のんびりゆっくり 東海道シリーズ-8
2008.01.05 名古屋市宮→鳴海(有松


2008年東海道五十三次初歩き
今年の東海道五十三次ウォークのスタートは、まだひざ痛が完治したわけではないが、区間を短くして無理をしなくて歩かれるところまで歩いてみようと、気軽にスタートした。
青春18きっぷ二枚残りを昨日チケット屋で購入。新大阪駅7時21分の米原行き新快速に乗り、米原でJR東海の特別快速に乗り換えて名古屋に向かった。この区間を在来線に乗るのは何十年ぶりやら。滋賀県と岐阜県にまたがる伊吹山が車窓からきれいに見えた。
米原から座れなくてずっと立ちっぱなし。正月明けというのに青春18切符利用の人たちでいっぱいだ。9時46分に名古屋駅に着いた。2時間25分の旅。新幹線なら50分ほどで着くが贅沢は禁物。新幹線なら東京へ着く時刻だ。、
名鉄名古屋駅へ移動、次回からこの名鉄の利用が続くのでよく覚えておかないと・・・。名鉄名古屋駅を利用するのは数度目。名古屋線だ。
今年の初詣は熱田神宮と決めていたので、熱田神宮前で下車。初詣でだ。駅からは人の列、その中を流れるようにただ歩いているとちゃんと熱田神宮へ連れていかれた。
↓名鉄神宮駅前改札内側から
熱田神宮本宮に10時15分。駅からすぐだ。
神社の正月はどこも同じ、前え前えと後ろから押されるようにしてすすむ。ただ違うのは参道の店と匂いが違う。関西の神社の参道は、お好み焼き、たこ焼きの店がやたらと多くて軽い醤油の匂いがするが、こちらは重い味噌の匂い、お好み焼き屋もたこ焼き屋もあまりない。所変わればなんとかやら・・・興味深い。
熱田神宮は、織田信長が今川義元を桶狭間の戦いで、戦勝を祈願したことでも知られ、芭蕉も何度も訪れているという。ご神体は日本武尊ゆかりの草薙剣(くさなぎのつるぎ)
母のお守りを買って早々に東海道のルートへ移動わはじめる。穏やかな天気で寒くはない。むしろウォーキングにはちょうどよい。
         【41-宮宿】
宮とは、熱田神宮の略だそうだ。最初は熱田神宮の門前町として栄えたがね慶長六年(1601)に、東海道の宿駅制度が整備されてからは宿場町として、また、桑名への渡船場として賑わいをみせた。
    【宮宿】天保14年(1843)
     人口 10,342人
     家数  2,924軒
     旅籠    248軒
     本陣      2軒
熱田神宮から宮宿跡をめざして一号線をすすむ。
さすが名古屋、マンホールの蓋までお城だ。
これ?なに?名古屋さん! 
11時00分ちょうどに宮の渡し場跡公園に到着。前回の桑名で七里の渡し跡でゴールをしたが昔の旅人は桑名の七里の渡しとこちら宮の渡しとの間を七里の船旅をして行き来したのだ。
きれいに整備された公園になっている。七里の海の大保分は埋め立てられ工場や宅地になっている。
七里の渡し跡にある時の鐘。
碑と常夜灯。
船着場。
正面を新幹線が走っている・・・面白い風景。
その宮の渡し跡の公園で気になる人がいたので声をかけて撮影を頼んだことからしばし楽しい会話が続いた。

その人に”物好きな人ですね”と何度も言われて???

”自分でもそう思っていますが人から言われたのは初めてです”というたら、自分も物好き人間だと笑っていた。

物好きな人に物好きな人と言われたのだからこれ本物や!

映画会社の人でかなりの人らしいということは想像できたが時間がないので失礼した。

戻ってきて貰った名刺でインターネット検索をしてびっくりした。多くの有名な映画にかかわってきた人でいわゆる有名な映画人と関係のある人だとわかった。
いまは、名古屋のM座にきていると言っていたが。演出なのか・・・
通行証明書(日は単純ミス)
熱田荘。明治29年に建てられた料亭で宮宿の景観を残す少ない建物。いまは老人福祉関係のホームになっていて・・・前の車が邪魔だ。二階の窓からのぞいていた数人の老人が近づいていくと隠れてしまった。
向って右隣に丹羽家住宅。
脇本陣格の旅籠。
破風付き玄関が格式の高さを示している。
常夜灯が風水害で破損したときに管理を任されたお寺らしい。その掲示板のことば。
歩道橋を渡って写真の右側へ渡り、左り方向へ少し行くと右へ入る道をすすむ。
すぐ三叉路の右角に道標が立っている。道標には、「西 江戸かいどう なごや きそじ」「北 いせ七里」「南名古屋」と彫られている。このあたりが江戸時代、東海道と美濃路の分岐点で重要な地点だった。この道標の位置は建立当時(1790年)そのままだ。上の写真の道標を拡大↓
その向かい側にほくろ地蔵尊。
道標を右へ入ってまっすぐすすむと100mほどか、向かいに 旧東海道伝馬町の看板が見える。ここは道路を渡れないので左へ行き地下鉄伝馬町駅階段折口を迂回して下の旧東海道伝馬通りに出てくる。
こんな標識が。
下の道路に埋め込まれた弥次さん、喜多さんの絵。今日はいたるところで見かけた。
裁断橋跡、姥堂、都々逸発祥の地碑。 11時58分。写真左に裁断橋跡。東から来ると宮宿は裁断橋を渡ったところから始まっていたらしい。
裁断橋の話。秀吉が小田原攻めをした時、秀吉軍に参加し戦士した「堀尾金助」の母が建てた供養塔が、母の無念さが刻まれて人々の涙を誘ったという。奥に母の像?
少しすすむと名鉄の高架下をくぐる。
熱田橋を渡って   
しばらくすると一号線の下を並行してすすむとJR東海道線の踏切に出る。
踏切を渡ると前方にブラザーの看板と手前にパロマ、豊臣の大きな看板が見えてきた。
一号線に合流してすぐの内浜交差点を右一号線に沿ってすすむ。
松田橋の歩道橋を渡る、左手にブラザーの大きなビルがある、本社かな?↓ちいさな道標。
信号を二つ越えて山崎川にかかる山崎橋をわたりそのまますす、下町風景が続く。
ぎょ!ひざ痛の自分のための看板か!今日は、名古屋のおいしい食事を楽しみたいので弁当は買わないが、なかなか店が見当たらない。希望は味噌煮込みうどんかカツだ。
一つ目の信号を過ぎると法泉寺へ。
さらに進むと左に熊野三社の前に出る。参道入口の右側に記念碑が建っている。
境内に寄ると手洗いに松巨嶋と彫られていた。
あっ、鎌倉街道へ通じていたのだ!
おっ、あった! やっと店があった、だが待てよ「麺」と出ている。探している味噌煮込みうどんではないのかも・・行きかけたが、思いなおしてバック、店に入ることにした。
がらがら・・・・こんにちは!
あっ、みそのにおい・・・やった!!
あつあつの味噌煮込みうどんデラックス980円。エビも入っているぞ、寒い時には最高だ!
13時17分、さあ元気になった、行こう!
誓願寺前を通ってどんどんすすむ。
清水稲荷神社、名古屋十名所の碑がある。
富部神社、桜神神社前を通って・・・
塩付き街道とは?
次の角を左へ笠寺方面にすすむ。
13時32分、笠寺踏切を越えると笠寺商店街だ。
商店街の真ん中にある交差点角に道標と笠寺の歴史を説明した碑がたっている。
13時36分。商店街の突き当たりにある笠寺観音に着く。
13時48分、旧道へ、古い街並みが続く。
笠寺一里塚(88番)に着いた。大きな塚だ。名古屋市内に現存する唯一の一里塚だそうだ。13時50分。
懸命の保護、がんばれ 頑張れ!
赤坪町交差点を通過、次の天白橋西交差点にきた、すぐ天白川だ。13時58分。
天白川にかかる天白橋を渡る。単調なまっすぐな道が続く。歩道がちゃんとあるから車の心配がいらない。こんな時に気がゆるむのだ。さっそくゆるんだ!
まっすぐすすんで交差点を右折すればいいと地図の変わり目の角度違いを錯覚したまま・・・下のマクドナルドのある交差点を渡ってしまう。どうも様子がおかしい。信号を待っていた女子高校生らしいグループに聞こうとしたがかみあわない。どうやら日本人ではないみたい。続いてきたおっちゃんに地図を見せるとどうも要領を得ない。ただ、ここではないという。さあ、困った。
こんな時は、あわてない、あわてない・・・ほんとうはあわててる。
じっと周囲を見渡して、来た道から行く道のイメージ作りをする。地図を現地に合わせて自分の立つ位置も正確にする。そうしたら・・・勘違いしていることがわかった。ひとつ手前の細い道を右折しなければならないのに直進してきた。地図の変わり目を読んでいなかった。まっすぐな道は安心してすすんでしまう落とし穴。今回だけではなく何度も失敗してきたこと、まあ、今日はたいした時間ではなかったが気分的に疲れる。
元に戻らないでマクドナルドを右にすすむことで、すぐ修正はできた。やれやれ!
修正して三王山交差点を斜めに横切りゆるやかな坂道を上がっていく。
鉾ノ木貝塚。へえーこんなところに貝塚?縄文時代の土器が出土しているそうだ。
さらにすすみ光明寺を過ぎ小さな川を過ぎると左に大きな常夜灯が見えてきた。秋葉大権現と彫られている。14時23分だが冬の日が傾くのははやい。影が長くなってきた。
すっかり忘れていたくらいひざの具合はまったく問題ない。新しいシューズはまだしっくりはいかないがまだお見合い期間だから仕方ないな。
このあたりから街道の雰囲気の残る通りに出てきた、鳴海宿に近づいてきたのだろうか・・・
立派な家だ、旅籠だったのだろうか?
作町の交差点を右にまっすぐすすむ、このあたりが鳴海宿の中心部だったのかもしれない。
14時43分に本陣跡に着いた。写真下、万中の白い標識板に鳴海宿本陣跡と書かれている。
うっかりすると見落として行くようなものだ。あたりには他に確認するものは何も残っていない。
      【40-鳴海】天保14年(1843)  
        人口   3,643人
        家数     847軒
        旅籠      68軒
        本陣       1軒

本陣跡前を通り上、本町交差点を渡ると左側に高札場跡、右に脇本陣跡があるということだったがなにもなかった。右は更地になっていた。手前左に芭蕉の句碑のある誓願寺へ寄った。ここから右手に名鉄の鳴海駅がある。今日はここをゴールと決めていたが、足もなんともないしもうひと駅、有松まで歩くことにした。そうすれば、次回以降のコースが組立てやすくなるから。一カ月ほど膝に休養を与えたことですっかり回復したのだろう。うれしい。
東問屋場跡の碑も発見できなかった。このあたり人に出会わないので尋ねることもできなかった。
千代倉家の玄関跡。
古い家が続くが、なにの表示もないので、どんな歴史があるのやら、皆目わからない。それにしてもこんなに説明のない宿場はこれまでで初めてで残念だ!
14時57分に文化財の瑞泉寺へ寄ってみた。
山門は宇治の万福寺を模したという黄檗様式、なかなか立派なお寺だ。
こんな道祖神が。
ふたたび、古い街並みが続く。
落ち着いた雰囲気の通りを一人で堂々と歩く!
まさに東海道、宿場町。ここを多くの人を従えて天下の大名が通ったことか・・・下に下に、篤姫も通ったのだろう。
平部北交差点角に常夜灯。東から来るとここが鳴海宿の東の入口だったらしい。
ゆるい坂道をあがっていくとマンションの前に一本の松の木が見えてきた。15時18分
近づいても何も表示はない。
"あんたの名前は?"と聞いても返事なし。一人で、いや、一本でさびしいやろうなあ・・・
四本木交差点をすぎ、しばらくすすむと鎌研橋を渡り名鉄の高架下を過ぎる。すこしずつ上りになってきて・・・15時27分通過。
このあたりに江戸から87番目鎌研橋一里塚があったらしいが現在は不明となっている。
祇園寺の下を通る。静かなところだ。
ここから楽しみにしていた有松の町並みが始まるぞ。見えてきた!期待して15時30分になった。
今日は16時半に有松駅にゴールすればいい。
東海道五十三次二代目松の碑。
下の真ん中の松が二代目の松だ。
神功皇后山車、明治六年に制作されたからくり人形のある山車だそうだ。
小塚家住宅。
15時33分 岡家住宅。
家々には「ありまつ」の暖簾がかかっている。ここは有松絞りの産地だ。有松絞りは尾張徳川家の庇護のもとに様々な技法で繁栄を極め、絞りで富を得た商人たちは店先の装飾や家並みにあてることで競い合ったという。
竹田家住宅。
唐子車山車。乗せている三体のからくり人形がすべて唐子であることから唐子山車と呼ばれている。
15時39分、駅前の交差点に到着。今日のゴールはここで。左100メートルのところに駅がある。
交差点を左へ名鉄有松駅へ急ぐ。あーよく歩いた
なあ。足もひざも大丈夫だ。よかった。
15時49分に有松駅到着。約20分ほど予定より伸びたが、無事についてほっと。でも、これから長い帰りの旅がここから始まる。
有松発16時50分発→名鉄名古屋17時9分着。
JR名古屋発17時30分新快速→米原18時42分着。米原18時49分→新大阪20時08分着。
3時間18分の長い旅、車内が寒くて寒くてたまらなかった。歩くより電車の方が疲れた。無事に戻ってくることができてよかった。明日、足や膝がなんともなければよいが。とにかく一日歩いてくれてありがとう。

経路と交通費(自宅から最寄り駅は除く)
往 路 JR新大阪→JR名古屋 青春18  2,500円  
名鉄名古屋→神宮前          220円
復 路 名鉄有松→名鉄名古屋          340円
JR名古屋→JR新大阪  (青春18切符往復)
歩 数       23,600歩       16.3キロ