のんびりゆっくり 東海道シリーズ-7
2007.11.23 三重県四日市→桑名市


三重県最後の東海道。
三連休の初日、好天に恵まれた伊勢路を歩いた。東海道五十三次ウォークシリーズ第七回,今回のコースは四日市から桑名まで。
家を出たのが6時20分、近鉄難波駅7時7分発の快速急行で伊勢中川へ、名古屋線急行に乗り換え四日市に着いたのが9時57分。2時間50分。新大阪から東京より遠い?
駅前に出るといい天気。しかし寒い!風も吹いている。駅前から中央通りを前回のゴール地点の道標へ。ここが今日のスタート地だ。楽しくいい歩きができるよう、さあ、行こう!
中央通りから近鉄四日市駅方面を見ると。
表参道通り商店街を通って最初に寄ったのが諏訪神社。鎌倉時代に信州諏訪神社のご文霊を奉還したもので四日市開拓以来の氏神。
         【43-四日市宿】
ここ諏訪神社からこれからすすむ先にある三滝川あたりまでだったそうな。
宿内の総戸数が1811軒、本陣2軒、脇本陣が1軒、旅籠98軒。伊勢神宮へ参宮する旅人も多く、追分があったために賑わった宿場だった。
国道一号線へ出て、しばらくすすみ右へ入っていくと古い道標の前に出る。文化七年(1810年)と記されている道標には「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」と彫られているが、この「すぐ」というのはどういう意味か・・・。私には「すぐ」の江戸まで3年かけて歩いているのだが。
道標を左に道路を越えてしばらく進むと有名な「なが餅の笹井屋本店」が見えてきたので覗いてみる。400年(創業1550)の伝統があるという老舗だ。道中のおやつ代わりに七本入りを買った。戦国武将の藤堂高虎が足軽の頃賞味して以来、大名になっても参勤交代の道中で必ず立ち寄ったという。
かって、このあたりに、黒川本陣跡や帯や脇本陣、問屋場、高札場跡や旅籠があったらしいが、いまはその面影はまったくない。
笹井屋本店を過ぎるとすぐ三重川にかかる三滝橋へ、そこから下流方面をみると四日市のコンビナートの煙突が見える。
最初に寄った諏訪神社にあった広重の三重川の絵。四日市宿はこのあたりまでだった。
蒲の川を越え、海蔵川に出る手前で国道一号線に合流する。すっかり晴れて絶好の天気。文句なしのウォーク日和だ。
海蔵橋から雪をいただいた山々が見える、もう冬景色だ。
橋を渡ると右へ少し入ると桜の木に囲まれて三つ谷一里塚の碑がある。堤防の桜並木が赤く染まってきれいだ。
再度国道一号線にでると折れたものを補強した古い道標が立っている。
通行量の多い国道一号線のガソリンスタンドの角に道標が、ここも気をつけないとパスしてしまう場所だ。【右 桑名  左 四日市】 
背中が1号線なので車にびくびくしながら決死の撮影に成功、写真左の側道へ入ってすすむ。
国道一号線に沿ってしばらく歩み道路向い側の延命地蔵に寄ってふるさとで苦しんでいる母のために痛みが和らぐようにお願いした。母に似た優しい顔の地蔵さん。
一号線から左へ入ってしばらく進む、穏やかな小春日和になって気持ちがいい。
浄土真宗本願寺派の光明寺をのぞいたら親鸞聖人の像が立っていた。ここから桑名まで、浄土真宗のお寺が目立って多かった。 
時々こんな標識に出会うが、ほんとにありがたい。歩いていて一番の気がかりは、道を間違いなく、ちゃんと歩いているかどうかということ。前後左右、常に気を配って歩かないといけないので時間通りには進めないのだ。
前方に松の木が一本見えてきた。樹齢二百年あまりの「かわらず」の松。昭和13年、国道1号線ができるまで松並木の続く東海道として賑わっていたそうだ。いま四日市で残っている松はこの「かわらずの松」と前回のコースで見た「名残り松」の二本だけという。
民家の塀に手作りの標識、ありがとう!
米洗川の向こうに大きな常夜灯が見えてくる。見上げるような大きさには驚いた。
御在所山系の山々はもう冬だ。近鉄名古屋線の電車がひっきりなしに通過していく。ちょうど12時になった。予定より少し遅れている。腹も減った!
大きな工場が並ぶ道をさらにすすみ高速道路の下を通りぬけ、前川橋を渡ると道角に小さな道標が植込みの中から顔を出している思わずラッキー!!【右・いかるが  左・四日市】 「いかるが」とは奈良の斑鳩のことか?
少しすすみ右へ入ると最初の角に「力石」。近くの御堂を再建するさいに近隣の奉仕する人たちが土台になる石から力比べを競ったものという。120キロもあるらしい。
ぎょ!
お寺にある標語?を読むのも楽しみだ。
十四橋の手前の常夜燈。
常夜燈について説明板があった。「常夜燈とは神に捧げる灯りである。」と記されている。この常夜燈の小さな灯りが、淋しい夜の街道の旅人をどんなに勇気づけたことか。雨の夜、風の夜、絶え間なくこの灯りを守りした人々の心意気を感じて、この灯籠を見つめてほしい・・・と。そうだ!
見事な桜並木が続く十四川堤。
常夜燈からすぐ十四川にかかる十四橋へ。この川の堤両側1.2キロにわたって約800本のソメイヨシノが植えられているそうだ。「日本さくらの会」から全国表彰を受賞しているとのこと。ここで弁当を食べようと思ったが、ベンチらしきものがなくて断念。12時27分通過。
しばらく行くと富田小学校の正門前に行く。門の横に「明治天皇御小休所の跡碑」が立っている。明治天皇もここで休まれておいしい焼き蛤を食べられたのだろうか。この富田、焼き蛤の本場だったところ。
門内には今は珍しい二の宮金次郎の銅像も立っている。12時35分。
生徒が作った東海道の紹介記録。
運よく公園が見つかったので弁当、トイレ、しばしの休憩。子供と遊んでいた若いお母さんと話をして13時ジャスト、午後の部?へスタート。
富田の一里塚へ。工場の片隅にひっそり。
ここで二人ずれのウォーカーと遭遇する。いつものように声をかけると横浜の人だ。春から歩き始めて今日は桑名からここまで来たという。今日の行先は四日市という。自分とまったく逆コース。”京都まですぐですネ!”というとうれしそう。相手をしてくれるのは奥さんのほう。ここでも会話力は女性だ。”まだ4分の1ですネ”と言われたのは、うーん、悔しい。さわやかな2人ずれ。こんな出会いも道中の楽しみ!
富田の一里塚からJR関西線と三岐鉄道を二度交差しながらすすむ。ここで、ひと筋早く最初の交差へ入りこんでどうも様子がおかしい、しばらく待ち人を待っていると同年配らしい男性が来たので尋ねた。持参の簡単な地図を示してみると間違っていることがわかった。丁寧に教えてくれた男性は、長く大阪に住んでいて、定年後にふるさとのこの地に戻ってきたと言っていた。
”気をつけて!” うれしい言葉をもらって急ぐ!かなり時間をロスした。後から思えば、迷うほどのことでもなかったのに、歩いていると単純な間違いを犯してしまう。熊野古道でもよく経験したこと。これも思い出づくり。
ここが正解の曲り角、電柱に標識あり。
JR関西線(平面)と三岐鉄道(高架)を超えて・・
鏡ケ池(笠取り池)の碑、聖武天皇が伊勢国を行幸の際にまつわる伝説がある池があったところ
こういう標識も、えーと、どっちかいな・・?うまく反応しなくなってきて・・13時36分。
人影のないこの道を朝明橋までしばらく直進。
13時49分に四日市市から朝日町に入る。
朝明川にかかる朝明橋をわたる、ここからコンビナートの煙突が見える。
朝明川を渡り高架道の下を通ると交差点左側に大きな常夜燈が・・車をさけ道路に入って決死の撮影!
しばらく桜並木が続く。春は桜できれいだろう。
こんなまっすぐな道は迷わなくて一番安堵する。後ろからの車に気をつけながら一人語りをしながらすすめ、すすめ!14時2分。
道に面して橘守部誕生地遺跡の説明板、この地出身の江戸時代後期の国文学者だそうだ。
あれ、また、同じような風景・・・朝明川を渡って朝日町に入って20分ほど歩いた・・・
このあたり、旧伊勢国朝明郡小向村も焼き蛤の本場たったそうだ。
一本の榎木、推定300年余る東海道の並木として植えられたもの。それにしても元気イッパイ!
蛤を団扇で煽いで焼きながら旅人を呼び込んでいる女性の絵が描かれた説明板が、ここりあたりは東海道で栄えた町という。
古い街並みの続く道をすすみ近鉄名古屋線伊勢朝日町駅に着いたのが14時19分。予定より30分遅れ。駐車場いた男性に聞いてみると桑名駅まで1時間半はかかるという。複雑な東海道を七里ケ浜跡まで行くには2時間あまりかかるだろうから七里ケ浜ゴールを16時30分と想定。桑名駅へ直行17時1分の急行に乗れるかもしれない。痛めている足が気になってきた。
おっと忘れていた、今日の記念撮影をしておかないと・・駅前のベンチで「なが餅」を食べながら写してくれそうな人を探していると赤ちゃん連れの若い夫婦がきたのでお願いをしたら気安く応じてくれた。ありがとう!いろいろ質問をしてもらって激励ももらった!
古い民家の続く街道添いにある一里塚。
公園にあった町屋川と文学の碑から。人々の往来の多かった町屋川が文学にいろいろ取り上げられていたと書かれている。写真だけ抜粋。
町屋橋の上、一号線日本橋から384,8キロ。
旧東海道はまっすぐな道ではないから、この数字よりもっと距離はあるはずだ。まだまだ、これからだ!
日が傾き写真を撮る自分の影も長くなってきた。
橋を渡り、すぐ左へ降りて行くと伊勢両宮常夜燈がある。この常夜燈は、文政元年(1818年)に東海道の灯標として伊勢神宮への祈願を込めて寄進されたもの。町屋川の船運や東海道筋の通行客相手の茶店で賑わったところらしい。15時1分。
ここからこれから進む道沿いには屋並みが続き伊勢湾台風までは松並木もあったらしい。ここから伊勢の海が見られたという。
朝日町から桑名市へ入っている。
マンホールの蓋のデザインも七里の渡し船。
途中の城南神社鳥居前に「皇大神宮一の鳥居御下賜」と「天照大御神御遷幸旧蹟」の石碑。
古代に垂仁天皇の皇女倭姫命が皇祖神天照大神の鎮座地を求めて大和から近江、美濃を通り伊勢へ巡行の折り、この地に休息したとの言い伝えがあるそうだ。
「江場松原跡」、このあたりは家がなく松並木がつづいていたところで鈴鹿の山や伊勢の海が見られたという。伊勢湾台風までは松並木も残っていたそうだ。
名物七里焼きの店、のぞくだけでパス!
【42-桑名宿】
突き当たりに火の見櫓のある矢田立場跡へ到達、いまどき火の見櫓は珍しいが・・ここらには茶店や宿屋が多くあったところ。このあたりが桑名宿の西の入口で、西国から大名などの通行があると桑名藩から役人が出迎えてここから案内をしたという。
矢田立場跡を右にすすむ、このあたりから通りが複雑に折れて行くので迷わないように緊張、緊張の連続!
10分程行くと道の角に古い道標が立っている。
道標には【左・東海道渡船場 右・西京 伊せ】
写真が曲がったのは、横のフェンスが邪魔してこんなになった。撮る気はあるぞ!
すぐ左に「梅花佛鏡塔跡」俳人の各務支考の分骨墓。
天武天皇社を過ぎると「広瀬鋳物工場跡」、江戸時代に桑名城主本多忠勝が城の建設などで鋳物師の広瀬氏を招いてここに工場を与えた。鋳物町となり、後に桑名は鋳物製品が特産品となったということだ。
すぐ先の四つ角を右に回り最初の交差点の向かい側、日進の垣根の横に「七曲見附跡」があったが、なかなか見つけるのに苦労した。ここもわかりにくいところ。
「七曲見附跡」、七曲とは、七里の渡しから七番目の曲がり角だったことから。この付近は、桑名城の城郭にあるために藩の役人が詰める番所と門が建てられた。15時46分。
消防団の前の道に入りずっと進む、十念寺で桑名七福神まつりに出くわした。
店いっぱいにおもちゃが置かれているいも屋というおもちゃやの角を左に入る。ここからの道がまたわかりにくい。
「吉津屋見付跡」、ここには、吉津屋門と番所があったところ。このあたりはめまぐるしく曲がりながら進むのでややこしい。四角形の三辺を回る升形道路というらしい。道は当時のままだそうな。16時になりあたりは夕暮れの風景になって、少々あせってきた。
きちんとした説明板があった、渡し跡まですぐ。ほっとした。
         ほんまにややこしい。
有名な「しぐれ蛤」の店らしい。貝増本店。かいます、買います!?
標識たどってゲームしているみたい。
仏壇屋の多いよつや通りをすすんでいくとつきあたりに
「京町見付跡」、ここにも番所があった。出入りする人々を監視していた。
ここを右折して桑名市立博物館の前に行く。建物の横に道標がある。この道標は移転してここに立てたらしい。【右 京いせ道 左 江戸道】
博物館、石取会館の前をすすむと南大手橋に行く。これを渡ると桑名城跡の九華公園に行くがここはパス。
南大手橋手前を左へ、三の丸堀にそって東海道を模した公園の中を通り抜ける。
桑名城城壁の説明。
すぐ近くに青銅の鳥居が珍しい春日大社にお参り。ここは桑名の鎮守さま。桑名神社ともいう。
宮から伊勢湾七里を渡ってきた船が帆を降ろして接岸しょうとしているところで後ろに桑名城が描かれている。
鳥居の横に大きな道標。
「通り井跡」、桑名は地下水に海水が混じるために町屋川から水を引き、水道を作り、町内の筒を埋めたところどころに正方形の升を開けて人々が利用したという。
桑名城の石垣が残っている。この堀から海へ通じていた。
「舟会所跡」と「問屋場跡」
舟会所とは、船で七里の渡しから宮へ渡る旅人の船に乗る手続きをしたところ。人々はここで船に乗る申し込みをして料金を払ったという。問屋場とは、東海道を旅する人の人足や馬の手配をする事務所で宿場には、必ず設けられていた。
そして堤防の横に「七里の渡し跡」の碑。やっとゴール! 16時37分。
【七里の渡し跡】
江戸時代の東海道は、尾張の宮宿と伊勢湾を往来して伊勢の桑名へと七里の海を渡っていた。七里の渡し場は、伊勢への東の入口で伊勢神宮の一の鳥居が建てられた。この船着場あたりが桑名宿の中心で周辺に本陣、脇本陣、舟会所、問屋場があった。
尾張の宮の渡しから七里の渡しで3,4時間で桑名に着いたそうだ。船は40人乗りから53人乗りだったとか。
明治時代に入って埋め立てが始まり、渡しはなくなったらしい。昭和34年の伊勢湾台風でこのあたり一帯は大きな被害を受け、大規模な堤防がつくられたために渡し場跡と道路とは堤防で遮られている。下の写真の通り私は堤防で囲まれている。
揖保川の改修に伴う水門の改築で総合管理所として建てられたのが、かって桑名城の隅櫓の一つだった蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)を模したもので水門統合管理所の建物。
管理所の説明板に描かれているのは広重の桑名城と蟠龍櫓。
揖斐川と満月がくっきり。
上流は、あの長良川河口堰。
【桑名宿】
桑名宿は、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠120軒の大きな宿場だった。
すぐ近くに「脇本陣駿河屋」と「大塚本陣跡」がある。
大塚本陣は、桑名宿で最高に格式の高いで本陣で裏庭から直接船に乗れたという。
脇本陣駿河屋は、桑名宿にあった脇本陣(本陣に準ずるもの)4つのうち最も格式の高いところだったらしい。
いまは大塚本陣跡は、料亭の船津屋になっている。船津屋は、泉鏡花の歌行燈の舞台になったところ、黒塀に久保田万太郎の句碑がある。
かはをそに火をぬすまれてあけやすき 
万太郎
近鉄桑名駅到着が17時5分。1分には間に合わず18時4分まで待つことにして、名物の焼き蛤を食べようと探すがなくて、特急で戻るか、特急料金で食事をするか、後者を選んで名古屋の煮込みうどんとビールで乾杯!そして大阪難波までの旅が始まった。20時56分難波着。
とうとう七里の渡しまで来た、伊勢路を完歩したご褒美だよ!

経路と交通費(自宅から最寄り駅は除く)
往路 近鉄大阪難波→四日市 普通1960円
復路 近鉄桑名→大阪難波 普通2070円
歩数 近鉄四日市駅→近鉄桑名駅  約37,000歩