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のんびりゆっくり 東海道シリーズ-30
こちらからどうぞ 2010.04.13 品川→日本橋 日本橋ゴールの顔


やった、とうとう、やった!

三条大橋から日本橋まで70歳の誕生日に完歩!
2010年04月13日(火) 「品川宿」→「日本橋」

とうとう東海道五十三次ひとり歩きシリーズの最終日を迎えた。2007年4月14日、3年計画で京都三条大橋をスタートする時、最終日は、70歳の誕生日2010年4月13日と宣言をして、HPにすべての予定と経過を公開し続けてきたが、ほぼ計画通りに順調に楽しく歩き続けることができた。あれから3年、いよいよその日・2010年4月13日が来た。
京都三条大橋をスタートして3年、30日目は「品川」から「日本橋」までの最終8キロ。これまでは、ひとり歩きというタイトル通り、ひとり歩きに徹してきたが今回はお二人が同歩を申し出てきたので一緒に歩くことにした。


日本橋では、所属しているネット上のウォーキングSNSで応援をしてくれている勝手応援コミュニティの皆さんが待ってくれている、まだ会ったことがない皆さんにゴールで会える楽しみを思うと、新大阪発9時47分の新幹線のぞみが12時16分に品川に着くまでわくわくわどきどきが続いた。
新幹線の車中には、新大阪を経った時点から携帯電話に誕生日のお祝いや東海道歩きの激励メールが次々と送られてきて歩きコースの確認や居眠りをすることもできないほど、気持ちは高まるばかりだった。
12時30分、背中に鯉のぼりをたてて、待ち合わせ場所タクシー乗り場横で同行してくれるりょうさんとスズさんと合流。
スズさんは、3年もずっと応援を続けてきてくれた一番古い応援団員?昼食代わりのパンを買っていざ出陣!スタート。

日本橋ゴールの制限時間は16時30分、到着目標時間を16時15分と約束しているので待たせてはいけないプレッシャーがある。



↑高輪神社にお参りして今日の交通安全祈願、コースに入るとまず、神社へ参拝するのも恒例のこと。

←東海道高輪風景、文久2年(1862)・・・掲示板から抜粋

高輪は、海より眺めて高台の縄手道から「高縄手」と称されていたが高縄、高輪となったらしい。古くから海沿いに人家が点在していたが、江戸時代初期に幕府が参勤交代のために東海道を整備し、それから沿道沿いに町が広がったらしい。

15号線をすすむ。やっぱり一人で自由に歩き続けてきたので、同行する人がいると黙々と黙って歩くわけにはいかず、なんとなく普段と違ったぎこちなさが自分のほうにあって、泉岳寺へ行くまでは足も戸惑っていた。


←歌川広重絵・・・掲示板から抜粋
←泉岳寺入口が見えてきた。


大石内蔵助良雄の像。
最初に訪れた泉岳寺は、慶長17年(1612)、江戸城近くで創建されたが、寛永の大火で焼失、浅野家他、五大名の協力で寛永18年(1641)に現在地に移されたらしい。浅野家との縁はこのときに始まった。曹洞宗・江戸三カ寺のひとつ。赤穂浪士・浅野長矩と大石良雄をはじめとする義士の墓で知られている。境内には浪士の墓の他、浅野内匠頭切腹の際にその血がかかったという血染めの梅と石、吉良上野介の首を洗ったという首洗いの井戸が残っていた。47義士の墓前には線香の火が絶えることはないという。ゆっくりする間もなく去って行くのは気が重たかったが仕方がない。
高輪2丁目を過ぎ高輪神社へ寄った、いつものように今日の交通安全を祈願。少しすすみ道路右側にある高輪木戸跡を探す、高輪の木戸は宝永18年(1710)に江戸の南の入口として道幅約6間の旧東海道の両側に石垣を築き、夜は閉めて通行止めして、治安の維持と交通規制を持っていたところらしい。いまでも立派な石垣の一部が残っている。かってこのそばは海岸だった。
日本橋から来て、ここを出ると江戸とわかれて、駕籠や馬子が待機して茶屋などが立ち並ぶところだったらしい。

このあたりが日本橋から6キロ地点。13時40分、スタートして約1時間、かなりのスローペース。少し気になる。
15号線はビルの谷間、三田歩道橋、高輪郵便局を過ぎ左手にある八幡神社へ寄ってみた。

和銅2年(709)創建の古い歴史を持った神社だ。江戸町民の人気が高く、このあたりの鎮守様として信仰があつかったそうだ。

このあたりから三田という地名、もともと朝廷に献上する米を作っていたために御田と呼ばれたのが由来で風光明媚な台地だったらしい。



見事な芝桜、ビルの一角に咲いていた。
さらにすすむと札の辻交差点に出た。
地図は、スズさんに渡した、えらそうに次の見所は?と指示をする。もちろん自分も別の資料をもち、一人だと微妙に違う資料に悩まされてきたが、別々だと確認がしあえるのでいい。地図には見所に印をつけているので見逃さないようにとお願いをした。


↑田町駅前の交差点にきた、ここから少しより道をして息子が6年間学んだ大学へ寄ることにしていたので二人に断ってより道をしてみた。院の卒業式に来てから何年振りか・・・やっぱり若者の姿が目立つ、学生の町でもあるのだろう。


レンガ造りの建物がなつかしい。図書館前の福沢諭吉像を訪ねてみたかったが、時間的なことと、そこまで二人をひっぱりまわすことはできないので表通りの建物の写真を撮るだけでパス。


通りから東京タワーが目の前に見えてきた、ああ東京タワー。
そちらに引き寄せられるように足もそちらへ向いてすすむ。
おいおい、ここは旧東海道ではないぞ!

青信号を待って交通の激しい道路のど真ん中で東京タワー撮影、二人には来ないように言って・・・
これ、ランドセルの撮影術なり。
素人?はやらないこと。

鯉のぼりおじさんの危険な撮影風景、同行のスズ記者が撮影。

元の東海道に戻るのに三人でもわからなくなった。
初めて地元の人に尋ねた。
三菱自動車角の薩摩藩邸跡がみつかってほっとした。三人が1つの地図に額をよせて、どうじゃらこうじゃら・・・なにしろ手持ちの地図は日本橋から書かれていて、こちらはその逆方向に歩いている、これがむずかしい。京都からずっとそれに悩まされ続けて歩いてきた。
二人も面食らっただろう。

14時38分。ゴールまで2時間弱、すこし厳しいなあ・・・
心配になってきた。

西郷・勝会見の碑と薩摩藩邸のきれいな碑が立っていた。
江戸無血開城を取り決めた勝・西郷会談の行われた薩摩藩邸、当時は屋敷のすぐ裏は海に面した砂浜で、薩摩から送られてくる米などがここから陸揚げされていたという。


↑西郷・勝会談。
三田を過ぎ芝へ、やがて金杉橋へついた、川に屋形舟がたくさん停泊していた、花見シーズン、毎日、ここは夜になると風流な船での宴が繰り広げられるのだろうか・・・
神野美伽の歌に金杉橋、屋形船のくだりがあるのを思い出した。




ここは広重の名所江戸百景の「金杉橋芝浦」に描かれている。

いまでもこの通りを海岸通りというらしい。昔は芝の海と言っていたそうだ。
次は増上寺へ、浜松町駅を通過、大門交差点から左へ入ると増上寺。高校生の時、東京の伯母に連れられてきて以来50年余りになる、まったく記憶にない。




←増上寺
正式名を三緑山広度院増上寺といい、上野の寛永寺と並ぶ徳川氏の菩提所としてひろく知られていた。この絵は本堂と三解脱門の雪景色が描かれている。

  ・・江戸名所三つのながめ 芝増上寺雪中 歌川広重

↓総門のことを大門と言っている。江戸自体は門の手前に橋がかかり、下馬札が立っていたという。
ご朱印をもらって東京タワーを背景にデジカメをかまえたら・・・・おっ、だれ?目の前にマスクをして顔を隠した男がたちはだかった!あの人だ!箱根でも横浜でも待ち伏せに遭った山賊さんだ!

大門交差点に戻ると15時36分。残り時間は54分、距離は3.5キロ。普通に歩けば問題ないが、まだ見どころを何か所も残しているのできついかも。
15時57分。やばいなあ・・・。もう、日本橋で待ってくれているだろう。
←芝大神宮 平安時代創建で、江戸時代には庶民信仰を集め「関東のお伊勢さま」と親しまれた。
浄土宗のお寺で、明徳4年(1393)、聖しょう上人によって開基、江戸幕府成立以降は、徳川家康の手厚い保護があり、徳川家の菩提寺として選ばれ、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍の墓がある。
←浜松町1丁目新橋へ続く。15時43分。

ビルの谷間が続く、東京は空がせまい。
圧迫感があって気分的に息苦しくなる。




←新橋5丁目日本橋まで3キロを切ったが15時47分。

ここは、ウォーキング、急げ、急げ!

鯉のぼりおじさん、真剣です!



←同行のりようさんと。

におうね、夜のにおい。
新橋駅手前のJRガードをくぐって表通りへ出た。

ここでゴールまで2.5キロ。

15時57分。まずいなあ・・・。
もう、日本橋で待ってくれているのだろう。
待たせてはいけない、気になる。
高速道路の下にあるという新橋の親柱さがし、三人で必死で探す、気の毒に鯉のぼりを背中にたてた変なおじさんと一緒では、りょうさんもスズさんも大勢の人からなんと思われるやら。



←親柱を道路反対側に発見した。かって汐留川(新橋川)が流れ、そこに架けられていたのが新橋。その親柱1本が残っている。
←。その隣に銀座柳の碑を発見。あたりは外人観光客がバス待ちしてをしていてあふれていた。ひどい悪臭がただよっていた。
あと2キロ地点まで来た。銀座6丁目、松坂屋を超え5丁目と人通りの中を泳ぐようにすすむ。見所は見逃すな!と言い聞かせて。背中の鯉のぼり達も景色を楽しむ余裕はなかろう・・・すまん!



銀座4丁目は16時9分になった。1.6キロ地点。
うーん、時間がない!4丁目交差点、三越、松屋、写真で見なれた景色、ほんとうなら人の流れと一緒に歩くのがいいのだが、人波を縫うようにして急いで歩く自分にも違和感を覚えた。
スズさんがゴールのメンバーに携帯で刻々と連絡をしてくれる。もう、みんな揃っているらしい。
速歩、速歩。きっと後ろの同行二人は、慣れぬ東海道歩きに戸惑っていることだろう!
銀座1丁目銀座発祥の地の碑前を通過。
慶長17年(1612)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す、当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ明治2年遂に銀座を町名とする事に公示さる。・・碑文り

高速道路手前の京橋親柱、三本が見つかった。かってここには京橋川があり橋がかけられていたが昭和34年に埋め立てられ橋は撤去された。その親柱が残されていた。京橋は、日本橋を発って最初に渡る橋だったそうだ。日本橋と同じ慶長8年(1603)につくられたそうだ。
↑銀座煉瓦之碑。右が京橋親柱。左が煉瓦之碑。うしろにガス塔がある。
←銀座煉瓦之碑。
明治五年二月二十六日、銀座は全焼し延焼築地方面に及び焼失戸数四千戸と称せらる。東京府知事由利公正は罹災せる銀座全地域の不燃性建築を企画建策し政府は国費を以て煉瓦造二階建アーケード式洋風建築を完成す、煉瓦通りと通称せられ銀座通り商店街形成の・・・以下略、碑文より。
高速をくぐるとりっぱな←江戸歌舞伎発祥之地碑と↑その奥に京橋大根河岸青物市場蹟碑が立てられていた。寛文4年(1664)以降、青物市場がもうけられていたところ。

←寛永元年(1624)、中村勘三郎がこの地で常設の芝居小屋・猿若座(後の中村屋)を旗揚げし、最初の江戸歌舞伎を興行した。これを記念して昭和32年、江戸歌舞伎旧史保存会が建設した石碑。

碑文をゆっくり読む時間もなく撮影だけで次へ急ぐ、一番まずい歩き方だが、致し方ない。


16時22分。日本橋まで1キロ地点まで来た。
すでに目標の4時15分を過ぎてしまった。

時間との闘い、時間的に30分到着も無理。

まずいなあ。
といいながら記念写真はこの通り忘れないで。

いつもの一人歩きなら、スタートもゴールも、誰にも時間の約束をするわけではないから、自分の自由に、思い通りに歩けるが、初めてゴール時間を約束してみて、やっぱり難しいなあとしみじみ思った。
八重洲通の中央分離帯にある八重洲の名前の由来になったヤン・ヨーステン記念碑に寄った。オランダ人、ヤン・ヨーステンは航海士として慶長5年(1600)、豊後(大分県)に漂着、江戸に出て、家康の外交貿易の顧問となり、日本橋に屋敷を与えられたそうだ。



丸善、高島屋の前を通過、前方に日本橋の上の高速道路が
はっきりと見えてきた。

あと少し、がんばれ!
向こうで背伸びするようにして手を振っている

こちらも帽子で応える!
スズさんが鯉のぼりを振る・・・

かけ足!



(ここらは、後ろからりょうさんが撮影してくれた!)

←赤信号長いなあ・・・スズさんと。
信号が変わった!

急げ!

思わずかけ足!

おっと、危ない、転ぶな!

あっ、カメラをこちらに向けている・・・

見える人、みんな待ってくれている人!10人はいる・・・


日本橋の文字が見えてきた!

こんにちは!お待たせしました!ありがとう!

向こうから待ち兼ねたように、こっちへ寄ってきた。
ついに日本橋へ着いた!

16時38分。やった!万歳!

←おー猛烈!Yさんにハグしてもらって・・・へっぴり腰、頭の中は真っ白、ここは天下のお江戸日本橋!
応援隊の隊長、九州のよっくんさん手製の横断幕の両端を持った二人に従って真ん中をすすむ。

みんな初対面なので立ち止まってはあいさつしていると、とにかく橋を渡れ、まだゴールしていない!とだれかが叫んだ。

だれがだれやらわからない・・・

こうなったら言われたままに・・・
ここまで来たらスターの行軍みたいなもの、人通りの多い日本橋を幕に従ってすすむ。まるでパレードのような気分!最高の瞬間、70歳の誕生日をここで、こんな形で迎えようとは想像もしていなかった、3年間もかけて歩いてきた甲斐があった!
                       (ランドセル ← ハンドルネーム)
ゴールは、高速道路下をすすみ北側の一角にある日本国道路元標。ここが五街道の起点。

やっとそこにたどり着いた!

予期しなかったセレモニーが始まった

指示をされた通りに動く。



そこから撮影ラッシュ、知り合いのプロカメラマンの指示に従って何枚撮ってもらったやら、道行く人たちが立ち止まって人の輪ができた。NHK来てる?アサヒは!インタビューは共同にしてください!サインは後で!と言いたい放題、一度でいいから言いたかった。

←横断幕と色紙にメッセージを書いてくれている。

なにがどうなっているのやら・・・わからない。
↑所属しているシューズメーカーMS社のウォーキングSNSの応援コミュニティのメンバーと
4年前に所属して現在休会中の某SNSのみなさんがそれぞれ準備をして出迎えてくれた。
横断幕はコミュニティリーダーの九州のよっくんさんがプロの腕で作成してくれたものです。



迎えてくれた横断幕に思わぬメッセージが書き込まれていた。

よく見ていたらなんとメンバー以外の人の書き込みを発見!
しかもちゃんと名前が入っているのに驚いた!

 飛び入りで拝見しておりました

 何かをなし遂げるのは 素敵なことですね!


 と書かれていた。
ハプニングの「完歩賞」を道路上でもらった。びっくりした。



イラスト付き(この日のためのデザイン入り)の完歩賞を道路上で授与された。ほんとうにびっくりした。ここまで事前に準備をしてもらっていたことは全く知らなかった。


通行人が、何事かとこちらを見ている。恥ずかしいなあ。

その場で寄せ書きまで書いてもらっていた。

こんなに多くのみなさんに迎えられて感激の70歳、この後、すぐ、仕事場へ帰った人、次の予定に行った人。この中で会ったことがあるのは男性二人だけ。その他の人は初対面。この瞬間のためだけに来てくれた人達が、心から喜んでくれていたことがなによりの喜びになった。

完歩賞をもらって!
↑ぶたころちゃん特製のイラスト、よっくんさんご夫妻の子供姿で出迎え。MS社SNS管理人アッきーさんの着物姿。
ランドセル用のコピー。すべて日本橋ゴールのお祝いに作成していただいた。手間のかかることだろうに会ったことも
ないランドセルのためにこうして心こめて作っていただいたことになんとお礼を言ったらいいのやら、宝物にしたい。


場所を移して夕食会、2次会が開かれた。

仕事を終えた人がかけつけてくれた。

70歳の誕生日を日本橋で大勢の仲間と一緒に会食ができると
はこんな誕生日を迎えることは二度とないたろう。

こんなすばらしいプレゼントをしてくれた応援隊の仲間たち、古い友人たち、多忙な時間をさいて遠くから来ていただいた人たちの
優しさを思うと厚いものがこみ上げてきた。

お世話をしてくれた人、参加をしてくれた人、ありがとう。



2次会で席が隣り合わせになった紳士グループと帰りも出口で一緒になった、店の前でそのグループが誕生祝いのコーラスをしてくれた。日本橋ロータリー倶楽部の人たちだった。
こんなことがあるだろうか・・・夢のような時間だった。


ホテルに帰ると携帯へはお祝いのメールがたくさん入っていた。
興奮してなかなか寝付けなかった。
こうして、70歳の初夜はお江戸日本橋近くのホテルで一人迎えた。
みんなありがとう、ありがとう。
●ムーンスター社のウォーキングSNSの管理人さん(アッキーさん)にも出迎えいただき、後日、その時の様子をブログで紹介していただいております。ブログ→ https://www.walking-sns.com/u/sakky/QFM7ly8AbkwUImdOThGn/
  日本橋の由来期横 日本橋北詰・元標広場↓(14日)
 道路中央にある道路元標・ここが起点
  車の通行量が激しくて近寄れない
    元標広場にある道路元標の複製
↑●日本国道路道標・・・日本の道路の起点として日本橋に設置されている。江戸時代の一里塚にならって明治政府が設置した。現在、元標は橋の真ん中にあるが、複製が北西橋詰に設置されている。

←↓●日本橋・・・いまも国道の起点となっている。慶長8年(1603)江戸開幕年に架橋。翌年、5街道の起点に定められた。現在の橋は明治44年(1911)に架けられたもので、石造2連アーチ橋として国の重要文化財に指定されている。




(国土交通省東京国道事務所発行東海道マップより)
↓スタート 2007.4.14 京都三条大橋(67歳)→ → ゴール 2010.4.13 東京日本橋(70歳)↓
[お礼]多くの人の励ましで無事にお江戸日本橋まで歩き続けることができました。日本橋では関東のみなさんに感動的な出迎えをいただき完歩の喜びを共有することができました。また、13日には直接メール、ブログへのコメント、関係先掲示板へのコメントをたくさんいただきました。お祝いの会も催していただきました。ありがとうございました。人生終盤70歳の幸せな門出をすることができました。みなさんに歩かせていただいたと思っています。お礼申し上げます。 [一言]歩き終えてみて@最初からゴール日、3年という期間、、日程まで設定してスタートしたのが完歩できた最大の要因だと思う。A酷暑の8月以外、すべての月を歩き、道中で春夏秋冬を三度ずつ味わうことができた BシューズメーカーMS社のオフィシャルブロガーに取り上げられたことが程よいプレッシャーとなりそれを追い風にした C70歳でもこれくらいのことはできるという自信 D3年あればある程度のことはできるという証明を若い人に示せた。
●写真左 
ゆりっぺさんからの完歩賞
(埼玉県)クマさんがランドセルを背負っています。ビーズ?ですべてが作られている手の込んだもの。仕事場に飾っています。

●写真右
親子ウォーカーさん(福島県)が箱根越えをした21年9月にお祝いとしてプレゼント、ビンの文字はご本人がガラスに彫りこんだもの。


●よっくんさん(福岡県)からも完歩した時のために焼酎をプレゼントしていただきましたが、いつの間にか賞味していました。
小さな約束を果たして「金」を受賞!
福島県の友人、親子ウォーカーさんの子ウォーカー君から日本橋へ行く数日前に手紙をいただいた。たくさんの励ましが書かれていたが、その中の一文を本人の許可なしに掲載しました。喜んで許可してくれると思うので。子ウォーカー君は新五年生。IVV1000q完歩、日本全国に23名しかいない「子供マスターウォーカー」として歩育業界?では知られた子供。品川から日本橋までは、子ウォーカー君の名刺をポケットに入れて一緒に歩いてゴールしました。きっと彼がいつの日か自分の足で歩くことと思います。日本橋の表示板に彼の名刺を置いて写真を撮って送りました。夢をつないでほしい!ただ、その願いを込めて!
3年前の約束果たして
以前、あるSNSで「夢クラブ」というコミュニティの管理人をしていていた時、その中にウォーキングテーマで集まっていたメンバーから二人が、そのSNSを休会(実質的には退会)した後もずっと応援をしてくれていました。その一人が品川から同歩してくれ、もう一人が日本橋で、最終的に5名が出迎えてくれ、写真、食事会、二次会の段取りをお世話してくれました。4年前の一時期に所属していただけなのに、日本橋ゴールした翌日、そちらのSNSでゴールの件が記事にされ50件近い書き込みがあり、まったく知らない7名の方からお祝いメールまでいただきました。SNSへの復帰とコミュニティ関西支部の再開依頼をいただき心が揺れてきます。

2007/04/26 18:16:32
ランドセルさんイヨイヨ東海道旅立ちですか!?
スズランさんと歩いています。ドンドン歩けます。
3年後、日本橋でお待ちしています。

ランさ〜ん(^.^)/~~~
遅れ馳せながら、お誕生日おめでとうございます。お元気そうです、よかったです。私もまだウォーキング続いていますよ。日本橋で待ってま〜す。(3年後東京に居るかな・・・)

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