のんびりゆっくり 東海道シリーズ-27
2009.12.23 平塚→藤沢→戸塚 茅ケ崎の松並木

2009年12月23日(水) 「平塚宿」→「藤沢宿」→「戸塚宿」(横浜市)
●東海道五十三次ひとり歩きシリーズ、22日に続き23日の天皇誕生日に(7)平塚→(6)藤沢→(5)戸塚を歩いた。
◎距離は21.6キロ、箱根駅伝の同区間は8区(3区)21.5キロ。前夜、平塚駅前のホテルで、今日のコースの確認と見どころポイント、通過時間を設定して◎ゴールは平塚駅手前のバスセンター前、到着予定時間は16時30分までとした。◎今日は帰宅するので最終時間を戸塚駅発17時40分と設定し、1時間の余裕をもって歩くことにした。
●6時20分起床、7時からホテルのレストランで温かい食事をとった。ホテルを午前7時45分に出て東海道に入る前に平塚駅前から今日の安全祈願のために平塚八幡宮へ向かった。平塚八幡宮はかっては相模国八幡庄の総鎮守。ここからも富士山が見えた。

 東海道平塚駅前交差点を8時8分にスタート、 天気は良し、寒くもなく国道1号線を元気にすすむ。
←馬入橋から来た方向を振り返ると真中ビルの間に富士山が見えた。最初のポイントの相模川にかかる馬入橋についた。想像していたより長い橋で、すぐ下流をJR東海道線が走っている。風は冷たいが昨日までの足の疲れもなく徐々に体も温かくなりウォークにはまったく支障はない。体調は良し。東海道線をいろいろなカラーの電車が通る、これも電車好きには楽しい。相模湾も見える。

馬入橋の名前は源頼朝がここで落馬したことでつけたといういわれがあるらしい。当時はここで馬から渡しに乗り換えて渡ったに違いない。

振り返ると富士山がきれいに見える。前にすすみたいし、富士山は見たいし・・・振り返り振り返りすすむ。
←橋を渡り新田交差点手前で平塚市から茅ケ崎市に入る。

←産業道路入口交差点を過ぎ甲斐武田氏の流れを汲む武田信就が先祖を弔うために創建したという信隆寺前を通り、下の川入口交差点を超え←今宿の交差点を過ぎると前方にバイパスが見えてきた。↓

今宿を越えると新湘南バイパスの下を通過、小出川を渡るとすぐ←不思議な光景が眼に入ってきた。公園の真ん中の小さなプールのようなところに古い木が何本か並んで浮かぶように立っている?
近くに行って説明を読んでみると旧相模川橋脚跡が保存されているものだった。関東大震災で9本の鎌倉時代の木の杭が出てきたらしい。1926年、国の史跡に指定されたそうだ。

8時50分。ほぼ予定通り。ここで早めの休憩、給水。
また、1号線に戻り大きく左から右へカーブしてすすむと鳥居戸橋へ着いた、橋の左手に色鮮やか鶴峯神社の赤い鳥居が目立つ。市内最古の神社で平安時代の後期に源頼義が創建したと伝えられている。茅ケ崎の総鎮守。
道路脇に南湖左富士の碑がたち、ここから左富士の見えるところ、振り向いてみると、確かに1号線の左側に見事な富士山が見えた。これが左富士、左富士が見えるのは2ケ所だけ、吉原で左富士を見ることができなかったので感動!このあたりは南湖という。
ここは広重の絵にも描かれているところ。しばらく写真を撮ってながめていたら自転車で通りがかった若い女性が自転車を止めて携帯で撮り始めた。
↓鳥居戸橋からの左富士のながめ。
千の川を渡り左へカーブしながら1号線に沿ってすすむと茅ヶ崎茶屋郵便局の前へ、このあたりから平塚と藤沢間の茅ヶ崎「間の宿」として賑わい茶屋町と呼ばれたところらしい。

←↓第六天神を過ぎると十間坂の交差点へ、昔はここから富士山、箱根山、大山、江の島、鎌倉、六浦、金沢など十の景色が眺められたので十間坂と言われたらしい。



日本橋から59キロ地点、9時19分に通過。


このあたりから茅ヶ崎の中心地になっていくのだろうか賑やかな通りに松並木が続く。
右側に円蔵寺が見えてきたので寄ってみた。慶安2年に徳川家光から朱印状が与えられた真言宗高野山派のお寺で庭に弘法大師の大きな立像が立っていた。(写真右端)

こうして曲がった松も伐採しないで保存してある。
がんばれ、がんばれ、倒れるな!そっと声をかけてやった。
[間の宿・茅ケ崎]
茅ケ崎は藤沢宿と平塚宿の中間にあって間の宿としてに賑わったところで左富士からこのあたりまでの「南湖」、これから行く「菱沼」「四ッ谷」の三つの立場があった。◎「間の宿・立場」とは、宿と宿の間にある村を「間(あい)の村」という。間の村の中で、馬を継ぎ立てたり、人足や駕籠かきなどが休息する場所を「立場(たてば)」といった。
茅ヶ崎警察署、郵便局前を通り茅ヶ崎駅前交差点を過ぎる。
←茅ケ崎郵便局、年賀はがきの売り込み!

一里塚バス停前の一角にお江戸から14番目の茅ヶ崎一里塚が整備されて塚も昔の面影を残していた。町並みがきれいで気持ちよい歩きが続く。


市立病院入口前を過ぎるとまたきれいな松並木になった。

茅ヶ崎高校の前。9時55分、予定時間ぴたり。これぞ東海道。気持ちがいい。足がどんどんすすむ、うれしいんだろう。
←気分がいいいとミラー遊び。
菱沼歩道橋近くに牡丹餅茶屋跡。↓この菱沼も立場があったところ。行き来する旅人が休憩した茶屋がたくさんあったところなのだろう。

56キロ地点、10時7分。順調にきている。
小和田を過ぎ古い佇まいの上正寺に寄ってみた、このお寺は茅ヶ崎で唯一の浄土真宗のお寺だそうで聖徳太子二歳像があるそうだが、拝観はしなかった。55キロ地点を10時24分に通過。

東小和田を過ぎるとまた松並木が見えてきた。
←赤松歩道橋を過ぎるとまたきれいな松並木が続く。

茅ケ崎市の東海道は1号線に沿っていてわかりやすい。至る所に松並木が残っていてとてもきれいで雰囲気もよく気持ちよく歩くことができた。京都からここまで歩いてきてもっともきれいで美しい街道だったと思う。迷う心配もまったくなかった。茅ケ崎さんすばらしい松並木を歩かせてくれてありがとう!ここまで茅ケ崎市↓


←これから藤沢市に入る。10時30分。
予定通りの時間で通過、順調、よし、歩け歩け!
←大山街道入口、二ツ谷バス停、二ツ谷稲荷の前を行く、このあたりには大山詣帰りの信者達が江の島や鎌倉へ向かう途中に休憩所として二軒の茶屋があったためにそう呼ばれるようになったそうだ。ここも松並木が少し続く。羽鳥交差点へ。↓
羽島交差点向かいの三角地点に古い祠が見えたので寄ってみた。古い四ツ谷不動(大山道標)が立ち不動明王が安置されていた。古いはず、説明板によると延宝四年(1676)に建てられたもの。ここは東海道と大山道が交差した四辻に建てられたものでこのあたり多くの茶店が立ち並び参詣客でにぎわったらしい。

大山道とは、江戸時代に関東各地から相模国にある大山の大山阿夫利神社へ参詣者が通った古道のことをいうそうだ。この四谷あたりも立場であったそうだ。
東海道はここで1号線から44号線をすすむ。しばらくすすむと左手の土塁の上に松並木が続くが、これは昔の東海道の土塁跡が残っているものらしい。
辻堂を過ぎると好物の羊羹の幟が目の前に飛び込んできたのでつられて店に入った。おやつに二個、県指定という大庭城最中とくり羊羹を買った、お店の人が気をつけて行ってくださいと声をかけてくれた、うれしかった、店の名前は丸寿さんだったかな。
さあ、どこで食べようか・・・・。
羽鳥を過ぎる左へ大きくカーブする、メルシャンの工場が見えてきた。少し寄り道をすると重要文化財の薬師如来像があるという養命寺があるのだが、少しでも早く藤沢の中心地へ行きたいのでパスしてすすもう。
おやおや、こんなところでお勉強・・・


祠が見えてきた。お参りしてとのぞくと・・・・あれっ、二人並んだ道祖神が口紅をしている。両脇にはきれいな菊の花がいけられみかんも備えられている、仔馬のような人形も置かれていてずいぶんと賑やかな道祖神さん、そばに説明文が書かれていたので読んでみたら「女性の願い事なら、何でもかなえてくださり、満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をする」と伝えら、今でも、お顔から白粉が絶えることがないという。そのような所から、誰からともなく「おしゃれ地蔵」と名付けられたらしい。
形は道祖神だがお地蔵さんと呼ばれているようだ。でも、男の願い事は聞いてくれないようだからパス。

←引地川西交差点の手前にくると岡の向こうになにやら不思議な塔が見えてきた。???なんやろ??
←おっ、東海道のラーメンと書いてある。
引地川にかかる引地橋を渡り、5分ほどすすむと↓湘南高校のバス停、続いて湘南高校入口交差点へ。えっ?あのプロ野球ニユース初代キャスターの佐々木信也さんの母校で有数の進学校ではなかったか?記憶違いでなければ、佐々木さんの時代に甲子園で優勝している名門高校。佐々木さん、どうしているのやら。



しばらく緩やかな坂を上って行くと高架になって下を電車が交差している、小田急江の島線ですぐ左に駅が見えている。なるほど、ここから江の島へ行けるのだな、でも残念。高架の手前に上方見付跡があるらしいので行ったり来たりして探したが結局みつからなかった。かざり屋という古い店があったが、そこはかんざし屋だったらしい。高架で11時28分。予定到着時間が11時30分だから予定通りに来ているので安心した。
このあたりが藤沢宿の西の出入り口だったと思われるので、ここから東の出入り口にあたる遊行寺坂まで80分を自由時間にしてうろうろしてみることにした。集合場所は遊行寺で午後のスタートは12時50分。集合場所へ集まるのはだれ?
ここまでは順調に来たが、実は、実は? 午後がお楽しみ。

最初に訪ねたのが「白旗神社」、この神社の御祭神が、寒川比古命と源義経公。えっ?源義経??? 兄頼朝に追われ奥州平泉で亡くなり文治五年(1189)に藤原泰衡から義経の首が鎌倉に送られてきた、それを神社で祭神として奉ようになったらしい。

白旗神社には立派な藤棚があり芭蕉の句碑もあった。ここで時間をとり過ぎてしまった。

その首実験の後に腰越しの浜に捨てられたが、潮にのって境川をのぼりこの辺りに漂着したのを里人が救いあげ洗い清めた井戸と伝えられている義経首洗い井戸がすぐ近くにあったので訪ねてみた。
弁慶の首も送られてきたという話もあるらしい。
          周辺にあるお寺参りを始めた。創建が元歴元年(1184)で藤沢宿最古の寺院の一つ真言宗の荘源寺、本陣職を務めた蒔田家の墓がある日蓮宗の妙善寺、天然記念物の高さ25メートルのカヤの巨木のある浄土宗の常光寺、そして飯盛女の墓碑がたくさんある浄土真宗の永勝寺をぐるり一周した。
      ↑浄土宗の常光寺  ↓浄土真宗の永勝寺
↑日蓮宗の妙善寺 ↓真言宗の荘源寺 
 わずかな地域に各宗派のお寺が集まっているのは珍しい。信心深い人たちの門前町、宿場町だったのだろう。
もとの東海道に戻ってきたら12時26分になっていた。やはりお寺巡りは時間がかかる、時間を読み違えていた。
←薬局の前に蒔田本陣跡の木柱、このあたりが宿場の中心地であったと思われるがその面影はない。うっかりして通り過ぎてしまい引き返して発見した。こういうことの繰り返し、さっさと歩くことはできないのだ。通りの反対側に移動して↓問屋場跡の碑を探しながら、いくつか宿場の雰囲気が残っている建物があった。

←古い建物が・・・金物店 ↓蔵の跡らしい。紙屋らしい。

←おや、緑の暖簾に創業嘉永2年と書いてある・・・老舗の(1849)和菓子屋さんらしい、豊島屋本店。栗むし羊かん?
さっき買ったのはくりようかん・・・
      【6-藤沢宿】天保14年(1843)
        
          本 陣        1軒
          脇本陣        1軒

        
 旅 籠       45軒

遊行寺の門前町として古くから発展してきた藤沢は、東海道の宿場としても栄え、また鎌倉道や江の島道の分岐点として鎌倉や江の島へ観光する人々や夏は大山へ参詣する人の足場として大変賑わった。

←東海道藤沢宿 昔話のある町。
藤沢橋交差点手前を左へ境川にかかる遊行寺橋を渡りそのまま遊行寺へ。「遊行寺」は通称で正式には「清浄光寺」。

大きくはないが黒い総門は日本3大玄門(黒門)、ここから48段のゆるやかないろは坂を上っていくと大きなイチョウの前に出る。
遊行寺は一遍上人が開祖の時宗の総本山で、藤沢は鎌倉時代から遊行寺の門前町として栄え、宿場町となってさらに発展を遂げてきたという。さすがに総本山、規模が大きい。1325年開山。

銀杏の樹の下で弁当を食べているとハトに囲まれて、おにぎりを与え、のんびりとおやつに買った最中も食べているうちに13時10分を過ぎていた。

←市指定天然記念物の大イチョウの下で。
予定を20分も過ぎたのでそのままコースの遊行寺坂へすすめばよかったのに、なにを思ったのか、もう一度、遊行寺に戻ってくるつもりで蒔田本陣跡まで引き返して、さらに高札場跡を探しているうちに、方角の違う藤沢橋の交差点を直進、気がついたら郵便局前だった。かなりの距離を引き返すことになった。遊行寺に戻って小栗半官と照手姫かりの長生院へ寄るつもりにしていたのに時間のこともあり断念してそのまま遊行寺坂へ急ぐことにした。熊野古道に小栗半官と照手姫のゆかりのある個所があり、大阪南部から和歌山市海南あたりまでは、熊野古道を別名小栗街道と表示している道標があったのでその関連を知りたくて関心があったのでパスすることになったのは心残り。 
←遊行寺坂は箱根駅伝8区の難所、その遊行寺坂へ戻ってきたのは14時7分。集合時間に約1時間20分も遅れてしまった。これで設定したキロごとの予定時間は無理になったので、少しでも遅くならないように、見どころも最小限度にして歩くことにした。もともと集合時間の設定に無理があった。ただ、最終日の午後は疲れが出るはずだからと休憩を含めて40分ほど、調整時間を設けていたので、16時30分のゴールには、実質的には40分の遅れ、これなら心配することはないと思った。
とにかく進もう・・・左に遊行寺、右に諏訪神社を眺めながら上って行く、藤沢宿の東口↑江戸方見付跡、←一里塚跡の碑を確認しながら一気に上って行く、上りが続く、駅伝選手にはきつい上りかもしれないが歩くのにはそんなに厳しい坂とは思わなかった。
上りきり西富歩道橋を過ぎ、遊行寺上バス停を過ぎる、どんどん歩き続ける。

両側は静かな住宅街、遊歩道風に整備されて歩きやすい・・・こんな茶屋が・・・寄ってみたいがここは急ごう。久しぶりのコンビニでお茶購入。足を止めるとさすがにスタートが鈍くなってきた。疲れだろう。←旧東海道松並木跡の記念碑。14時26分。

←おや、なんだ? 
災害時支援備品が置いてある。上の説明が破られているが、いざの時に使ってくださいということらしい。なかなか、たいしたもんだ。(社) 神奈川県自動車整備振興会藤沢支部と書かれている。
車の通行量の激しい1号線に沿ってどんどんすすみ、戸塚第一歩道橋に来て気がついた。14時30分。
あっ、藤沢市から戸塚に来ている、横浜市戸塚区だ。↓
鉄砲宿バス停を過ぎて1号線を少し上がった小道にある双体道祖神に寄った。向かい側の工事現場で車の出入りをチェックしていたおじさんが信号のない道路を横切ってわざわざ寄ってきて何を見ているのか聞いてきた。双体道祖神のことを説明したら納得した。工事現場に来て二月間になるがここによく人が行くので何があるのかいつも気になっていたという。
ということはこのあたりのウォーキングでは見学箇所なのだ。この双体道祖神さん。
←諏訪神社前を通過。ここのクスの木は横浜市の古木鑑定。影取第二歩道を通過、両側に店が多くて少し休憩したい・・コーヒーが飲みたい、体を温めてやりたい、足を休ませてやりたい!
少し疲れを感じてきた。三日分の荷物を背負って歩くので肩が痛む。昨日からほとんど1号線に沿って歩いているので騒音と排ガスが余計に疲れを増長させる、とにかく早く通り抜けたい。
←小田原からここまででもっとも疲れを感じた時間帯。原宿バス停でとうとう休憩にした。腰をおろしたのは、昼に弁当を食べた遊行寺のイチョウの木の下以来初めて。写真右側の植え込みを囲う石の上に座ってリュックをおろしてお茶を飲んだ。バスを待ってるおじさんがちらちらこちらを見ていたが、ここは、黙って口は開かん、疲れてるんやもん!
さあ、元気を出していこう、原宿歩道橋を過ぎるとゆるやかな上りになってきた。浅間神社前を通過。↓

このあたり原宿は、当時の藤沢宿と戸塚宿との中間、原宿立場で茶屋がたくさんあって旅人で賑わっていたという。
いまはファミリーレストランやファーストフードが並んでいる。
江戸から↓11番目の原宿一里塚の前を行く。15時24分。


上りきり吹上の信号を過ぎると道は左を膨らみながら坂道を下って行く。大坂の下りに近づいたらしい。下れば戸塚の町だ。
こういう時は気持ちを落ち着かせるように、集中するように「般若心経」を小さく口にしてすすむ。不思議なもので集中していると最後まですらすら口に出てくるもの。
冬至の翌日、天皇誕生日の早い陽が傾いてきた・・・
のっぽさんになった!
ここのマンション前のベンチに腰かけて休憩、ゴールまではそんなに距離はない、ゆっくりと下って行こう。
疲れも取れてきて足は大丈夫、長い距離を歩くと午後の中間時、疲れを感ずるが、その後き逆に元気になるのが自分の歩きのパターン、まるで午後の眠い時間と同じ見たい。
15時28分。残り距離は多く見積もっても4キロまでだろう。ポイントさえうまく見つかれば目標の16時30分までにはゴールできる。あとは事故のないように、最後まで集中力を切らさないように、今度は365歩のマーチで元気よく歩こう・・・シアワセハ・・・
この坂を大坂というらしいが戸塚八幡まで大きくカーブを描きながらかなりの急角度で下りが続く、約2.5キロ。
中央分離帯は松並木が続く。

これを上って行くのは疲れるだろう。この大坂は何度もの改修してなだらかになっているらしいが当時は険しくてさびしい道であったに違いない。途中で左手眼下に市街地が見え隠れして戸塚の町が近づいていることを感じた。
あっ、しまった!お軽堪平の碑を通り過ぎた
戻って探すか先へ行くか?もう、行こう!
←1号線だと東京まで45キロ、近づいてきた。戸塚・汲沢町歩道橋を通過。かってはこのあたりを八丁畷といって美しい松並木が続いていたそうだ。右に左に大きくカーブしながら下って行く。
↓新道大坂上バス停。

←大坂の道標。どんどん下がっていく。
坂の中間あたりで戸塚警察署前を通過。このあたり一番坂、2番坂と言っていたらしい。

道祖神が並んでいる・・・きっと江戸からだとこれから上っていく旅人の安全を祈ってくれたのだろう・・・いまのこの道を歩く人の無事を祈ってくれている・・・手を合せてさようなら。
やっと坂を下って大坂下まできてホッとしていると気になる石碑が目に入ったので寄ってみた・・・第六天宮

藤行翁之被と彫られているが藤行翁とはなに者やろ?


信仰心の篤い伊勢の人で・・・・パス!
上方見付跡。平塚宿の西の出入口だったところ。説明によると・・・

江戸方見付から約2.2Kの距離にある戸塚宿京方の出入口です。現在は道の両側に1.5メートルほどの石の囲いがあり、昔と同じように京に向って左に桧の木、右に楓が植えられています。ここから京方は数々の浮世絵の背景に登場する長大な大坂の上りが続いています。ここ戸塚見付跡が見当たらず時間を浪費した。
16時11分に芭蕉句碑のある富塚八幡に着いた。遅れを取り戻しゴール予定16時30分には間に合う。戸塚町信号↓
富塚八幡は、源頼義、義家父子が奥州へ下る途中に八幡大神を勧請したのがはじまり伝えられ、戸塚の総鎮守守となっている。この「富塚」が「戸塚」と呼ばれるようになったというので戸塚の名前はこの神社に由来している。
←富塚八幡の境内にある芭蕉句碑。
  「鎌倉をいきて出けむはつ松魚」 元禄5年(1692)。
  はつ松魚とはカツオのこと。 

八坂神社前でとてもすばらしいポスターに遭遇した。「心に旅を」いいことばだ。この東海道五十三次ひとり歩きも心の旅、いつもストレスばかり与えている心さんに旅をさせてあげないと・・・戸塚神社にお参りして古い通りをすすむ。

←戸塚消防署前あたりが戸塚宿の中心であったらしい。
当時はこの両側に旅籠屋や茶屋が軒を並べていたのだろう。
そのまますすむと澤邊本陣跡の碑、明治天皇戸塚行在所跡がある。明治天皇が寄られたくらいだから立派な本陣であったに違いない。
     【5-戸塚宿】天保14年(1843)
        
          本 陣        2軒
          脇本陣        3軒
        
 旅 籠       75軒

戸塚宿は、日本橋から十里(40K)あり、早朝に江戸を立った旅人が最初の宿をとるのがここ戸塚宿だった。もともと保土ヶ谷宿と藤沢宿の間に宿場はなかったが権太坂や大坂の難所があり距離も長いので遅れて戸塚に宿場が設けられた。
バスセンター前に着いたのが16時24分。手前の郵便局の隣に内田本陣跡があるはず、いくら探してもない、年賀はがきを道路で売っていた郵便局の人に聞いても知らないという。夕方で人は多いが通行人に聞いてもわからないだろう・・・この辺りは工事中でごたごたしているのでなくなったのかなと思いつつ、ヘルメットをかむった男女二人連れに聞いてみた。女性のほうが自分のもった地図を手にとって・・・ちゃんと方角を合せて、間違いなくこの場所だが・・・写真の背景のビルが違うので立て替えられたのかもしれないという、このあたりは最近開発続きで変わっているといわれてここはあきらめることにした。

30歳くらいのあの女性、地図の見方が素早かった・・・建設会社の人かなあと思った。とても気持ちのいい相手をしてくれてうれしかった。

でも、本当はあきらめていないぞ。
次回、もう一度、あそこを探してみる。


ほぼ予定の時間にゴールした。今日の歩数 約48,500歩。
戸塚バスセンター前は、いつのまにか夕方の雰囲気につつまれて気温も下がり風が冷たかった。そこから戸塚駅方面は工事中でJR戸塚駅へは、人の流れに連れられて行くうちに地下にある改札へたどりついた。
戸塚駅地下道の広重絵
予定していた最終のJRの時間には1時間も余裕があったのでゆっくりと温かいコーヒーが飲みたいと思ったが、夕方の雑踏を見ていると帰りたくなった。夕食に食べる駅弁を買って帰りの時間をチェック、予定していた最終の電車より早い電車に乗ることにした。次回、この駅に降りる。ここから長い帰り旅が始まった。

青春18きっぷ-東海道線

○戸塚16:59→(沼津行き)→沼津(乗換)→浜松着21:02
とことこ、とことこ、各駅停車長い・・・
周りの乗客はどんどん変わっていく

外は暗い、退屈なので初めてのことだが
携帯でブログに書き込み、あっ、できた!

家にも生存メールを入れておいた。

(浜松行各駅停車に乗り換え)
(新幹線乗り換え)

浜松駅で乗り換え時間36分を利用して戸塚で買ったしょうが焼駅弁とアサヒさんでベンチ夕食。

○浜松21:38→(新幹線ひかり)→名古屋
(のぞみに乗換)→新大阪着23:05
この日の帰宅電車移動・・・6時間6分
・・・ JR交通費 2,300+9,100=11,400円
・・・ 東海道の歩数 約48,500歩

今回は
 21日 番外 由比のさった峠
 22日 小田原→大磯→平塚(冬至)
 23日 平塚→藤沢→戸塚(天皇誕生日)
こうしてとうとう横浜まで来た。寒さを心配したが歩くことにはまったく支障がなく、コースも1号線沿いでわかりやすく無事に歩き続けることができた。
これでゴールが見えてきた。
次回は3月にここ戸塚からスタートする予定にしている。
あと三日で日本橋へゴール、4月13日、70歳の誕生日。