のんびりゆっくり 東海道シリーズ-9
2008.01.14 名古屋市鳴海→知立

成人の日、1月14日、東海道五十三次ウォーク・シリーズ9回目で、名古屋市緑区の鳴海宿(有松)から知立市の知立宿までに行ってきた。

今回も青春18切符を利用して、先週と同じ新大阪駅7時21分の新快速で米原へ、豊橋行きに乗り換えて名古屋へ。前回、ここの乗り換えで座席がとれなくてしんどい思いをしたので今回は、隣のホームへ渡る階段近くの車両に乗ったのでうまく座席が確保できた。この時期、18切符を利用する人が多いはず、中高年のリュック姿がやたらと目につく。
名古屋駅では、前回きている余裕で、おやつのパンの買出し・・・駅構内にあるのを前回見ていた・・・。名鉄名古屋線に乗り換えて前回ゴールした名古屋市緑区の鳴海宿の名鉄有松駅で下車した。
駅頭に立って寒い!
快晴だがなにしろ風が強くて・・・有松絞りののぼりも舞っている。

今回は、買ったばかりのシューズのデビューとひざの回復状態を確認するという重大な任務?を背負っての東海道歩き。
10時30分、いざ、スタート!
今日の予定は知立宿、ゴールの駅は名鉄新安城駅まで。
有松は東海道五十三次の知立宿と、鳴海宿の間に設けられた宿場町・・・「立場」。江戸時代初期に作り出されたという「有松絞り」が有名で、安藤広重の浮世絵にも今と変わらない商家の風景が描かれている。尾張藩の庇護を受けて作られた有松絞りで発展した宿場でいまもその姿を残しており市の町並み保存地区になっている。
駅前をまっすぐに、交差点を左にすすむと
そこは東海道の雰囲気に一変する。
有松絞りの中濱商店。品のある佇まいだ!
見事な旧街道の風景が続く!ゴミひとつない。
有松は今年で開村400周年だそうだ。
有松絞り問屋井桁屋、風格のある構え。
井桁屋さんの蔵、ずらした窓が特徴!
街並みの真ん中あたりか有松・鳴海絞会館だ。
えっ? 理容?タカヤマ 右側。二階はどんな使い方をしているのだろう?
寿限無茶屋 まだ門松が・・・スタートしたばかりだから立ち寄るわけにはいかないが入ってみたくなるね。あー、コーヒーが飲みたい!ガマン。
土蔵造りの有松山車会館、からくり人形を乗せた山車もあるそうだ。
しぼりの道具材料店。線香、ロウソク、衣装箱、障子紙、きもの文庫、塩・・・
郵便局もありまつしぼり暖簾でいらっしゃいませ!
どこまで行っても人影がいないのです。
白壁に扉が時代を感じさせる。
古い街道をやや上りきると1号線に合流。そこは大将ケ根交差点。そこを渡り少しすすんで右の住宅街に入り、さらにすすんでいくと再び1号線に出る。すぐ目の前に高徳院の大きな立て看板が目につく。そこを右折すると最初の目的地の桶狭間の合戦跡だ。
跡地は国道1号線から少し入っただけのきれいに整備された公園になっている。小さな公園だが、とても読めないほど古い石碑が何本も立っていた。訪ねてくる人も後を絶たない。
これからの行程を確認をしょうと休憩所に行ったらお年寄りがたばこ中、声をかけたら、しばらくこの地のご高説が始まった。ありがたく拝聴。
桶狭間古戦場址の碑。
今川義元戦死場所を明示する最も古い碑。
その説明板。
今川義元の墓
桶狭間弔古碑と説明板(下の写真)
すぐ近くにある高徳院へ。ここは今川義元の本陣跡でもある。
再び1号線に戻り信号を渡ると下の看板がかかっていた。あっ、ここは、もう、愛知県豊明市だ。
1号線を少しすすむと手前の歩道橋、向こうのグリーン色の名鉄のガードをくぐって行く。
ガードを過ぎるとすぐ左にこんな看板が立っていた。すぐ近くに中京競馬場前駅があるらしい。
ここを横断すると東京から348キロの標識。後ろのガードは通ってきたところ。
ここから1号線と別れて右の住宅街をすすむ。11時28分。
左の道標には

南面 是よりくつかけ祐福寺 ふくた原 さなげ道。 西面 文化四年戌年(1807年)

東面 南無阿弥陀仏
場所 前後町善江1683
まっすぐ進むと前後駅前の交差点へ。さらに正面、まっすぐにすすむ。11時51分。天気もよし、さほど寒さも感ずることなく快調に歩く。
やがて左側におおきなお屋敷。三田邸跡だ、下で三田邸のことが出てくるが代々名医の家だったのだろう。この邸の奥にいまも病院があった。まっすぐな道が続く。
並びにすぐ豊明郵便局がある。道路の正面向こうに大きな木が見えてきた
豊明小学校前に松並木の名残り松が一本。
途中、豊明市で道路を挟んで左右に一里塚のある阿野一里塚に出会ったこれは徳川家康が命じて両側に築かせたのだそうだ。12時4分。
阿野一里塚。日本橋から86番目。
塚の一隅に句碑がたっている。
  ”春風や坂をのぼりに馬の鈴” 市雪
ここから前後に向かって坂を登りつめると名医のほまれ高い三田邸があり「春風に馬の鈴が蘇るようにひびき、道には山桜が点在して旅人の心を
慰めてくれる」の意である。この句は愛知郡簧之一色の森市雪の作で、嘉永元年(1848)刊の「名区小景」に載る。豊明市観光協会
さらに高架下をすすむと1号線と合流する。阿野一里塚の標識がついている。
名鉄豊明駅 12時18分。駅前に食堂でもないかと思ったがそれらしき店はない。また、今日も昼食が心配!
駅前から再び1号線へ。少しすすむと高架下へ。
車のひっきりなしに通るそうぞうしい1号線を高架下から左へ入るとコンクリート工場の間を足もとの悪い歩道のないゆるやかな上り道が続く。上りきると境川にかかる境橋に行き着く。

食事のできそうな店は見当たらないので境川の土手でおやつ用に名古屋駅で買ったメロンパンとアンパンのうちメロンパンは遭難時の非常食用に残してアンパンを食べようとリュックをさわっていると強い風に地図が飛ばされてなんとなんと!土手の下へ飛ばされてしまった。しまった!
もし、川の中へ飛ばされたら万事窮す・・・地図なしでは遭難する・・・必死でこわごわ、柵を乗り越えておりようとするが滑って危ない・・・そのうち、風で横へ飛ばされていく・・・幸い、水の中へ落ちなくてなんとか地図を取り戻した。
こんなとき、写真はないだろう!先に拾え!
ふーっ! また、柵を越えて土手に戻った。寒いので立ち止まって食べる気にならなくて橋の上を食べながら渡っていく。
橋の真ん中に下記の説明板がはめ込まれている。かって尾張と三河の境だったらしい。
今でもこの橋は歩いてきた「豊明市」とこれから行く「刈谷市」の境界になっている。
向こう側がこれからすすむ三河の国。昔は真ん中より西側が板橋、東側が土橋だったそうだ。
橋を渡り終えて前方をみると・・・また、なんとなんと!ラーメン屋、うどん屋が見えてきた!しまった!といいながらこの寒さ、温かいものを食べたくてラーメン屋へ。
うま屋ラーメンという店でチャーシューラーメン700円なりあー、あんパン&ラーメンの豪華な昼食になった。12時36分から12時54分まで。
体も温まり元気も出てきた。そのまますすむと突き当り左に1号線の下をくぐる地下道を通って反対側へ出る。ここは今川町西交差点。ここの地下道は低い。たぶん180の人だと当たるぞ!
ここは刈谷市。寒風の中をニューシューズを試しながらゆっくり歩きなんとか足にフィットしてきた。
途中、渡るはずの歩道橋がなくた道は左折になっている。あれ?間違ってきたのか?えっ?よく見るとブルーシートが歩道橋を隠している!びっくりした。工事中。また、静かな道はまっすぐすすむ。
ゆるい坂道をすすむ、街道の雰囲気を残す古い家並みが続く。小さな春が・・・
街道の雰囲気を残す古い家並みが続く。
一ツ木弘法道標。
珍しい火の見櫓。これは現役だ。ここから左へ曲がっていく。13時23分。
ひむかわうどん発祥地
いまでも「きしめん」を「ひもかわ」という人がいるそうだ。名古屋名物の「きしめん」や「味噌煮込みうどん」などのルーツも、この「ひむかわうどん」の流れを引き継いでいるそうだ。
洞林寺によりさらにすすむと1号線に出る。刈谷市今岡。13時35分。
1号線の刈谷市一理山町交差点。このあたりに85番の一里山一里塚があったらしいが今は地名が残っているだけ。
ここから知立市だ。知立市西丘町。13時45分。
刈谷市逢妻町交差点。ここを渡り右の道へ入る。
逢妻川にかかる逢妻橋を渡る。
知立市に入って逢妻橋では通行証明書代わりの写真を撮ってもらおうとじっと人を待って夫婦づれのウォーカーに無事に撮ってもらった。気をつけて!とうれしい言葉をもらった。13時57分。
通行証明書
橋を渡り左の道へ大きくカーブしながらすすむ。
総持寺だ。休憩がてら中へ入ってみることにした。弘法大師ゆかりの寺のようだ。
総持寺からすぐの四つ角を左へ入ると知立神社、こちらも寄ってみることにした。知立の鎮守様。
多宝塔は国の重要文化財に指定されている。
神社を出て元の道に戻り少しすすみ国道手前の地下道で向かい側へすすむ。
地下道を出ると総持寺跡大イチョウ跡がある。
まっすぐすすむと月当たり左に古い了運寺の前に出る。黒板には正月らしいことが書かれていた。
了運寺前を右へ折れるとすぐ左に知立城跡がある。
知立の町に入って知立城跡によってみる。
桶狭間の戦いで落城し、その後はなかった。
その後、城址は、将軍上洛用の施設として御殿が築かれていたが、元禄12年の大地震で倒壊しその後は再建をされていない。
この公園で休憩。今日の最終コースの確認。足も窮屈になり始めたので松並木の残っている街道で切り上げることにした。最寄駅は「名鉄牛田駅」
最後のおやつ、メロンパンを食べていたらねこちゃんがやってきた。そうか、激励にきてくれたのか、ついてくるならパンやろう!
明治天皇小休所址の記念碑。
     【39-知立宿】 天保4年
       人 口 1,620人
       家 数   292軒
       旅 籠    35軒
       脇本陣     1軒
       本 陣     1軒
[知立]と[池鯉鮒]・・・道標が「池鯉鮒宿になっている、なんでや? 池鯉鮒明神(知立神社)の池に
鯉と鮒がいたのでその名がつけられたそうだ。
      道標 「鳴海」→←「岡崎」
ここ知立には、宿場の面影はまったくない。この本町あたりが中心部であったらしい。
少し進んで右の道に入り突き当り左に下の説明板が立っていた。
(本陣跡は貯水槽になっていてその横に石碑が立っている)こちらでは、やっぱり「チリュウ」を「知立」というより「池鯉鮒」と書くらしい。奥に明治天皇行在所聖蹟の碑がある。それにしてもなんとかなりませんかな、お粗末な本陣跡。
元の通りに戻ると、あっ、やっぱり池鯉鮒だ。
古い和菓子屋さん。名鉄知立駅はこの近く。
さらにすすむとマンションの前野駐車場の片隅に問屋場之跡がある。
ここらまでが知立宿の中心だったらしいがいまはまったくその面影はない。問屋場跡をすぎ商店街にある道標を撮っているとお店の奥から男性が名刺をもって声をかけてきた。この商店街の理事長さんというその方としばし話し込んだ。本陣跡の整備ができていないのでなんとかしたいと言っていたがほんとうになんとかしてほしい。
理事長さんのお店、人通りが少ないなあ・・・真中に道標が立っている。
商店街を過ぎると交差点を斜めに入りさらにすすむ。曇ってきた。寒さは感じない。
午後から曇ってきて風も強く気温も上がらない道をさらにすすんでいく。あれこれと考えているうちに大事なポイント、ここに来るまでにコースを外れて左に入り県道を越えて「桜馬場跡-馬市の跡」へ立ち寄るつもりだったのをまっすぐ歩いて通り越してしまった。戻るかどうする?このまますすめ!
名鉄線を越えてしばらくすすむと県道、一号線と三つの道路が合流する御林交差点に行きつく。
交差点手前の地下道入り口に道標。
前方に知立の松並木が見えてきた!元気を盛り返す。
向こうの松並木へ行くために地下道で交差点を渡る。
あっ、静岡の文字が見られるところまで来たんだ! 158キロ、うん、そんなに遠くはないぞ!でも遠い、まず、豊橋まで42キロだ!
思わずおーすごい!見事な街道の松並木だ。500メートルの間に170本の松がほぼ等間隔に残っているという。見事さに感動。なんでも伊勢湾台風でこのあたり松並木の70%が倒されたという。あの台風の爪め跡は、こんなところまであったのだとここでも驚く。15時22分。
ここまで来て初めて出会った東海道の本格的な松並木、やっと来たか!
並木を右へ左へ行き来しながらすすむ。
池鯉鮒は江戸時代、とくに馬市でにぎわった。市が開かれる頃になると近隣諸国から大勢の人が集まってきてお祭りのような賑わいだったそうな。
松並木に碑が立っている。
池鯉鮒の馬市之跡碑
広重の池鯉鮒の絵 馬がたくさん描かれている。
一茶の句碑
はつ雪や ちりふの市の銭かまず
文化10年(1813年)一茶51歳作
この街道の最後のところで、少し、休憩していると向かいのコンビニから大きな荷物を背負った人が出てきたので渡って来るのを待って声をかけた。鹿児島から青森の恐山まで三年かけて歩いて郷里の富山へ帰る道中だという75歳の元気なおじいさんだ。
お金を盗まれて70円しかなく今朝から何も食べていなくて明日(年金が入る)まで食べられないと言う。今夜、どこに泊まられますか?と聞いたら、橋の下で野宿すると言う。慣れているとのことだがこの寒さ。
小銭入れにあった硬貨を全部あげた。それなりの額があったので夕食は、なんとかなったと思うが・・。ただ、悔やまれていることは、その人が今日は、何も食べていないと言いながらコンビニから出てきたのを見ていたので一瞬でも、疑いの心をもったことだ。

道中、お寺や神社、とくに道端のお地蔵さんには
お賽銭を心がけている。熊野古道でもずっとそうしてきた。こちらが気がつかないで前を通っていてもそっと自分の無事を祈ってくれているからだ。去っていくおじいさんの後ろ姿みてあっお地蔵さん!

あの人は、自分を守ってくれる生きたお地蔵さんだった!なぜ、心からのお賽銭を渡さなかったのかほんとうに恥かしかった。今日、郵便局で年金を受け取って自分が歩いてきた東海道を元気にふるさとの富山をめざして歩いていることだろう。ご無事で! 後ろ姿を撮った生きたお地蔵さんの写真は大事にしよう。また、ひとつ勉強をした。
15時42分。下、歩道橋から歩いてきた松並木を振り返ると・・・
次回に立ち寄る予定のかきつばたと業平で有名な八橋山無量寿寺への道標、元録12年。
気を取り直して早い暮れの雰囲気が迫ってきた街道をすすむ。15時56分、4時前になると1月の夕暮れがせまってくる。そろそろゴールだ。
10分ほど歩いているといるといつのまにか来迎寺の一里塚にきた。あれ、ちょっと行きすぎや!
来迎寺一里塚。
予定の牛田駅を通り過ぎてしまった。このまま新安城に一気に行くか、行くと16時半くらいか・・・
曇っているし写真もきれいに撮れないのでやっぱり予定通りに手前の牛田駅へ引返えそう。
戻りかけたとき大根の取り入れを終えたらしいおばあさんと目があった。

よせばいいのにまた声をかけたらそのおばあさん、なかなかの口達者な人で帰り道に牛田駅を通るので車で送るという。

車で?
おばあさんが?

そうですよ。女が男を乗せるのはよくないかもしれませんが・・という。
わずかな距離だからと断ったが疲れているだろうと熱心に言ってくれるので生涯の思い出にすると言って乗せてもらった。
なんと昭和一桁生まれというおばあさん、なかなか運転もうまい!あっという間の距離だが楽しい出会いだった。
地下通路を通って二つ目の階段を上がるようにと言われたがまさにその通りで無駄なくホームへ。
名鉄名古屋線牛田駅。
次の知立で乗り換え。
名古屋駅17時30分の新快速で米原へそこで乗り換えて新大阪へは20時過ぎに戻ってきた。
いろいろな出会い、まだ、ここには書いていないどっきり話ありいやー、疲れた。
でも、足もひざもすっかり回復して大丈夫だ。


経路と交通費(自宅から最寄り駅は除く)
往 路 JR新大阪→JR名古屋 青春18  2,500円     
名鉄名古屋→名鉄有松         340円
復 路 名鉄牛田→名鉄名古屋          490円
JR名古屋→JR新大阪 (青春18切符往復)
歩 数      28,400歩       19.9キロ