のんびりゆっくり 東海道シリーズ-2
2007.5.5 大津→石部

今日は子供の日。行楽地は人でいっぱいだろう。東海道五十三次ウォーク第二回、瀬田の唐橋から石部をめざすことにした。
実は、昨日が予定日でスタートの瀬田の唐橋まで来たのだが、うっかり、デジカメに充電していないほうのバッテリーを入れてきたために止む無く中止、今日は仕切り直し。

二日続きのスタート最寄JR石山駅。午前9時14分に到着。瀬田の唐橋へ。
スタートの瀬田の唐橋 西詰9時33分に着く。
天気はうす曇り、やや蒸し暑い。もしかしたら、気温が上がるとかなり湿度が高くなるのではと心配。この後、いやな予感が当たってしまった。
ボートのレガッタが連休中に行われているため各大学のボートが盛んに練習をしている。
唐橋の上から
唐橋の東詰をまっすぐにすすむ。
東詰に立っている常夜燈。琵琶湖一周の時はこの常夜燈を左にすすんだ。
商店街をすすむ、突き当たり右が建部神社だ。
商店街をすすむと道路がふた手に分かれていて、左へ行くのが正解だが、右に行って建部大社に寄ってくる。
元の道へ戻り石材店の横にかわいい道標のモニュメントが建っている。石材を使ったものなので店で作ったものだろう。
 左 東海道
 右 瀬田唐橋
コースは大通りから右へ入るのだが、ここで大失敗をしてしまった。
地図ではハツダ仏壇店から左へ入る道を行くことになっていたので川にそってどんどんすすむが様子がおかしい、500メートルほどすすんだところで、バス停にいたおばちゃんたちに聞いてみるが、それぞれが言うことが違って心もとないので大通りの仏具店まで戻って、居合わせた小学生の男の子に聞いてみるとちゃんと案内してくれた。もう少し・・・20メートルほど、すすんだところにある大江町三丁目の道を右に入ればよかったのだ。ありがとう小学生クン!
道を聞くのは、小学生高学年男の子がよく知っている。彼らは自転車隊なので近隣の道路事情に精通している。さあ、ロスした分、急がないと・・・!もう、暑い、汗がどんどん出てくる。
道はゆるやかな登り、曲がりながらすすんでいくと地元の子供会の神輿に出会った。聞いてみると町内会の行事なんだそうな。それにしても大勢の行列が続いていた。
このあたりはお寺が目立つ、浄光寺前を下り突き当たり三叉路を左へ。住宅案内図がある。
二つ目の角を右へ瀬田小学校の前をすすむ。10時36分。
子どもの日らしくこいのぼりが風に泳いでいる。曇り空で気温も上がってきたのか、蒸し暑さでタオルを首にまかないと汗がしたたる。
住宅街をすすむと交差点、ここを渡ると右に商工会館がある。その横をすすむ。
わっ、大きいなあ・・・古い立派な家が目立つ。
すごい!ええ家やなあ・・・。
おっ、今度は蔵や!何が入ってるんやろ?
ええから、ええからすすめ!とひとり言。
ずっとすすむと一里山町の大きな道路に出てくる。ここをまっすぐにすすむ。向かい右の建物の左端に月の輪一里塚がある。ここは一里山一丁目。一里塚前。
左の案内板に


 逢のみち(あのみち)
 湖のみち(このみち)
 山歩みち(さんぽみち)


と書いてある。うまーい、拍手!!
月の輪一里塚跡。10時49分。
一里山一丁目から一里山橋をこえ、三丁目を過ぎてしばらくすすむと右手に月輪池が見えてくる。この池のほとりに「東海道立場」跡の新しい碑が立っている。右に月の輪池がある。
月輪寺の前を通りどんどんすすんでいく。曇り空、蒸し暑い。松並木を過ぎて狼川の手前に、手造りの標識が建てられている。
瀬田唐橋4.9キロ - 草津本陣3.7キロ
どうも歩きが重い、それに異常に汗が出る。蒸し暑いせいか体調のせいか・・・。
さらにすすむと弁財天のある弁天池の横を通る。なつかしい、実は、ここからわずかな距離にある某企業に、何年も仕事できていてよく知っているところだ。まさか、ここが旧東海道とは知らなかった。
5分ほど歩くと「野路の玉川跡」へ、11時48分になった。ここは、鎌倉時代に野路の宿として栄えたところらしい。かってここから伏流水が湧き出していた名水の地であったという。
がんばれ、CARP!
緩やかに下りながら願林寺、新宮神社通る。
教善寺の鐘楼が見えてくる。草津歴史案内図。
そうだ!本気にならんと!
ところで本気になったことあるの??
せいし丸さま と彫られている。法然さんのことかな?上のお寺が浄土宗だった。
しばらくすすむと広い道路・交差点に出る。ここをいったん、国道1号線まで行ってまた戻る回り道をしながら上北池公園についた。12時22分。公園の片隅に「野路一里塚」の碑がある。小さな公園だがベンチがあったのでここで昼食にする。蒸し暑さのせいか、道中、時々、めまいがしたのでここでしばらく休憩することにした。なんだか、しっくりこないなあ。
上北池公園、この公園を横切って
国道1号線を斜めにわたり、矢倉小学校の横を通ってしばらくすすむと、赤い鳥居の重なる稲荷神社だ。
このあたり、まっすぐな道が続いている。古い民家や店が両側に並んで落ち着いたたたずまいが旧東海道であった雰囲気を感ずることができる。
黒門の由来・・・
立木神社の手前に石造道標一基。

みぎハたうかいどういせ三ちひだりは中せんだう美のぢ万宝院 京みぶ村
 

あしだの行者と彫られている。

説明板から・・・
この道標は、東海道と中山道が分岐合流する草津宿の要所に文化十三年(1816)三月に建てられた、高さ392.1センチを測る火袋付の道標で、江戸時代に東海道や中山道を行き交う多くの旅人の道しるべとなっていた。
となりに「立木神社」は、草津宿の氏神。12時52分。どうも体調がよくない、時間も予定を大幅に超えているので無理をしないで今日のゴールは、草津本陣にして、予定の石部までは中止することにした。急がないでしばし休憩。
草津宿の現代版常夜燈か。
このあたりから宿場の名残を感ずる光景が始まった。旅館が目立つ。
きれいに清掃された道、人の姿はほとんど見かけない。通るのは車だ・け・・異様な雰囲気すら感ずる。
草津街道交流館。草津宿がわかる歴史館。
小久保畳店。
草津脇本陣跡に来た。
お茶の老舗、吉川芳樹園。二階が特徴だ。
【52-草津宿】
ここは、東海道と中山道が出会う宿場。
草津宿本陣跡に13時15分、やっと到着。
さすがに大きな構え、国指定史跡で現存している本陣としては日本最大規模。当時の面影を残していると言われている。7年がかりで修理保存事業を終えて一般公開されている。大名が宿泊した座敷や湯殿なども復元されている。元禄年間から明治までの大福帳が残されており、浅野内匠頭や徳川慶喜らが宿泊した記録が残されている。
下の写真 記念(証明書代わり)の写真を撮ってもらっていると周りに人が集まってきた。すごい!東海道を歩いてきたんですか!?と胸の前にかざしたコピーをみて声をかけられる。多分、東京から歩いてきたと勘違いしているんだろうと、京都からと断ったが、なんだかスターになったみたい。人の姿が映っていないのは、手前によけてくれていたので、ほんとうは、ここだけは、人がいた。
↑こんな下手な字ではだめだな。
↓書状集箱、明治4年郵便創業当時使用していたものと同じ型のもの。
常夜燈道標。
本陣と目と鼻の先の大人の背丈ほどの高い場所に写真のおおきな常夜燈が立っている。ここは、東海道と中仙道との分岐点だ。多くの旅人が道に迷わぬように、旅人にとっては目安になる道標だった。また、旅の

 右 東海道いせみち
 左 中仙道美のじ 
↑道標の説明板から・・この道標は、東海道と中山道が分岐合流する草津宿の要所に文化十三年(1816)三月に建てられた。高さ392.1センチを測る火袋付きの道標で、江戸時代に東海道や中山道を行き交う多くの旅人の道しるべとなっていました。
道標竿部南面に「右 東海道いせみち」、西側に「左 中仙道美のぢ」と東海道、中山道の行先が刻まれています。・・・・以下略
正面は、上が草津川で天井川になっている。明治十九年に下を通るトンネル(草津川隧道)が掘られるまでは、旅人は川を歩いて渡って中山道を行き通っていたそうだ。右の常夜燈が上の写真のもの。
草津宿高札場跡。旅人の目につきやすいところ、東海道と中山道の分岐点に高札場が設けられた。ここの高札には、親子兄弟の和親を説いた「親子兄弟札」をはじめ、荷物の賃銭を定めたもの、社会秩序の維持を定めたもの、多いときには十枚が掲げられていた。高さ約3.9m、幅約4.5mで石垣の上に建てられていた。
常夜燈道標を右へ 東海道いせみち方向に古い街並みをすすんでいく。体調が思わしくなくて引返すつもりが、写真を撮ってもらって、なんだかすすんでいかないと具合が悪いので、とにかく、少しすすんでみよう。
坂道を上り切った左側に高野地蔵堂。
右側に常夜燈がある
  右 金勝志がらき道
 左 東海道いせ道
草津川を渡る坂道を上がり橋を渡ったところ、天井川の草津川には水がない。これから川の土手を右にみながら栗東をめざすことになるが、ここでも、気分が悪くなってしばし休憩。すすむと電車の駅も不便だし・・・。幸い、風が出てきて厚狭のうな湿気はなくなった。ゆっくりすすもう。
堤防の左へ下りて行く。13時44分。
水のない天井川の草津川。
13時52分、草津市から栗東市へ。
史蹟 老牛馬養生所跡。
東海道新幹線の下を通って左へ大きく曲がるとすっかり街道の雰囲気が広がってきた。
二階のつくり、屋根に特徴のある家が続く。
名代・田楽茶屋。東海道を往来する旅人の休憩所として江戸幕府から立場茶屋が置かれ、ここで供された食事は地元の食材を使った菜飯と田楽で独特の風味を有し東海道の名物となった。田楽茶屋は、立場の元伊勢屋(岡野屋)と、この古志ま屋(寺田家)、京伊勢屋(西岡家)の三軒を言っていた。案内版より
日川立場・田楽茶屋。
目川一里塚跡。ここ目川は、目川菜飯と田楽で有名だったそうだ。そんなおいしい食事ができたらいいと思ったが、まったく店らしいところはなかった。14時15分。すっかり曇ってきて風が出てきたせいか、体調も回復。足取りも大丈夫。
これなら石部は大丈夫だ。広重は、ここ目川の里を描いている。ひょうたんの生産地なんだ。
やせうま坂、なんことやろ?やせた馬しか登れない坂だったのか・・・馬がやせるほど急な坂だった? ぶつぶつひとりごとを言いながら・・
オランダ人の医師、シーボルトが訪ねてきたことがあるという善性寺が通りの左側に。へー、こんなとこまでシーボルトさん、なにしにきたんやろ?答えは下の説明板にある。読まれたし!
葉山川橋を渡ってどんどんすすむ。
この町もきれいだ。これまで歩いてきた東海道は、どこも見事に掃除がされている。多分、ごみを捨てる人もいないんだろう。都会では考えられんこと。また、町をきれいにするためのご近所の底力があるんだろう。
代将軍足利義尚公「鈎の陣所ゆかりの地」。室町時代足利義がこの付近に陣をかまえていた所らしい。 
おいおい、元気を出せ!
がんばれCARP、それいけCARP!
みんなどこへ行ってるんかな?人がいない。
手原地域に入る。15時3分。
ここから商売と屋号のついた通りが続く。それそれ゛の家に下のような木札が付けられているのだ。かなりの数、あるぞ! 旧手原村
おっ、店らしいところが見えてきた。コーヒーが飲みたい!・・・・残念、きものリフォームの店。
ほんまに贅沢な店や!
このあたりもずっと木札の屋号のついた家々が続く。もう、写真を右左、いちいち撮っていては
先に進まないのだが、かなり撮らせてもらった。ここに紹介するのは、ほんの一部、ほんとうは建物全体を写さないとだめなのだが。
旧小野村
通りの家の切れ目から近江富士、三上山が見えてきた。田植えが終わったばかりの稲田。
旧六地蔵村に入る。
15時39分。
右、旧和中散本舗跡。腹痛の漢方薬和中散を売っていたわ中本舗が見えてきた。和中散という名前は、徳川家康が腹痛を起こしたとき、この薬を飲んだらたちまち治ったことから、腹の中を和らげる薬ということで名付けたと言われている。現在は、製造されていない。
重要文化財。
反対から見た旧和中散本舗の全景。
要文化財大角家住宅隠居所。向かいの本家が本陣として使われている間、家族の住居に充てられていた建物の入口。↓
少しすすむとがらり郊外の雰囲気に一変する。あー、なんだか、ホッとした。黒っぽい町並みから新緑の中に包まれたからだろうか・・
旧林村へ。
薬師如来堂。
このあたりも街道の面影が残っている。
JR草津線がこのあたりは並行して通っている。
右へまもなく石部駅のはずだ。うしろにぽっかり近江富士三上山が見える。
すっかりさびしい郊外の道をすすむと名神の高架下にきた。右側は山になっていて、ここらで車にでもひっかけられたら・・・・危ない危ない!
高架の手前を右に行く道もあるが、今回はあえてまっすぐにすすむことにした。
その代わり、この通り、歩道のない道だ。JRに沿ってすすむ。ずっと左は山が迫っていてさびしいところ。早く通過したい。i
GOSYUという大きな工場まできて、やっと歩道つきの道にたどり着いた。ここからまがりながらJR石部駅が見えてきた。16時45分なのであと1時間くらいならいいだろうと石部宿をさらりと回ることにして駅前を通り過ぎていく。
石部宿の街道の面影の残る通りに着いた。
宿場を模した建物と広場に出た。このあたりが賑わった所らしい。
本陣跡をめぞして急ぐ。少し暮れてきた。
        【51-石部宿】
本陣2軒(小島本陣、三大寺本陣)、旅籠62軒、200余軒の商家があったそうだ。石部小島本陣は、、東海道では豪華な建物であったらしい。間口45間、奥行31間、敷地2845坪、表門、裏門2、建坪775坪、番所もあり、大広間が28間もあったと記録されている。明治9年に京都より江戸に都が移されるとき、明治天皇が2度宿泊をされたという。しかし、いまの石部本陣跡は、なんと、通りにたった一本の石碑だけだ。
幕末には征夷大将軍徳川家茂が上洛の際に、(1863)、新撰組局長近藤勇も江戸下向の際に(1864)それぞれ小島本陣に宿泊し、のちに最後の征夷大将軍となる徳川慶喜も上洛の際小島本陣に小休止(1863)しているそうだ。
となりに明治天皇聖蹟の碑。
これが小島本陣のあったところ。右の建物は関係ないらしい。
石部夢街道・石部宿駅、ちょうど閉まる時間だったが、店の人がお茶などら遠慮なくどうぞとすすめてくれた。こっちも電車の時間が気になったので断った。
この案内版はこれからよく見かけるものだ。
17時4分。今日のゴール、石部宿道の辺広場。次回はここがスタート地点だ。
JR石部駅へ戻ってきたら17時27分。体調が思わしくなかったのに後半の頑張りでよく歩いた。褒めてやりたい。歩数は約39,000歩。27キロ。
体調が悪かったのに克服してよく歩きました、さあさあご褒美だよ!

経路と交通費(自宅から最寄り駅は除く)
往路 JR新大阪駅→JR石山駅 普通  960円
復路 JR石部駅→JR新大阪駅 普通1,280円
歩数 瀬田唐橋→石部道の駅広場 約 39,000歩