のんびりゆっくり 東海道シリーズ-6
2007.10.30 三重県庄野→石薬師→四日市

東海道五十三次ウォークの第六回「石薬師→四日市」は、小春日和のぽかぽか陽気に恵まれて東海道をのんびり、ゆっくりとひとり歩きして楽しんできた。
ただし、スタートではつまづいた。土日と平日の時間を間違えたためにJR新大阪駅から時間が少しずつずれて大きなロス時間が発生した。東海道線から草津線の接続でおくれ、草津線から関西線の接続の柘植駅ではなんと1時間近く待ち時間が発生。駅前のたった一軒の店がコーヒーショップ、ここでコーヒータイムをする羽目になった。写真は、その柘植駅発亀山行きに乗車。
秋の車窓から・・・関西線柘植・加太間。
加太駅を通過。運転席のとなりから運転手になったつもりで。
亀山駅で名古屋行き乗り換え。
新大阪駅を7時20分に乗ったのに現地、関西線加佐登駅に着いたのは11時。新大阪でわずか8分前に乗車しておれば2時間半ですんだのだが・・・これも懐かしい思い出になればいい。
58日ぶりの前回ゴールのJR東海加佐登駅からさあ出発!
駅から東海道へ、ここは国道1号線にそって東海道があるのでそちらへ移動していく。車の往来の激しい1号線に出る、407.5。東京からの距離表示。しばらくすすんで取り入れのすんだ田んぼ道を右に左に複雑にすすむ。このあたりがわかりにくいところ。
【44-石薬師宿】
最初の目的地「石薬師の一里塚跡」へ。緩やかな坂道を上りきったところにあるのが、遠くからでもわかった。
最初の目的地「石薬師の一里塚跡」へ。緩やかな坂道を上りきったところにあるのが、遠くからでもわかった。
最初の目的地「石薬師の一里塚跡」へ。緩やかな坂道を上りきったところにあるのが、遠くからでもわかった。
よっしゃ、かるた道をかるた取りして歩こう!
【石薬師宿】
宿場の南にある石薬師の門前に開けた宿で街道で最も小さな宿場のひとつだった。総戸数が241軒、本陣3軒、旅籠15軒の規模。
途中にある「石薬師寺」は奈良時代に創建されたもので佐々木信綱や西行や一休、芭蕉の句碑が境内にあるとても緑の多い落ち着いたお寺だ。
芭蕉の句碑。”春なれや名もなき山の薄霞”
お寺から道路反対側を少し入っていくと源頼朝の弟、範頼を祀る「御曹司社」があり
そこから右へ入ると範頼が戦勝を祈願して立てた鞭から生えたといわれる桜で「蒲桜」、逆桜とも言われる桜と信綱の歌碑がある。
かるた道をすすむと「信綱の資料館」と「生家」の前につく。資料館の人が、わざわざ生家へ案内してくださり昔のままが保存されている生家の中をみせてもらうことができた。
すずりも筆も巻紙もそのままに・・・
うかつにも、唱歌「うの花」の作詞が佐々木信綱であることを知らなかった。
生家の庭にも資料館の前にも「うの花」の木?が植えられていた。一本100円でも売られていたぞ。
そこから少し行くとこのあたりが石薬師宿の中心だったのだろうか、ひときわ大きな家がある。ここが「小沢本陣跡」。明治時代に建て替えられたものだそうだが中には貴重な宿帳や貴重品が保存されているらしい。宿帳には、浅野内匠頭や大岡越前守の名前もあるそうだ。少し行くと信綱ゆかりの大木神社に行く。
ついて2番の句まで来たぞ!
北町の延命地蔵さん、ここでおそい弁当を食べる。近くで休憩わしていたサラリーマン風の中年の男性に話しかけられた。この人、仏壇のセールスマンとやら、あれやこれとこれから行く四日市の説明をしてくれたのはいいが、・・・弁当たべさせてくれい!楽しい人だった。12時58分。
四日市方面から・・・ここが石薬師宿の入口。
信綱かるた道の逆めぐり、とうとう1番「四日市の時雨蛤、日永の長餅の家土産まつと父を待ちにき」にゴール!
1号線を信号二つ目大谷の地下道をくぐって道路反対側の横道へ入りすすむ、地蔵堂を越えるとまた1号線に合流。ここから四日市市だ。振り返ると歩いてきた「鈴鹿市」。時
ガソリンスタンドの一角に「采女の一里塚跡」があるがこれがなかなか見つからなくて行ったり来たりしてようやく発見まさかガソリンスタンドの看板の下にあるとは・・・諦めかけていた。
少しすすんで国道一号線を横切りななめに緩やかな上りをすすむとはるか左下前方に四日市の市街地が見えてきた。やっと関西圏から東海地区へ来たと実感。13時57分。左が国道一号線、右の道を登っていく・・杖衝坂へ。
少しずつ上がっていく・・・
坂を上りきったところに「血塚社」がある。日本武尊が坂で怪我をして足から流した血を封じたところという。
緩やかな上り道から急な下り坂になった。ここが「杖衝坂・・つえつき坂」という。日本武尊が剣を杖がわりにして越えたと言われのある急な坂。芭蕉も江戸から故郷の伊賀へ帰る途中、馬でここにさしかかったが、急な坂道のために馬から落ちたそうで、その時に詠んだ句碑がある。「芭蕉の句碑」”歩行ならば杖つき坂を落馬かな”
幸か不幸か、自分はこの坂を下っていくほうだから楽だ。東から西へ向かう人にはきつい坂だったに違いない。
「杖衝坂」道標。
坂道を金毘羅宮の前へ降りて突き当たり↓を右にすすみ三叉路を左へ。このあたり古い家が多い。
この手造りの道標は時々みかけるものだ。
また1号線に合流、小さな橋をわたると
内部川にかかる内部橋へ。
内部橋上の1号線。
川に添って左へ、最初を右へ入りずっとすすむとふたたび1号線に合流する。交差点角に山中胃腸病院がある。その前をすすむ。庄野からこちら、1号線と合流したり離れたり、昔の東海道がいかに曲りくねった複雑な道であったかが推測される。
一つ目の角に、誰の歌碑か読み取れない。
突き当たり願誓寺を右折、突き当たりのおたらしい道路を左へ15分ほどすすむと追分まんじゅうの岩嶋屋の前へ、ここで1号線にまたも合流。
すぐ右側に近鉄内部線追分駅。
さらに1号線をすすむと旧東海道と伊勢参宮道の分岐点のある小さな緑地帯に出る。
ここが「日永の追分」。常夜灯と大きな道標がある。 【右 京大坂道 左 いせ参宮道】
ここの鳥居は、伊勢参宮道第二の鳥居。1の鳥居は桑名七里の渡しにある鳥居。
ここには神水がわき、今日も遠くから車できたという女性が大きなペットボトル数本に水を汲んでいた。飲んでみたが冷たくておいしかった。
399.3キロ地点、1号線追分交差点を左の道に入っていく。
松並木に残った一本の松の気が遠くから見えてきた。「東海道名残の一本松」と説明板に書かれている。
昔、このあたりは土手で家はなかったらしい。東海道の道幅は約5.5メートルで現在も変わっていないそうだ。
すぐ近くで立ち話をしていた80は過ぎていたと思われる2人のおばあさんと顔があったら、ご苦労さんですね!
ここで立ち去ってはいけない、しばらく話をする。
近鉄四日市駅までどれくらいかかるかと聞いたら、お宅なら半時間もかからんでしょうと言われたので、予定しの4時36分には乗れるなと安心。15時12分だ。ところがそんなもんやなかった!
そのすぐ近くに「日永の一里塚跡」があるというが、いくら探しても見つからない。4人目のおばあさんに聞いたら、お寺の近くにあるという。
行ってみたがない。時間は気になるし、同じところを三度と通って倉庫と民家の間に立っている碑をやって見つけた!
あった!と思わず大きな声が出た。諦めないでよかった!ここで思わぬ時間をとってしまう。15時32分になっていた。松の木から50メートルもない距離なのにちょうど20分もかかったことになる。急がないと!
道路工事で交通整理をしていた女性、見事なダンス調の体さばきで”うまい、テレビに出てる人?とおだて、写真を撮らせて!”というと照れて動きをやめた、仕事は楽しくやらないと・・・おいおい、そんなこと言う時間ないぞ、急げ!
日永神社。
落合橋を渡って 15時55分。
あとは、ゴールの近鉄四日市駅をめざすだけ
丹羽文雄の生誕地の碑。
駅前の大通りに辿りついたので、そこに建てられていた「東海道400周年年記念」碑を今回のゴール地点として、次回はここからスタートすることにした。16時12分。
近鉄四日市駅
16時36分の快速急行に乗る。中川で大阪なんば行きに乗り換えて19時21分に戻ってきた。大阪なんば行きの特急なら直行で早いし本数も多いが、ウォークに来て特急に乗るのは抵抗あり。しんどくても急行でよし、その代わりわずかな待ち時間に駅で缶ビールひとり乾杯!よく歩いた!
歩いた時間よりも電車に乗っていた時間が長かった。歩数 約24,000 次回は、四日市から桑名までだ。
かるた道は楽しかった、みんな発見したからご褒美だよ!

経路と交通費(自宅から最寄り駅は除く)
往路 JR新大阪駅→JR関西線加佐登駅 普通2,210円
復路 近鉄四日市駅→近鉄大阪難波駅 普通1,960円
歩数 JR加佐登駅→近鉄四日市駅 約24,000歩