のんびりゆっくり 東海道シリーズ-17
2008.09.08 掛川→日坂→金谷


東海道五十三次ひとり歩きシリーズ⑰一泊二日の二日目。
二日目9月8日(月)のコースは 「掛川宿」→「日坂宿」(掛川市)→「金谷宿」(島田市)
朝、宿泊ホテルで5時に起床。

資料で今日のコースの確認を行う。コースのイメージをしっかりと叩き込む。特にポイント毎の到達時間の設定は、歩程管理に大事なことなので地図に記入しておく。
ホテルには食事設備がないので夕べ買い込んだパンとサラダとお茶で朝食がわり。あまり食べたくはない。昼食用のパンと非常食?のドーナツもリュックに入れた。
7時にスタートのつもりだったが、なんとなく気分が乗らなくては8時にした。こんな気分になったのは初めて。
デジカメのバッテリーと携帯電話の充電をチェック。部屋を出ようとしたら九州の友人、よっくんさんからメールが入り返信。8時スタートが15分になり掛川駅前のホテルを出る

JR掛川駅前の二宮金次郎の銅像
、二宮金次郎と掛川の関係について、
幕末から明治に至る時期、二宮尊徳(金次郎)の唱えた報徳思想の普及をめざし、道徳と経済の調和・実践を説き、困窮にあえぐ農民の救済をめざした報徳運動が全国に広まったが、とくに活動が盛んだった掛川は、全国の報徳運動の中核地となり、掛川に「大日本報徳社」が開設された。
今日の東海道のコースに入る前に、夕べ訪れて掛川城を訪れることにして、駅前から城へ続く城下町通りを城をめざして歩く。快晴、今日も暑くなりそうだ

やっぱり外に出て歩くと、さわやかな気分になるのだから不思議、さっきまでのあの嫌な気分はなんだったのか・・・
まず、掛川城から・・・
昨日、闇の中にライトアップで浮きあがるような姿を見せてくれた掛川城が、今朝は、高い空にそびえたつようにりりしい姿を見せてくれた。江戸時代は東海の名城とうたわれた天守閣の美しさをそのままに平成6年、日本初の本格木造天守閣として復元された。

掛川城は、桶狭間の戦い以降、今川氏から徳川家康に明け渡され対武田防御の拠点となった。天正18年(1590)、家康が関東に移ると山内一豊が入城。城の大改築を実施して天守閣を築き、城下町の整備を行ったそうだ。


たまにはリュックの記念撮影もしてやらないと・・・。


掛川御殿・・・江戸時代末に建てられた城郭。江戸時代に藩が使用していた御殿が完全な形で残っているのは、京都二条城とここ掛川城のみで重要文化財に指定されている。御殿では、儀式、公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務を司る役所の三つの機能を持っていたという。ずいぶんと規模が大きい。
時間の関係で中を見ることは断念したが・・・




今日のコースへ、連雀通り商店街を行く。この通りも人影がまったくない・・・これが地方の商店街の現状なのだろう。ここまでいくつもの商店街を歩いてきてがいずこも同じだ

連雀とは、連尺からきている同意語らしい。浜松の東海道は連尺だった。
本来、連雀とは渡り鳥の雀を指し、連尺を用いる行商が渡り鳥のように見えた事から「連雀が連尺として使われるようになったそうだ。江戸時代の城下町では、行商が連尺に荷を繋げたまま荷物を下ろし、そこに店を出した地域があり、これが各地の連尺、連雀、連尺町の由来となっているそうだ。連尺とは、背負子(しょいこ)のこと。







こんなところに本陣跡が・・・
駐車場の片隅に立て看板があるだけ、なんとも淋しい。
多分、私有地になっているんだろう。






大手門通りへ入り掛川城大手門番所ヘ。
この大手門も平成7年に復元されている。掛川城の表玄関にふさわしい桜門造りの本格的な櫓門は、木造瓦葺の入母屋造り。棟上げのシャチ瓦が勇壮さを表している。間口12.7メートル、奥行き5.4メートル、高さが11.6メートルもある。

大手門正面の中に見えるのが番所。

 ↓説明板


大手門の裏側、逆川沿いからの掛川城のながめも美しい。
←掛川信用金庫 

↓枡忠寛政二年(1790年)創業初代升屋忠次 ます忠老舗呉服店です。


←丁葛製造本舗 桂花園
菓子博覧会で内閣総理大臣賞も受賞したという老舗の和菓子屋さん、葛湯のような菓子らしい。
できることなら土産に買って帰りたいのだが何しろ歩きに荷物は負担になるので断念。東海道は、さすがに土地土地の老舗の和菓子屋さんが多い。

掛川も宿場の面影はほとんど残っておらず、わずかに新町七曲りがその形を残している程度というので期待してすすむ。その七曲りに行くには曲り角にガソリンスタンドがあると資料にあるが、ない、まだ、先なのか、それでもない、仕方なしに路地に入ると運よく掃除中のご婦人がいたので尋ね、やはり行き過ぎていた、あのガソリンスタンドはなくなっているという。今日も最初からツキがない!と思ったら、その人、路地の角まで案内してくれ細かく教えてくれた、ツイテた!しかし、50メートルくらいは東海道を通っていないことになるなあ、まあ、いいか!だれも見ていないから・・・・ん、お前さんの中にいる仏様、神様が見てござるぞ!ありゃー・・・愛想のいい掛川の奥さん、ありがとう。←夢舞台東海道・道標掛川東番所跡・・通行はここの番所でチェックされていたんだな。
さあ、いよいよ七曲の始まり・・・「七曲り」下の説明板より。
葛川と新町の境に堀割があり、ここにかかる橋を渡ると門がありました。この門から西が宿場のなかです。ここから東海道は南に折れ、道がかぎの手にいくつも折れ曲がる新町七曲に入ります。七曲りは、容易に敵を進入させないための構造だと考えられます。七曲りの終点に、城下に入ってくる人物や物を取り締まるための木戸と番所がありました。番所には、捕えるための三道具(刺股・突棒・袖がらみ)や防火用の水溜め桶などが備えられていました。新町は、山内一豊が整備した城下町の東に発達した街並みで、元和6年(1620)町として認められました。
新町七曲りの現場写真は特徴がなくわかりにくいために割愛。
新町七曲りから葛川一里塚をめざして歩いていると、背が低くて、幹が白くて、ちいさな実をたくさんつけている街路樹が珍しくて・・・日傘をさしたご婦人に聞いたが、、そういえばいつも見ているけれど知らないという・・・

たまたま、庭先の花の手入れをしていたご婦人に声をかけて聞いてみたら「モチ」の木とのこと。

それで失礼すればいいものをこのおっさん、花壇を手入れ中の写真のご婦人の仕事の手をとってしばし話し込むこと
になる。
まあ、話のお好きな方で・・・お互い様だけど・・・ご婦人の話術に取り込まれてしまった。

ほんとうに楽しい方で、子供さんのこと、亭主どののこと、自分のこと、同窓会でのこと、お化粧のこと、青春18切符の旅行のこと・・・姫路まで行ったとのこと、そりゃきつい。
いろいろ拝聴させてもらった。

いつものように持参しているその日とコースが入ったA4サイズの用紙を持って証拠写真を撮っていただくようにお願いしたら快く引き受けてもらってこのような写真になった。
そしてご婦人の写真もお送りするということで撮らせてもらった。お好きだというフクロウさんを背景に入れるよう注文をいただいた。撮影に注文をつけるとは、ひょっとして元女優さんか?
そればかりか使い捨てカメラを持って来て撮影会となった。
ほんとうに楽しい方で、かわゆい方だった。

東海道一人歩きもこんな楽しい出会いがあるからさびしくないのだよ。
そうそう、お年が○0歳とのことだったが、へえー?!驚いた、自分より年下とばかりと思っていたのにお姉さま!
とても明るくて、さわやかで、気持ちのいいご婦人だった。
相手をして遊んでくれてありがとう。

ここに写真を掲載することの許可はいただいた。
写真、必ずお送りいたしますよ。 ばいばい!
さらに少し行くと向いに「もちや」というきれいな作りの店が見えたのでなにげなくのぞいてみた。いちじく4個300円、おっ安い!買った、店の奥さんに聞くとこの店は、掛川名物の「振袖餅」の店だという。それなら、それも買った・・・大福もちみたいかなあ・・・3個入り。
もちやさんは有名な店らしい。葛川一里塚の東海道を隔てた向かい側には、掛川名物振袖餅を商う和菓子屋「もちや」がある。店の案内によれば、振袖餅は、近くにあった諸病平癒のご利益があると参詣の多かった観音様に参る人々から土産として好評で、十辺舎一九も京へ上る折に買い求めたと伝えられているそうだ。
買ったのはいいけど、ずっと持って歩くつもりか・・・リュック
の中はすでに満員なのに。
朝、食べなかったパンに夕べコンビニで今日のために買ったおやつと非常食用の餡ドーナツ10個入り袋、ホテルでもらったパンも入っている。重い!
写真、真ん中向こうに小さく見える木が一里塚。

馬喰橋の手前右側に葛川一里塚がある。直径1mほど小さく盛り土され、一里塚らしい松の木と植栽を施した小公園に整備されている。敷地内の写真右側には秋葉常夜燈がある。
ここでさっそく餅といちじく一個を食べたが、当分は背中が重いぞ、ほんまにあほなおっさんや!


馬喰橋↑は、橋柱に馬の顔がデザインされている。
馬喰橋を渡ってまっすぐすすむ。10時30分。
スタートしてすでに2時間、遅れているなあ・・・
かなり気温が上がってきて汗が噴き出る。昨日の雨のせいか蒸し暑い。


大頭龍大権現の道標が道路わきに囲われて立っている。
この道しるべは大頭龍大権現と福天大権現の参道標と説明板に書かれている。


10時38分。
見てござる


折れた道標

・・記念 西山口村と彫られている。
郵便局の名前が西山口となっているので昔はここが西山口村だったということか。
配送センターが続く、大型トラックが出入りしていて要注意。
あっ、ゆりっぺちゃん、応援ありがとう、きれいだよ!

さらにどんどん進む、まもなく成滝の交差点・・・
夢舞台の道標。

交差点手前の左側に馬頭観音があった。お参り。

ここで1号線に合流。
しばらく交通量の激しい1号線にそってどんどんすすむ、今日も暑い。

 ←
おや?
あの屋上に怪しい・・なにかいるぞ!


 こいつだ!
1号線に沿ってすすむ、暑い、騒々しい、排気ガスのにおいの中をとにかくすすむ。早く静かな通りに行きたい・・次の目標は日坂宿。




←おっ、また、怪しい人かげ、ミラーの中に!
山鼻の交差点を過ぎここは掛川市千羽。
1号線東京から225キロ地点。




しばらくすると左手にわずか茶畑が見えてきた。
あざやかな緑。
そうだ、今日は、にっぽんの茶畑を歩くんだ!


緑が目に入るとホッとする。
少しずつ曇ってきたのが気になる。こんなところで降られたらどうしょうもない、頼むから降らないでおくれ
    
岩橋を渡る、道路、はるか向こうに歩道橋が見えてきた、本所のはずだ。
              


本所にきた、1号線から右の街道へ行く。歩道橋の下で休憩、いちじく2個目。熟しておらずおいしくない。食べれば中身はへるが皮を捨てるところがなく再びリュックへ、あー計算外。
本所の道標。となりで仏様が祈って下さっている。
静かな道が続く、やがて諏訪神社の前に↓



再び1号線に合流、なんだ、ただ、遠回りしてきただけだ。

こういうことの繰り返しが旧東海道。

向かいが東山口小学校。
1号線と諏訪神社の横を進んでいると向こうから来る人影。
ここまで1号線は東京から224キロ地点だ。

向こうからきた男女二人に、また、声をかけた。

“東海道を歩かれているのですか”? 
とても愛想のいい二人ずれ、夫婦なんだろう、気さくに話にのってくれた。関東の人なんだろう、歯切れのいい話し方が好きだ。
二人とも、前にリュックをかけ、さすがに東海道を歩く人は、工夫しているなあ・・・姿形から、相当に歩ける人とみた。
今日は、自分の歩くコースとまったく逆を歩くという。朝の出発時間も同じでこの場所に来ている。
おどろいた。自分はまだ全体の三分の一、その二人はすでに三分の二を歩いている。
“お茶畑がきれいですよ”と言ってわかれた奥さんの笑顔がとても清々しくて素敵だった。ありがとう、お二人さん、お元気で!

去っていく二人の歩きの早さは、自分の比ではない。
すごいなあ・・・あの人たちから見れば、自分はどんなに映っ
ているのやろ・・・?

こんな出会いが一番うれしい、東海道の仲間だから・・・

また、1号線から左の街道へ入る。
←歌人石川依平生誕地の碑

        ↓大頭龍神社道標従是一里15町
←慶雲寺道従是五丁
    ↓福天大権現

←伊達方一里塚の碑・・江戸から57番目の一里塚。明治33年ころ取り壊されたという。

歌人伊藤嵐牛生誕地碑

←伊藤嵐牛美術館
 
また、1号線に合流して八坂橋を渡り日坂宿の手前にある事任八幡神社を目指す。そこで昼食にしたい。

進行方向に日坂バイパスが見えてきた。
バイパス手前で信号待ちををしているとパスが弐大ってきて止まった。学校法人常葉学園と書かれている。

あー、甲子園で準優勝したあの学校やな!なんとなく親近感を覚える。
スクールバスだ。
前が幼稚園か小学生、後ろが高校生か・・・

バスが動き出したのでデジカメを構えたら後ろのバスの高校生らしき生徒の一人が見えなくなるまで手を振ってくれた、うれしいね。

これも出会い、常葉学園、応援するぞ!

それにしても暑い、曇っているのに汗が止まらない・・・
心拍数は幸い高くはならなくて疲れもさほどはない。

このまっすぐな道、1号線はどこまで続く。山がせまってきているが、きょうはの正面の山を越えていくのだろうか・・・


単調な道が続く、予定では日坂宿を超える時間になっているが、これからどうなることやら。


あっ、見えてきた!とうとう事任八幡神社まで来たぞ!
12時11分。
やっと昼前の目標、「事任八幡神社」に着いた。

大同2年(802年)に坂上田村麻呂が興したと伝えられ、願いが「事のまま叶う」ということで評判になり参拝者が多いそうだ。樹齢1000年といわれるクスノキの巨木がそびえ立っている。この神社は、枕草子にも記述があるらしい。
ここは、東海道五十三次の応援コミュニティをつくってくれたSさんが体調を崩して休養しているのでその快癒祈願のお守りを「快癒の願いが叶う」ことを願ってほしかったので、一番寄ってみたいと決めていた神社だ。

お参りする前に神社横で地図の確認をしながらいちじく三個目と餅を食べているとご婦人が声をかけてきた。・・・なんだか今日は婦人デーみたい。
この八幡神社が有名な神社であること、これから行く日坂峠から金谷までのめぼしいところの説明を熱心にしてくれ、おまけに宮司さん亡き後の神社を取り仕切っているという社務所の奥さんのところへ案内して紹介してくれた。

こで奥さんからまたいろいろ話を聞かされた。大阪に縁のある人でびっくりした。結局、ここを発つ時点で予定時間をほぼ1時間もオーバー。12時40分。

日坂宿→金谷宿へはtokaido-17.20.09.08-1からリンクしています。