のんびりゆっくり 東海道シリーズ-26
2009.12.22 小田原大磯→平塚 茅ヶ崎の松並木で


2009年12月22日(火) 「小田原宿」→「大磯宿」→「平塚宿」
●東海道五十三次ひとり歩きシリーズ、今回は、小田原をスタートしていよいよお江戸日本橋を目指して湘南の地にコースを移して歩くことになった。京都三条大橋を旅たってここまで2年8ケ月、今日が26日目。12月に歩くのは初めてのこと。一番日照時間の短い冬至の日と天皇誕生日をあえて歩くことにした。(前日はさった峠を富士山みたくて歩いた)
◎12月22日-「小田原→大磯→平塚」 ◎12月23日-「平塚→藤沢→戸塚」

この日のコース、小田原から大磯、平塚までの距離は18.5キロ。手持ちの資料では20キロ。実際は迷ったり道をさがしたり、史跡めぐりをするので23-25キロくらいと想定して1キロごとの通過時間の目安を前夜、地図に書き込んでおいた。なにしろ一年でもっとも日照時間の短い冬至、午後4時までにゴールしないとまずい。休憩時間も毎回500枚前後は撮るデジカメ撮影時間もすべて含めて時速3キロ。ただ歩くだけなら簡単だが、二度と歩くことのない東海道だから、急ぐのはもったいなくて時間の許す限りいろいろ見て歩きたいのだ。この小田原→平塚間は、箱根駅伝の7区(4区)にあたり駅伝距離は21.3キロどう見てもまっすぐ走る駅伝コースのほうが短くて、回り道の多い東海道のほうが長いはずだが資料の距離は旧東海道が短い、なぜだかわからない。
前泊した小田原駅前のホテルを午前7時25分に出発。前回ゴールの小田原宿の東の出入り口だった江戸口見付跡が今回のスタート、そこまで足慣らしを兼ねてゆっくり向かう。

       山王神社で安全祈願
江戸口見付跡についたのが7時53分。スタート予定を40分としていたので13分ほど遅れてスター。曇り空だが寒さはさほど感じなくていい歩きができそう。江戸口見付跡をスタートして山王神社で交通安全祈願をし人影のない山王橋をまっすぐにすすむ。
日本橋まで国道1号線で83キロの標識、今日はこの標識をよくみかけることになる。もちろん旧東海道は国道ばかりを沿ってすすむわけではない。この辺りは道路沿いにお寺が続く、鎌倉より小田原のほうが寺院が多いとか。登校する高校生と一緒になった。高校の手前の信号を右へ入り新田義貞の首塚を訪ねた。越前藤島で討死した新田義貞の首を故郷に葬ろうとした家臣宇都宮泰藤がここで病で没した際、義貞の首をいっしょに埋葬したといわれている。


再び1号線に戻り酒匂川にかかる酒匂橋を渡る、ここは広重の徒歩渡しの絵で知られているところ。橋から富士山が見えるらしいがあいにく、雲がかかって見えない。ここに渡しがあったらしい。日蓮上人ゆかりの法船寺の前を通り酒匂交番を過ぎ、大見寺に寄って、さらにしばらくすすむと松並木が見えてきた。印刷局入口から小八幡二丁目までの区間、立派な松並木が続いた。


若者が三人、正面から走り過ぎて行ったが、この区間を走る箱根駅伝選手の練習なのだろうか。

小八幡三丁目を過ぎるとバス停一里塚前を通る、ここにはかって一里塚があったらしいが、いまは説明板が立っているのみ。
森戸川にかかる親木橋歩道橋に上ると富士山が見えた。
9時24分。予定時間は9時20分だから取り戻した。

         新田義貞の首塚
歩道に面する塀に箱根駅伝の応援膜が取り付けられて正月の箱根駅伝が近づいていることを思わせる。地元の人たちもこうして正月を迎える準備なのだろう。
てっぺんに雲がかかっているがあーうれしい。こんな時の歩道橋は展望台になって歓迎、雲が動いてくれないかしばらく眺めていたが動く気配がないので行くことにした。
1号線を快調に行く国府津の町へ入った。
東京まで82キロ、横浜まで50キロ、平塚まで16キロということは、今日ゴールの平塚は旧東海道でこれから20キロくらいだろうか。
歴史を感ずる古い建物が続く、看板も面白い。



マリア観音像があるという真楽寺へ寄ってみた、親鸞上人が命名したというお寺、上人が石に指頭で名字を書いたといわれる2メートルほどの帰命石と呼ばれる石があった。
また、市の天然記念物になっている手植えの菩提樹もあったが尋ねる人影がなくマリア像をみることができなかった。
そのまま、JR国府津駅前を通過。

この駅名、なにか記憶があるなあ・・・明治時代になって鉄道が敷かれたとき、確かここが箱根山を越える起点となり御殿場から三島へ出るルートが敷かれたところ、思い出した。

海が近いせいか明るくて感じのいい街道を気持ちよくすすむ。



1号線日本橋から78キロ地点を通過。
屋根の向こうに海が見えてきた、あの島は?
向かい側にわたりたいが横断歩道がない。


道路脇に坂下道祖神前、大山道庚申塔がひっそりとたたずんでいた。この道祖神も東海道を行き来する多くの旅人の安全を守ってくれたことだろう。ほっとする。
いよいよ「車坂」だ。史跡車坂碑と車坂いわれの説明板が立てられていて、太田道灌、源頼朝、阿仏尼らの詠んだ歌碑が並んでいる。ここが風光明美な坂道であったことを証明している。

右側に太平洋が広がってきた。
旅人もこの峠からの眺めに疲れをいやされたのだろう。
確かに景色はいいが、車の通行量も激しい。海の写真を撮ろうにも車が邪魔をしてなかなか撮れない。何枚もとってかろうじて車が写っていない一枚がこれ。


車坂を上りきるとあたりの光景は左右に大きく広がり、ビルのない平坦な町並みの真ん中をまっすぐに1号線が緩やかに下っていく。しばらくは一号線に沿って行くので迷う心配、道さがしの苦労がない分、安心して歩きやすい、浅間神社前を通過。
中村川にかかる押切橋の手前で小田原市から二宮町へ入った。



押切橋を渡りそのまま1号線の急な坂を上って行くと箱根駅伝の中継スポットになっている押切坂へ行く、東海道は左の道へ入って今のだが、せっかくだからそのまま坂道を上ってみた。うん、なかなか急な道が続く。


また、戻ってきて本来の東海道へ・・・
ゆるやかな上りをすすむと民家の庭先に松屋本陣の跡の碑と説明板が立てられていた。このあたりは茶屋が続いていたそうだ。
静かな住宅街の道をすすむと再び1号線へ合流していく。
合流する手前に日本橋から18番目の梅沢一里塚があった。


1号線に戻ると向かいは川匂神社へ、日本橋から75キロ地点。落ち着いた街並みがどこまでも続く。

人影はまったくない。
不思議に思ったのは、これだけ住宅が続くのに店がほとんどないこと。なんでやろ?
買い物をするところが違う?買い物の仕方が違う?生活の質が違うのかな?
山西の信号手前で1号線から左へ入る。その角に大小さまざまな道祖神が並んでいるのに驚いた。もしかして、あちこちにあったものをここに集めてきたのかなあ・・・。↓

閑静な住宅街をすすむみ三代将軍徳川家光ゆかりの等覚院へ寄った。ここは藤で有名で大きな藤棚があった。


梅澤橋の親柱が道端に残っていた。ここに橋があった印。
この梅澤は大磯と小田原の中間、「立場」(旅人の休憩所)だった。当時は漁村で新鮮な魚介類が名物になっていたそうだ。?日向ぼっこ?↓いまも魚のおいしいところみたい。再び1号線に出てすすんでいくと二宮駅入口交差点に着いたので駅へ。11時7分、予定は11時。スタートして公式距離で10キロ、ちょうど今日の中間地点。まずまずのペースで一安心。休憩。温かいコーヒーが飲みたいなあ、Caféに入入りたくなるがまん。

駅前のロータリーの木の下に、二宮の空襲で父を失った体験を綴った高木敏子さんの戦争体験をもとに書かれた小説「ガラスのうさぎ」にちなんで建てられたガラスのうさぎを抱いてたたずむ乙女の像が立っている(写真車の左)。

←東京74キロ、横浜42キロ、平塚8キロ

ふたたび1号線にもどり、葛川にかかる塩海橋を渡ると1号線が向こうまで続いている、快調にすすみ大磯町に入った。大磯町、どんな街道が続くのやら興味津々。

六所神社入口の鳥居を撮っていたら自転車のおばさんに“危ないわよ!”と言われた。一呼吸遅れて“すみません!” ←鳥居の足元に古い道祖神。

気をつけていたつもりだが、道の真ん中で撮っていたのだろう・・・反省、反省。
とにかく事故が怖い、歩道を走る自転車はとくに怖い。常に注意して道の端を歩くようにして、細い道は振り返りながら歩くようにしているのだが、写真に気をとられていたことを反省、言葉をかけられたのは警告として受け止めて注意して歩こう。
大磯警察署の手前で一号線から左の松並木を行く。静かで閑静な住宅が続く。いいところだ、さすがに大磯。警察署前の松の切り株モニュメント。時間は12時前、予定より早くすすんでいる。

松並木に日本橋から17番目の中丸一里塚の跡を残すものはない、江戸から十七里の碑がある。この辺りは国府本郷と呼ばれて相模国の国府がおかれた由緒ある土地とのことだ。不動川にかかる本郷橋を渡ると斜めに上り坂が続き左に県立大磯城山公園が見えてきた。ここは昼食と休憩地点に予定していたのでベンチを探してさっそくお昼。12時4分。予定は12時20分としていたから時間の貯金ができた。迷わなかったのと寄り道を最小にしたのがよかったのだろう。昼食といっても昨夜の残り物のおにぎりとパン。それで十分。

犬の散歩にきたおじさんとしばし話込んでいたら隣のベンチに同年齢くらいのご夫婦がきて弁当を広げ始めた、愛想のいい奥さん、どちらともなく話しかけて会話がはずんだ。奥さんの心配ごとを聞かされた。65歳になった去年、自営業から引退した亭主が急に老けこんできたので心配になり、外歩きを誘って今日もここへ来たという。こちらの歳を言って自分の経験を話したら、とても興味を持ったようで励みにして歩くと夫婦で言ってくれた。
こちらの記念写真を撮ってもらって、夫婦の写真も送るからと撮ってあげたら喜んで住所氏名をメモ書きしてくれた。とても穏やかないい夫婦だった。ここで大幅に時間オーバー、早くついて貯金したばかりの時間も食ってしまったでも、そういう出会いが東海道の楽しいところ。

                      城山公園の頂上へ上ってみたら富士山が見事にみえた。ラッキー。
吉田茂邸は去年焼失したはずだからパスして1号線に沿って歩
いていく。




車の通る音以外は静かできれいな街道がすすむ、ここが大磯、ここまで歩いてきてこんなにきれいな町並みを歩くのは初めてだ。人影はまったくない。
相変わらず店もない。

そういえば、コンビニを全然みないなあ・・・
やがて見事な松並木が見えてきた、本格的な松並木でこれは歩くのが楽しみだと思った。その松並木の入口、右に伊藤博文旧居跡の碑がたっていた。最近まではプリンスホテルの中華飯店だったらしいが店は閉められていた。

大磯の松並木は保存もよく歩道も遊歩道になっていて気持ちよく歩いた。とにかく大きくて高い松が多く、カメラには納まりきれない、業者が保存のためか何か作業をしていた。13時30分、予定の時間通り。

大磯の松並木。


←↑大磯松並木で一番高いクロマツ、25メートル。
樹齢150年。

[東海道の歴史を物語る松の年輪]



この切り株は平成6年11月に松の天敵であるマツクイムシの被害にあってしまった老松(樹齢217年)ですが、いつまでも東海道の歴史を語り続けてほしいとの気持ちから歴史年表としてここに保存します。
 説明板より
松並木の片側だけが遊歩道のようにきれいに整備されて気持ちよく歩く。



一番太いクロマツ、幹4.3メートル。
樹齢300年。



[旧島崎藤村宅]
しばらくすすみ路地を入って旧島崎藤村宅に回り道した。
ここは藤村が亡くなる前の二年間住んでいたところらしい。
奈良の志賀直哉旧居よりこじんまりとした平屋だが文豪の住んだ家はとても雰囲気がよく似ていた。
[鴫立庵]
1号線にもどり大磯町役場のとなりにある西行法師ゆかりの鴫立庵へ寄った。寛文四年(1664)小田原の崇雪が西行を慕って草庵を結んだのが始まりという日本三大俳諧道場のひとつといわれている。
   心なき身にも あはれは知られけり 
           鴫立つ沢の秋の夕暮れ (西行)

次へ急ぐ前に大磯の海岸へ出てみた。太平洋はすごい、大きくて広い、海岸も長い、白波が打ち寄せてくる、あわてて逃げる、それを繰り返す。セメントのような細かな砂、歩くのがむずかしい。なにしろ瀬戸内海育ちで海のスケールも景色も砂も違う太平洋を目の当たりにして気分が爽快だった。
鴫立庵のとなりに

[湘南発祥の地大磯の由来]

崇雪と言う人が西行の詠んだ名歌を慕って鴫立に草庵をここに結び標石をたて東海道を往還する旅人に鴫立澤を示し「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えて刻んだのがはじめです。
中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南といい大磯がこの地に似ているところから湘南と呼ばれるようになりました。(説明板より)

[新島襄の終焉の地]
1号線に戻り少し進むと明治の三大教育者の一人で同志社創立者の新島襄の終焉の地の碑が道路わきにきれいに祭られていた

[大磯照ケ崎海水浴場発祥乃地]さらにすすむと大磯照ケ崎海水浴場発祥乃地の碑がたっていた。明治18年に日本最初の海水浴場としてこの地に開かれたそうだ



↑西行まんぢゅう、虎子まんぢゅう
 [菓子屋新杵]明治24年創業。

鴫立庵、大磯海岸でのんびりとしたために時間をとってしまった。このわずかな区間で予定より28分も遅れて14時18分になっていた。ここから一号線は左へ大きく曲がってすすむ。
日本橋まで1号線68キロ地点まできた。
このあたりから大磯宿の中心地だったのだろう、古い建物が目についた。

← [島崎藤村の墓所と地福寺]↑に寄ってみた。
     尾上本陣跡      小島本陣跡の碑
      

       【8-大磯宿】天保14年(1843)
        
          本 陣        3軒
          脇本陣        2軒
        
 旅 籠       66軒
       総戸数    676戸
大磯郵便局前、大磯駅入口、大磯駅前歩道橋・・・とすすむ。
←箱根駅伝の交通規制の横断幕。
このあたりが大磯の中心街なのだろうか。

三沢橋を渡り1号線から左の道へすすむ、JR東海道線の地下道を通ってすすむと両側に松並木が続く、そのまますすむと化粧坂へ続く。
[化粧坂江戸見付]
このあたりに大磯宿東の入口・見付があったらしい。不ぞろいだが松並木が続く。



[化粧坂の物語]

建久4年5月28日、曽我兄弟は降りしきる雨の中で父の仇を討ったが、兄十郎は討たれ、弟の五郎は召し捕らえられてしまった。十郎の愛人虎御前は、これを悲しんで緑の黒髪を断切って尼となり、兄弟の冥福を祈った。わずか19歳の虎女に涙したか、以来この日は必ず雨が降り虎が雨と名付けられている。


[大磯八景]
化粧坂の夜雨 雨の夜は静けかりけり化粧坂
 松の雫の音ばかりして 義之 昭和12年


[化粧坂一里塚跡]
日本橋から16番目の一里塚跡立て札のみ。↓


←[広重の虎ケ雨]
5月28日は曽我兄弟討ち入りの日で曽我十郎の愛人虎御前の涙が雨となって降るという。
←こら、どけ![化粧井戸跡]
行ったり来たり、いくらさがしてもみつからない、この赤い車が前をふさいでいた。看板にくっつくように止めてあるので写真がとれない。こんな場面がいたるところにある。


伝説によると鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近だった。当時の大磯の代表的女性虎御前もこの近くに住み朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧をしたのでこの名がついたといわれている。




化粧坂をすすむと再び一号線に合流、道路反対側のお寺から親鸞上人の像が見えたので予定はしていなかった善福寺へ入ってみた。住職さんなのか掃除をしていたのでわが家も本願寺派だと話しかけたら、わざわざ本堂の中へまで案内して、ご本尊の前に座らせてもらい、重要文化財の写真まで撮らせてもらった、おまけに2010年のカレンダーまでもらった。こんな出会意も楽しい。

66キロ地点、突然わら葺きの家が目に着いた・・・なに?↑

金目川にかかる花水橋を渡ると平塚市に入る。大幅に時間がおくれてしまったが、金目川を渡り平塚市へ入る、ゴールまで残り少なくなって気が緩んだのか、手持ちの地図のページが変わるところで、1号線を右折しなければならないところを、新しいページで確認もせずそのまま進んで500メートルは行き過ぎただろう。
ここからあわてて引き返して一筋を間違えて路地だらけの住宅街に入り右往左往、まさかと思って尋ねたおばあさんが、なんとなんと、東海道を静岡まで歩いた経験がある人ですらすらとわかりやすく教えてくれた、それだけでなく、日が傾いてきたので気をつけて行ってくださいと励ましてくれた。




[平塚の塚]



桓武天皇の曾孫平真砂子が東国へ向かう途中にここで死去、遺骸を埋め塚を築いたことから「ひらつか」になったらしい。天安元年(857)
平塚の地名が起こった平塚の塚のある公園
[平塚宿京方見付の碑]平塚宿の西の入口。
国道1号線から右折、東海道に入ってすぐ右側にある。
こういう碑は気をつけないと通りすぎてしまう、道路反対側を通るとみつからない。そのために両側を歩くことにな。横断歩道が近くにないとほんとうに困る。この繰り返し。
 

←[西組問屋場跡]
ここからは通りをまっすぐにすすめばよい。

[平塚宿本陣旧跡の碑]

さきほどのおばあさんが「神奈川銀行」を強調していたので、銀行が見えてきた時はほっとした。下写真の碑は銀行の前にあった。
京方見付からこのあたりが平塚宿の中心だったのだろう。いまはなにも面影を残すものはない。



↑[平塚宿本陣旧蹟碑]

碑文によると神奈川銀行南面に建っていた。記録によると徳川14代将軍家茂は文久3年2月と元治2年5月の2度ここで休憩をしている。また、明治元年10月と2年三月、明治天皇は東京行幸と遷都に際してここに小休されている。

通りをすすむと高札場、問屋場跡が続いている。
←[高札場の蹟]
説明によると平塚宿から藤沢宿、あるいは大磯宿までの公定運賃を定めたものの高札などが掲げられていたそうだ。

                      [脇本陣跡]↓


←[東組問屋場の蹟]

平塚宿では西組、東組と2ケ所の問屋場があり、人馬の継立や旅館の手配など宿駅の業務を取り扱っていた。
冬至、夕刻は早い、あたりはすっかり日没前の日差しになった、西の入口・京方見付で始まった平塚宿の東の入り口・江戸見付に到着、ここが今回のゴール。

[平塚宿の江戸見付跡]

歩いてきた平塚宿の二つの見付間は1.5キロ。見付は、城下に入る人を監視する見張り場と宿を守る防衛施設としての役割があった。ここ平塚宿江戸見付は、長さ3.6メートル、幅約1.5メートル、高さ1.6メートルの石垣を台形状に積み、頂部を土盛りしていたそうだ。(下記の説明による)


      【7-平塚宿】

平塚は北条氏が城郭を築いたところから発展した町で相模川を利用した物資の集散地や、東海道はもちろん中原街道、八王子道が通るため交通の要所として栄えた。

  
      
江戸口見付到着は16時25分。
16時を予定していたから25分の遅れでまずまずの初日の歩きだった。冬至の日の東海道を無事に歩き終えてほっとした。

今夜は平塚泊まり。

明日はここから藤沢、戸塚へ向かって歩く。

ホテルら入ると明日の準備。今日より距離がある、ゴールすれば大阪へ帰る長い旅があるので今夜は静かに休もう。