからなくて二度も上り下りした石碑の前が工事場になってブルーシートがかけられてそれに隠れて見えなかった・・・なんでや!

       阿多古山一里塚↓

←愛宕山頂上部分
正面の森の中に阿多古山一里塚がある。→


石碑の隣にひもでくくった大きな段ボールがおいてある、しかも一里塚の碑にまでくくりつけてあるのでこんな写真になった、まさか段ボールハウスではないと思うが・・・
愛宕山の横を通る上り坂を通り過ぎて少し行くと右に古い秋葉常夜灯が見えてきたのでここで地図を確認しょうとしたら・・・あれ? 写真入りの地図がない、おかしい!手に持っているファイルの中を全部調べてもない。困ったなあ・・・あいつが一番頼りになるのに。見付神社までは見ていたので、そこから愛宕山ぐるぐる歩きの間に落としたに違いない。どうする?
時間に余裕があれば戻るが、暑さで体力の消耗をしたくないし自分にとって魔の11時代になっているのであきらめよう、現場写真のある地図だから痛手だが、もうひとつ、古いけれど道路地図があるので今日は、これで袋井、掛川を歩こうと決めた。
決めた以上は、これからどんなことがあろうとあの地図があったらなあ・・・と思わないこと、引きずらないこと。
これも一人歩きの鉄則、決断したら、振り返るな進めば、道は開ける、気持ちを引きずるのは事故のもと。ここは、気持ちを切り替えて行くぞ
下右の写真、小川の右側が三本松お旅所。
11時37分になっている。再び、昼前の暑い街道をすすむ、写真をみてもいかにも暑そう・・・富士見町東交差点をそのまますすみ、遠鉄わかば台団地入口バス停を過ぎると珍しや、持ち帰り寿司屋があるではないか、さっそく店に入って、このあたりで弁当を食べられるところがあるかと聞いたら、ないという、握り寿司を炎天下、持ち歩くのはやばいので購入はあきらめて、また、トボトボ・・・トボトボ・・・と歩く。1号線に合流し歩道橋を過ぎ、富士見幼稚園を過ぎると左側に緑の小さな森の前に来た。見上げると遠州鈴ケ森とかかれた看板が見える。あっ、ここが昔、鈴ケ森で処刑をされた人の霊を慰めるために建てられた碑があるところか・・・。確かに二つの碑がある。薄気味悪い。写真には載せない。
鈴が森にきて心拍数が135、おっとやばい、ストップだ。
ただ、休憩をするところがないのですぐ近くの歩道橋を渡り1号線から別れて松並木のある街道へ向かう。

あー、おなかぺこぺこや!

しばらく松並木をとぼとぼとスローウォーク。

ひんぱんに心拍数を測ること。
水分補給も欠かさない。
自分の一番、気をつけないといけない時間帯だから。

汗を拭こうとしたら、ポケットに入れていたハンカチタオ
ルがない! 
どうやら落としたらしい。札幌の友人が送ってくれた日
本ハムの限定番ハンカチなのに・・・

地図を落とす、ハンカチを落とす、それに気がつかない
のは集中力がなくなっている証拠・・・

これで「命」を落として気がつかなかったらどないする?

←自販機の横で休憩、お邪魔しました!11時54分。
磐田学園を過ぎ12時01分、大きな工場がいくつかある交差点にきた。コンビニや食事のできる店がいくつか目に入った。
あーよかった。コーヒーが飲みたいので喫茶店で軽食にしよう。
"たのもう!" 
とドアを開けるとわが国の人ではない二人の若い女性がにっこり笑って迎えてくれた白人さんと南米系か、かたことの日本語で、こっちもかたこと日本語で。
期待したご飯系やスパゲッティはなくて・・・よわったなあ、たったひとつのハンバーガーがなかなか出てこないまいった。
その間、気さくなご主人が相手をしてくれたこのあたりはスズキやヤマハなどの本社や工場群がありそこで働く人たちが大勢いるために、ここに食事処が集中しているとのこと店に入ってくるのは、外国人ばかり言葉も日本語はなしそういえば、三河からこちらは、外国人が多い、多分、南米系なんだろう自分の住んでいる関西ではあまり見かけない。みんな、工場に働きにきているんだ。日本の生産現場は外国人によって支えられているんだな。

←これで950円、どう思う?
ジュピロのホームスタジアムが500メートルのところにあるそうなので心を動かされたが、コース外の往復1キロ、暑いので断念。40分の昼休憩をして12時45分、午後のスタート。暑いです!これが明日も続いたら困るなあ。
三ケ野公会堂前を通過。公会堂の手前左右の碑は、車井戸跡之碑と従是鎌田山薬師道の碑。↓
公会堂の写真左へ入っていくのが明治の道→
 しばらくすすむとこんもりとした森が見えてきた、あっ、大日山だ。上洛を目指す武田信玄と迎え撃つ徳川家康
とが闘った 大日堂の古戦場があったところだ。
なるほど、わずか38メートルの小山だが小高い戦場跡に立つと、周囲が見渡せて、敵の動きを探るには格好の場所だ。じっと耳をすましているとはるか馬の足音が聞こえてくるような・・・なんだか合戦前の気分になる。三ケ野権現(大日堂)が建てられている。
ここはまた、鎌倉街道など七つの街道が集まっていた三ケ野の七つ道で交通の要衝でもあったところ。


   ↑鎌倉街道
 ←江戸の道
  ↓大正道
[三ケ野七つ道]このあたりは歴史や地形上からも東西交通の要衝であった。東から標高38メートルの大日山の急斜面を這うように江戸期以前の細い道が蛇行している。坂の上で江戸時代の旧東海道と交差する。大日山手前(見付から)には明治27年構造の明治の道があり下ると大正の道と交差している。

江戸の坂道を下りて刈り入れ前の豊かな田園風景をみるとほっとする。これぞニッポンの秋。
松並木をまっすぐにすすむ。

13時を過ぎ、暑さも厳しいとき、この時間帯は自分の一番気をつけたい赤信号時間帯。
影のない道は容赦なく照りつける。



13時20分。太田川手前のシャッターの下りた食道なくらの軒先でしばらく休憩をとる。
ここで無理をしてすすむことはない。明日もあることだから体力を暑さで消耗しないように・・・
幸いに自販機があったので水分補給もできた。

少しすすむと太田川にかかる三ケ野橋、このあたりから1号線を歩くことになるが、騒々しいばかりで見どころもなく、写真の通り単調なかんかん照りの街道をすすむだけ。

こんな時はどうして歩いているか?心得は?
信号がなくガードレール付きのまっすぐな道は、事故の心配がないので気分的には楽。
①これからの歩く計画、自分に聞かせるようにしゃべる
②仕事のおしやべりをしながら歩く。
③好きな歌を歌う

そして、日影があれば、軒先でも、路地でもしばし休憩をして呼吸を整えて、心拍数を120以内に押さえて、水補給はかかさず、一歩一歩しっかりと着地して歩くことを心がける、幸いに足に疲れはない。

遠鉄国道西島停留所、ここは日陰になっているのでしばらく休憩依然とまっすぐな1号線に沿って歩き続ける。
ここで磐田市から、いよいよ東海道のまん中、袋井市に入る。自治体が変わると東海道に対する思いみたいなものが、ひとつひとつの標識や道標等でうかがえて興味深い。

さて、どまん中の袋井市はどうか?


13時44分
遠州トラックの前を通過。↓
←しばらくすすみ1号線をすすみ街道は左側入る。
掛川市まで6.8キロの表示時間からすれば無理なくゆっくり歩けばいい・・・

このあたりが木原。木原は元亀三(1572)年に武田信玄が徳川家康を破った見方原の戦いの前哨戦(木原畷の戦い)の地として知られています。また、武田勝頼の斥候笹田源吾に由来する゜木原大念仏」の発祥の地でもあります。地区内には原寸大に復元された木原一里塚をはじめ木原権現社(式内戸許禰神社)長命寺笹田源吾の墓や供養塔、徳川家康腰掛石など多くの歴史遺産が残っています。
・・左の案内板より



しばらくすすむと木原畷の古戦場後のある許禰神社前
へ、ここが武田信玄と徳川家康の因縁の場だ。
元亀3年(1572)、久野城をせめた信玄はここ木原に陣を
はり、浜松城を守る家康と衝突、木原の戦いのあった場所。13時50分。

←神社入り口わきに家康の腰掛石が残されている。
途中で行き違うウォーカー、多分、東海道五十三次を歩いている人だろうと思うが・・・
ただのウオーキングならこんな暑い時、こんなところを歩くはずがない。
下を向いたまま、こちらを向くこともなく行ってしまった、多分、疲れているのだろう・・・


頭にタオルを巻いていた、見たところ40代くらいか。

   
    木原一里塚


江戸から数えて61番目の一里塚。本来はここより東60メートルのところにあったと説明板には書かれている。ここは復元したものだ。
 

 夢舞台東海道道標


   木原松橋
 しばらくすすみ再び騒々しい1号線に合流、ここにはコンビニと かファーストフードとか会社、工場等が混在している。
 コーヒー休憩も考えたが、時間を考えると後に影響してくることが予想されたので、川井交差点で1号線から 右に入るコースにすすむ。この選択は正解だった。
おっ?なんだ、あのチキン・・・? 交通整理のチキンポリス? まさか。

袋井市指定文化財旧澤野医院
澤野家が江戸時代末期から昭和初期までに建築し、使用してきた建物。いまは澤野医院記念館になっている。
また、一人すれ違った、この人はあいさつを返してくれた!
「東海道まんなか西小学校」まえを通過。


←酒屋もどまん中と表示、なにもかもどまん中
←休憩所、さすがに疲れてきたのでここで休憩。
中川橋(御幸橋)↑を渡ると53次公園。このあたりが袋井宿の入口だったらしい、14時25分になった。

袋井宿場公園。
ここから袋井宿に入って行く、ここ袋井は、27番目の宿
場、江戸から、京都から、ちょうど真ん中になるので、
やたらと、東海道のまん中という表示の看板が目立つ
こんなに宿場をPRしてるところがあったかなあ
    
     【27-袋井宿】

 
      ○人 口   843人
      ○家 数   195軒
      ○本 陣     3軒

        ○脇本陣     0軒 
      ○旅 籠    50軒


袋井東本陣跡東本陣は、壱番御本陣と呼ばれひときわ規模が大きかった。他に中本陣、西本陣があった。
東海道どまん中ふくろい
ツーデーウォークのポスター。

いいなあ・・・



通りの家々にも昔の屋号がつけられている。
やってきました、東海道どまん中茶屋!14時55分到着。雑誌などでよく紹介されているボランティアのお年寄りが東海道を歩く人達の憩いの場としてお世話している店だ。書物でみたことのある顔もある、しばらく休憩をさせてもらう。

その間、東海道歩きの人と思われる人、3人が入ってきたがすぐに行ってしまった、ここは、来てもすぐ行くそうだ。自分のようにのんびりと歩いている者は少ないのかなあ・・
アイスクリームを食べながら話をさせてもらう。長野から車で来たというお年寄りが気持よく写真を撮ってくれた。
空があやしくなってきた、時々、雷が聞こえてきたので
先を急ごうと、地図を確認していると若い男性がのぞき
こんできて、ふたつ目の角の日産はなくなっていると
アドバイスしてくれた。おまけに、そこまで案内をすると
言って先導してくれた。
わずか100メートルほどだったが、その親切がうれし
かった。

もし聞いていなかったら日産を探してうろうろ、かりかり
していたに違いない。



新屋

秋葉山常夜灯


夢舞台東海道

袋井市東新屋









いよいよ怪しくなってきた空模様。


是より可藤三尺坊道


実は後ほど、この可藤三尺坊大権現のある小さな公園に行きつく


従是油山寺
文政11年

油山寺への道標はこれから先でみかけることになる。
松並木までやってきたが、かみなりが不気味!
松並木に入ったとたんに大きな雷とともに猛烈な夕立が襲ってきた!わー、えらいことや!
これにはまいった、逃げ場がない、少し走って行くとラッキー東海道松並木を説明した小さな屋根つきの立て看板があったのでそこにくっつくようにして雨をさける。それでも、リュックははみ出て濡れるし足もとも濡れる、困ったなあ
すごい雨だ、かみなりも轟く!
こりゃ、とても身動きがとれない

このままここで足止めされたら・・・
多分、一時的な夕立だと思うがわからない
不安になる。


しばらくすると手や足がかゆくて痛い
まさかと思ったら蚊だ!
どっちが先客かしらないが
自分だけではない、蚊も雨宿りしていたのだ
こいつにはまいった、耳元でぶぶんと脅しにかかる
こちらがどうやら餌の標的になったのだ、かゆい、痛い!

仕方なしに説明板の屋根の小さな道路側に回ってみる
と天からの恵み、なんと、女性用の日傘が・・・この通り。
神様、仏様、傘様・・・・ありがたい!


ついでに説明板に書かれていた袋井の凧上げの絵をデジカメで撮っておこう。


雨脚の弱くなるのを待って歩き始める。
薄日が差してきた、やっぱり夕立ちだった。
ここから傘さして先を急ぐことにした。



あぶら山みち27丁・・・↑どまん中茶屋から松並木に
入るところに「従是油山寺」の道標があった。
   
    ↑道標・・村松ヲ経テ宇刈村ニ通ズ。
小雨の中を歩き続ける。
東海道どまん中東小学校の前にある久津部一里塚。

日蓮上人の父の重忠と母の墓が祀られている妙日寺へ寄ってみた。
妙日寺入口の案内板より・・妙日寺は、正慶元年(1332)身延山久遠寺の日善によって開かれた日蓮宗の古刹です。日蓮宗を開いた日蓮の父の法名を寺名とし、境内は一族である貫名氏の代々の邸宅跡と伝えられています。日蓮の父貫名重忠は、源平の合戦において平氏に味方したため鎌倉幕府から安房国小湊へ流され、その地で貞応元年(1222)に日蓮が生まれ、父重忠は正嘉二年(1258)にその生涯を閉じました。以下略・・・・

←妙日尊儀、妙蓮尊儀供養塔・・・説明板より
伝承によると、日蓮宗開祖、日蓮聖人の良心の供養塔で、正保三年(1646) に柳生但馬守宗矩(大和柳生藩主)がした五輪塔です。以下略・・・・
袋井の松並木をすすむと赤い大きな鳥居の冨士浅間宮赤鳥居の前に着く、ここでしばらく休憩をする。

前方に1号線が迫ってきた、その手前を右にすすむのがコースだが、小さな公園があったので休憩、トイレ、おやつタイム。
碑と道標がひとつずつ
●従是 東海道御本身
●可藤三尺坊大権現


ここまでお世話になった傘とここでお別れすることにした。どうか、いい人に貰われていくように・・・助かったよ、ありがとう!
さらにこの原野谷川にかかる同心橋が袋井市と掛川市の境になる。
原野谷川の同心橋をわたり地下道のある交差点に出る、ここで迷った。

地図では、少しすすんで道路向こう角に駄菓子屋があるという、さらに100メートルくらいのところに信号がありそこを渡るようになっていたのですすむが橋の上に出てしまった。

間違っている、元の地下道まで帰ってきて地下道の横の信号のところで地図を確認していると自転車に乗った男性が、どちらまでと声をかけてきた。

ありがたい、わけを話すと丁寧に教えてくれた。

これからすすむ原川松並木の保存ボランティアをしていると言っていた。


信号が変わったのでその人の写真が撮れなかったが40代くらいかその親切がうれしかった。
ここにきて、濡れて疲れた体は、たとえわずかな迷い道のロスでも気分的にダメージになる、ありがとう。
←ここを横断すればいいのに直進してしまったのだ。
従是和田岡村原谷村ヲ経テ森町ニ通ズ
の道標を右にすすみ金西寺の前を通り原川の松並木をめざしてすすむ。ここの本尊は薬師如来。↓金西寺



17時5分
こんな時間になった。うろうろ歩きをして、なかなかしっかり歩きをしないからかもしれないが、やっぱり歩きが遅すぎるなあ。
間の宿原川・・・ここ原川は、掛川宿まで一里十八町(約6キロ)、袋井宿まで三三町(約3.6キロ)の位置にあり間の宿原川といわれた。間の宿は、旅人の休息の場を提供することはできたが、旅籠(宿泊)業を営むことはできなかった。金西寺の薬師に供える薬師餅を売る店、酒屋などが軒をつらねて街道を行きかう旅人でにぎわったらしい。


夕闇せまる掛川市原川の松並木が田園の中に見えてきた。まっすぐに延びる並木がきれい。ここをこれから一人で歩く。気持ちよく歩こう。



途中の松にBOXがかけられ記録を書き込めるノートがに入っていたのであの男性へのお礼を書き込んでおいた。読んでくれるかなあ・・・。


歩いてきた松並木を振り返ると陽が没しようとしている。こんなに豊かな夕暮れをプレゼントしてもらって一人ぜいたくをしているのがもったいない。カメラ撮影の好きな息子をここに連れてきてやりたい。
いつの日かそんなことが実現できるように

しっかりと目に刻んでおこう。
善光寺、距離的にちょうど東海道の真ん中にあるために仲道寺とも呼ばれているらしい。

垂水川にかかる善光寺橋をわたる、橋の上から歩いてきたほうを振り返るとすでに陽が落ちかけてきて夕焼けがきれい。しかし、こんなところでのんびりしていてはいけないぞ。

東名高速道路をくぐり国道1号線を超えて大きく右にカーブしながらすすむ。←曽我鶴造酒屋また松並木をすすみ大池一里塚をめざす。
大池の交差点、もう、暗い、角にあるらしい大池一里塚をさがしてもみつからない、角の1か所が更地になっているのでそこにあったのだろうか。何度も交差点を行ったり来たりしたが、さすがに諦めた、車はどんどん通過するが人はいなくて聞くこともできなかった。
こういうことが心残り、二度とこないんだから。くやしいが通過。


天竜浜名湖鉄道の高架下を通る、すぐ近くに西掛川駅
がある。



逆川に渡る大池橋交差点へ。
東海道は写真右へ大池橋を渡るが、左へ行くと常夜灯があって火防の神として知られている秋葉山へ通じる入り口だった。

逆川にかかる大池橋を渡る・・・18時1分。もう、暗い。しばらく1号線をすすむ。

二瀬川交差点を右へ入り逆川橋をわたる。
九十九首塚に寄って暗くなった掛川の商店街に入った。


橋の上から左手にライトアップされた掛川城が見えてきた、望遠で撮っているので実際はかなり離れて見える。
これは、ぜひ、近くまで行って見たい。
予定は明日の朝だが、ライトアップもいい。


西をみるとすっかり夕焼け空になってきれいだ。
逆川橋からのながめ。







今日の最後、十九首塚へ。

通りから住宅街の道をしばらく入ったところに平将門ら十九人の首を埋めたといわれる十九首塚がある。
朱雀天皇に反抗した平将門らの首を京に運ぶ途中、この場所で首実験が行われ、その後ここに埋葬されたと伝わっている。

今日は、ここまでにして商店街を掛川城へ向かう。
あたりはすっかり暗くなってウオーキングはこれまで。
せっかくだから掛川城のライトアップへ行くことにしてコースをはずれて掛川城へよった。

城はきれいにライトアップされていたが、デジカメでうまく撮れなかった。

明日の朝、もう一度来ることにして回り道になったが、掛川駅前のホテルへ。コンビニで夕食と缶ビールと明日の朝食とおやつを買って命も落とさず、忘れずに、ホテルに着いたのが
18時58分。あー、疲れた、よく歩いたなあ・・・。  









      ●今日の記録  

     40,736 歩  28.5キロ


●次 ・ 掛川→日坂→金谷 はこちらtokaido-17.20.09.08